第413話 混迷

 時は、紅介たち『雫』が襲撃者たちと対峙する約三十分前まで遡る。


 王都ヴィンテルの中心部から離れた閑散とした市街地にある薄暗い小さな一軒家に黒い外套を纏った七つの人影があった。

 一人暮らしをするには十分な広さの一軒家なのだが、七人が集まるとなると窮屈さが否めない。椅子も足りておらず、空いたスペースで立ち尽くす者も。

 それでも彼らは粛々と会議を続けていた。


「――説明は以上だ。何か質問がある者はいるか?」


 その問い掛けに対し、六人は沈黙を貫き続ける。

 つまるところ、質問や異論がないということに他ならない。


 これで方針は定まった。後はリーダーの一声を待つだけ。

 六人の視線が上座に座るリーダーに集中する。

 そして視線を集めたその者は、ゆっくりと口を開いた。


「準備は整ったみたいッスね。それじゃあ――」


 彼女は口角を吊り上げながら、椅子から立ち上がる。


「――盗賊ごっこを始めるッスよ。この国の未来のために」


 リーダーは――カタリーナ・ギア・フレーリンは『七賢人セブンウィザーズ』の仲間たちにそう告げたのであった。




 それから七人はこの家に設置してあった転移門を使い、ヴォルヴァ魔法学院中央校舎五階にある通称『賢者の部屋』へと転移。

 そこで各種準備を整え、第五席イクセルが立案した作戦に則り、戦闘を苦手とする第六席カルロッタだけを残し、ある場所へと転移しようとしていた。


 参謀を務めるイクセルが立てた作戦は至ってシンプルなものだった。

 獲物を餌場まで誘き寄せ、釣り上げる。ただそれだけだ。それは彼らがよく使う常套手段とも呼べる作戦であった。

 ただし、今回に限っては相手の正体も実力も不明ということもあり、ある程度の保険をかけておくことは忘れない。

 あらかじめイクセルは絶対的な優位を得られる場を選出しておき、場当たり的な戦闘を行わないよう注意を促していた。


 そんなイクセルが定めた戦場は、通行者が少なく傾斜が厳しい山道。その山道では野営できる場所が極めて限られており、標的の行動予測も立てやすいため、絶好の狩場となる。

 問題はその道を如何に使わせるかにあったが、『七賢人』たちは当然のように標的を狩場まで誘き寄せるための工作――『崩落事故』を装い、鉱山都市タールから王都ヴィンテルに向かうための主要な山道を事前に潰していたのだ。


 準備を終え、後はカルロッタが作成した特殊な仮面を着けるだけの状態になったイクセルは、他のメンバーの準備が整ったことを確認し、口を開く。


「訊いてくれ。今回の狩場は転移先とかなり近い距離にある。転移してすぐに戦闘になることはまずないとは思うが、留意しておいてほしい。マルティナ、標的の様子はどうだ?」


「貴方が予想した通りの場所で野営をしていますわ」


 第四席マルティナの『眼』は常に一定の距離を保ちつつ、今も尚、標的の監視を続けていた。


「護衛の数は?」


「変わりありませんわね。荷馬車十台に対して護衛は相も変わらずたったの三人だけ。今は焚き火にあたりながら寝ずに見張りを続けていますわよ」


「増員はなし、か。底抜けの阿呆か、余程自分たちの腕に自信を持っているかのどちらかだろうな。どちらにせよ、阿呆であることには変わりないが」


 イクセルからしてみれば、十台の荷馬車を三人だけで守ろうとするなど論外でしかなく、失笑ものだった。


 自惚れ、過信、油断。

 そんな冒険者や傭兵の姿を過去に幾度となく目にし、その悉くを打ち破ってきた確かな実績と自負を持っていたが故に、イクセルはこの時、慢心していた。してしまっていた。

 嘲笑していた存在にその身が堕ちていたなどと、この時は思ってもいなかったのだ。


「イクセル、油断は大敵ッスよ?」


 不敵な笑みを浮かべるイクセルに、カタリーナはほんの僅かに眉をひそめ、それとなく注意を促した。


「ああ、わかっているとも」


 だが、本当の意味でその言葉がイクセルに届くことはなかった。


 眼鏡を外し、漆黒の仮面を装着したイクセルは作戦決行の合図を送る。


「――イクゾ」


 その言葉を合図に、カルロッタを除く六人の『七賢人』が転移門の扉を通り抜けていった。




 転移門を通り抜けた六人はすぐさま軽快な動きで高い木々の上に登っていく。

 望遠・暗視・変声等の機能を豊富に搭載した仮面を通し、イクセルの眼下に広がっていたのは野営地に広がるテント群と焚き火の灯り、そして立ち上がりこちらを見つめる小さき者の姿だった。


(――ッ!? 気付かれた……のか?)


