第375話 万全の備え
アリシアに多少無茶をさせてしまったばかりに、セレストさんに帰宅命令を下され、屋敷に戻ってから一日が経った。
セレストさんの立場を考えれば、当然の判断だろう。帰宅命令を下されてしまったのは完全に俺の失態だ。
俺たち『紅』がいれば、アリシアの安全は確保されているも同然だと高を括っていたが、セレストさんの目に映る光景や安全性への不信感を失念してしまっていた。
セレストさんの立場上、アリシアが苦戦する姿を見過ごすことなど出来ようはずがなかったのだ。
俺たちにとっては『ブリザード・グリフォン』は大したことのない相手に過ぎないが、セレストさんにとっては別。きっと、アリシアの命を脅かすのではないかと思ってしまうほどに強大な魔物に見えたに違いない。
「後、一日か……」
「試験は明日だけど、どうするの? こうすけ」
現在、俺たち『紅』の三人とアリシアは屋敷の庭に集まり、今日一日の過ごし方について話し合っているところだった。
ある程度の無茶を許容してしまったばかりに招いた失態を取り戻すため、俺たちは早朝から集まり、試験への対策を模索していたのである。
「主よ、こうなったら剣技で試験を乗り切るしかないのではないか? 魔法だけで戦う必要はないのだろう?」
「うーん……」
ダンジョンでの日々でアリシアの戦闘技術はかなり磨かれたことは確かだ。特に剣技の成長は目を見張るものがある。
しかし、剣一本で試験を乗り越えられるかと問われれば、答えは否だ。
試験で真剣を使えるのであればどうにかなったかもしれないが、試験では安全面を考慮し、真剣の使用は禁止されている。しかも殺傷能力が高い武器を使用する場合は、自前の武器さえ使用できないとのことだった。
学院が用意する刃を潰した粗雑な武器を使わなければならないともなれば、剣だけで試験を乗り切ることは難しいだろう。
魔法に対抗する術は必要不可欠。
よって、アリシアには残されたこの一日で魔法に対抗する術を身に付けてもらわなければならない。
「庭は広いけど、ここで魔法を使った模擬戦をするわけにはいかないしなぁ……」
芝生が敷き詰められ、綺麗に整備された庭を荒らすなんて真似はできようはずがない。アリシアのため、と言えば許される気がしないでもないが、流石に憚られる。
王都の外に出て特訓というのも有りかもしれないが、昨日の今日で外出をセレストさんが許してくれるとは思えない。ともなると、今できることは頭を働かせることくらいだろう。
「よし、決めた。試験は剣技主体で臨むとして、今日は魔法に対抗するための作戦を考えよう」
誰からも反論の声が上がらないことを確認し、俺は話を続ける。
「とりあえずアリシアに何かしらの助言を一人ひとり送っていこうか。じゃあ、まずはフラムから」
三人寄れば文殊の知恵だ。
何か有益なアドバイスが送れるのではないかと考えての提案だった。
「私からか? ふむ、そうだな……。飛んで来る魔法なんて避ければいいだけだし、恐れる必要は全くないとだけ言っておくか。ひたすら足を動かして戦うことを勧めるぞ」
「はい。ありがとうございます、フラム先生」
間違ったアドバイスではない……が、フラムらしい無茶苦茶なアドバイスだ。気合いと根性で何とかしろと言っているようにしか俺には聞こえなかった。
本当に参考になったのだろうかと疑問に思うところはあるが、真面目なアリシアのことだ。フラムの言葉を信じて疑う様子はない。
次にアドバイスを送ったのはディアだった。
「当たり前のことかもしれないけど、四元素魔法の相性だけは忘れないようにね。それと魔法戦で大事なのは先手を打つこと。後手後手にならないような立ち回りが重要だと思う」
「水は火に、火は風に、風は土に、土は水に強い。私の場合は火と風系統魔法が使えるので、気を付けるべきは水でしょうか。昨日のような過ちを犯さなければ良いのですが……」
ブリザード・グリフォンとの戦いを思い出したのかアリシアは苦い表情を浮かべる。
「氷の羽を火で溶かすっていうのはそんなに悪い発想じゃなかったけど、あの時は連戦続きで魔力が枯渇しかけてたから、その点は考慮しておくべきだったかもしれない。試験でも連戦することになると思うから、無駄に魔力を使いすぎないよう戦っていった方がいいよ」
何試合させられるかわからないが、一試合で魔力を使い尽くすような戦い方は論外だ。最悪、勝てないと思う相手に当たった場合には、さっさと降参してしまうのも一つの手だろう。
トータルで上位五名に入ればいいのだ。勝てない相手に魔力を費やすのは無駄な行為でしかない。
フラムは心構えを、ディアは魔法戦に於ける戦い方を教えたとなれば、俺は二人とは異なるアドバイスを送った方がよさそうだ。
とはいえども、言いたかったことの大半はディアに言われてしまっていた。だからといって俺だけアドバイスなしと言うのもバツが悪いので、俺は魔法の使い方をレクチャーすることに決める。
「じゃあ俺は防御に使えそうな風魔法の使い方を教えようかな。一度お手本を見せるよ」
そう言って俺は三人から少し距離を取り、その場で魔法を発動した。
その魔法とは、俺のオリジナル? 魔法である『暴風結界』だ。
俺の全身を包み込むように繭状に暴風が吹き荒れる。
短く綺麗に切り揃えられた地面の芝生は暴風に当てられ、激しくその葉を揺らす。
十秒ほど『暴風結界』を展開した後、俺は魔法を解除した。
「ふぅ、こんな感じかな。一応『暴風結界』なんて名前を付けてるんだけど、この魔法なら大抵の四元素魔法なら弾いてくれるから、試験でも結構使えると思うよ。弱点としては、魔力の消費がかなり多いことと、質量が大きい物質は弾けないことくらいかな。例えば土系統魔法で生み出された巨大な岩石とかは弾けないだろうから、使い方には注意してほしい」
実際のところは、風の密度次第では岩をも弾くことが可能なのだが、その分魔力の消費量がかなり増えてしまうし、アリシアではそこまでの結界を展開することは難しいだろうと考え、弱点として教えておくことにしたのだ。
「……『暴風結界』。この魔法は魔武道会で先生が使用していた魔法ですよね?」
俺が魔法の説明をしていたほんの短い間に、アリシアは瞳をこれでもか、というほど輝かせていた。
いや、それだけではない。その瞳は雄弁に語っていたのだ。――早く練習がしたい、と。
「そうだね。日頃から結構使ってる魔法だから、何度か見たことがあるんじゃないかな? コツさえ掴めば簡単に使えるようになると思うし、早速練習してみようか」
「はいっ!」
元気の良い返事がアリシアから戻ってきたところで、すぐさま練習を始めることにしたのだった。
練習開始からおよそ三時間後、アリシアは魔力をほぼ空っぽにさせたが、何とか『暴風結界』を形にすることに成功する。
「……で、できました」
芝生の上にペタりと腰を落とし、息も絶え絶えになりながらも、アリシアの表情は疲労感よりも達成感で満たされていた。
それもそのはずで、練習開始直後には魔法の制御に失敗し、竜巻を生み出してしまったりと苦労を重ねてきたのだ。
自身の魔法でアリシアが『きゃー!』と叫びながら宙に舞っていった時は俺も肝を冷やしたものである。
「おめでとう、アリシア。感覚は完全に掴めたと思うし、練習はこれで終わりにしようか」
これ以上の無理は明日の試験にも響きかねない。今日は身体を休ませ、魔力の回復に努めるべきだろう。
「はい、そうさせていただきます。先生方、今日まで私の鍛練に付き合っていただき、本当にありがとうございました」
立ち上がりながら服に付いた芝生を払ったアリシアは、俺たち三人にそれぞれ視線を合わせた後、深々とその場で頭を下げた。
これで試験に向けた準備は万端……とはいかない。
ダンジョンでの鍛練、そして『暴風結界』の習得により、アリシアの戦闘能力がかなり向上したことは確かだ。しかし、それだけではまだ不安が残る、というのが俺の認識であった。
そこで俺は、もしもの時のために用意していた『秘策』こと、とある魔道具をアリシアに手渡す。
「アリシア、念のためにこれを」
「……? ブレスレット、でしょうか……?」
突然のプレゼントに戸惑いを見せるアリシアの手のひらの上には、俺がアリシアのために自ら作った紅色の飾り気のない地味な腕輪が、まるで炎のように揺らめき、燦然と輝いていた。
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