 一瞬、目と目が合った気がし、イクセルの心臓が大きく跳び跳ねる。だが、イクセルはそこで冷静さを失わなかった。

 こちらを見つめる存在は一人だけ。後の二人は慌てるような素振りすら見せていないことを確認したからだ。


『予定通り配置につけ』


 イクセルはハンドシグナルだけで指示を出し、当初の予定通り作戦を進めていく判断を下す。

 配置は事前に決めてあったこともあり、スムーズに移動が行われる。

 戦力バランス等を考え、最右翼からカタリーナ、イクセル、オルバー、クリスタ、アクセル、マルティナの順に展開していき、山を静かに、そして素早く駆けていく。


 しかし、ここでイクセルに大きな誤算が生まれる。


 配置につき、一気呵成に山を下って行こうと数歩踏み出したその瞬間、どこか聞き覚えのある男の声が襲おうとしていた野営地から聞こえてきたのだ。


「――来た! 迎え撃つ!」


(……チッ、気付かれ――今の声、どこかで……? ――まさかっ!?)


 その刹那の迷いが致命的な指示の遅れに直結してしまう。


『――待て!』


 聞き覚えのある男の声を聞き、無意識に走る速度を緩めてしまっていたイクセルが咄嗟にハンドシグナルで停止の合図を出す。が、時既に遅し。

 イクセルの右隣を駆けていたカタリーナはその聞き覚えのある声に否応なしに身体が反応。そのお陰でイクセルの合図に気付くことができたが、男の声に全く聞き覚えのなかったオルバーは速度を緩めることなく先行していたがために、イクセルの合図を見逃していたのだ。


 足を完全に止めたカタリーナとイクセルだけがその場に取り残される。

 気が付けば残りの四人は既に当初の予定通りの配置についてしまっていた。


「イマノ、コエハ……」


「マサカ……コースケ、サン?」


 戸惑いの色が隠しきれない二人を置いたまま、事態は急変する。


―――――――――――


「――来た! 迎え撃つ!」


 その声が聞こえてきた瞬間、クリスタは本能に従ってその足を止めかける。


(――ちょっ!? 今の声って!?)


 強烈な衝撃と焦燥感がクリスタを襲う。

 走る速度を緩め、何か合図があるのではないかと右に視線を向けるが、右を走るオルバーから何も合図は出てこない。


(……合図はなし。ってことは作戦は続行、だよね……? もしかしてワタシの聞き間違い?)


 今一度、隣を走るオルバーに視線を向けるが、変わらず合図はない。


(あー! ワタシの聞き違い、聞き違い! フラムちゃんは屋敷にいるって情報もあったし、絶対にワタシの聞き違い! うんっ、そうに違いないっ!)


 もしこの声が想像通りの人物であれば、例えイクセルが気付かなくともカタリーナは気付くはず。そう信じ込み、クリスタは足を止めずに指示通り配置についた。


 木に登り、その影に隠れながら野営地を見下ろす。


(あーあ、完全に気付かれちゃってるみたいだねー。こっちの位置までバレてるっぽいし――って、うおっ!?)


 絶対零度の伊吹がクリスタとアクセルを襲う。

 地を這って迫り来る絶対零度の伊吹は通り過ぎたモノ全てを凍てつかせ、粉微塵に粉砕していく。

 その場を離れるので精一杯だった。ハンドシグナルを送る暇もなく、あっという間にクリスタとアクセルは分断される。


 そして、次の瞬間にはクリスタに二つの影が迫り来ていた。


(……これはちょっとマズイかも。イクセルくんから何の指示も来ないし、とりあえずは時間稼ぎといきますか)


『オルバーくん、援護をお願い!』


 迫り来る二つの影を迎撃すべく、クリスタはオルバーに合図を送った。


『おうよ、任せろ』


 クリスタは決定的な過ちを犯した。

 もっと直感に、本能に従順になるべきだったのだ。

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