第340話 潮風
「おー、ここが港町プラージュか。海も町並みも綺麗だ」
王都を出発してから約三週間。
俺たちは昼前に港町プラージュに到着した。
馬車から降りるとすぐに冷たい潮風が肌を刺激し、口から漏れる吐息は白くなる。
しかし寒さに耐性を持っている俺からすれば、冷たい潮風もどこか心地よさすら感じるものだった。海特有の磯臭さも嫌いではない。
俺の次に馬車から降りてきたディアもプラージュの町並み、そして燦然と煌めく青い海に目を奪われたようで、感嘆の声を漏らす。
「綺麗……」
ディアの視線は海に釘付け。プラージュに到着すると共に荷馬車から荷物を運び出し始めていた数多くの騎士の姿もディアの視界には映っていないようにすら思える。
「新鮮な魚が食える町とやらにようやく着いたか。私は魚よりも肉の方が好きだが、この様子ならそこそこ期待できそうだな」
海を見て真っ先に出てきた感想が食べ物に関することとは、食欲の権化であるフラムらしいと言えばらしい感想かもしれない。
かく言う俺も新鮮な魚介類を楽しみにしていないと言えば嘘になる。
王都で魚介類が全く食べられないといったことはないが、王都では魚介類を食べる際には、必ずと言っていいほど火を通したものしか出てこない。
香草を使い生臭さを消したり、煮たり、揚げたり、ソテーにしたりなど、基本的には素材そのものの味を楽しむ食材というよりかは、手間暇をかけて調理する食材といった扱い方をされていることもあり、新鮮な魚介類を口にする機会は皆無だった。
そのことから、まだこの異世界に来てから一年も経っていないが、俺の身体は求めていたのだ。――新鮮な魚介類を。
醤油という至高の調味料がこの異世界にはないこともあり、刺身はまだしも、寿司を食べられるとまでは思ってもいないし、期待もしていない。しかし、新鮮な魚介類がすぐそこにあるという事実だけで俺のテンションはかなり上がっていた。
すぐにでも市場へ繰り出し、魚介類を買い占めたい気持ちはあったが、自由行動が許可されていない今はその気持ちをグッと堪えなければならない。
その後、ロザリーさん、セレストさんの順で馬車から降り、最後にセレストさんの手を借りたアリシアが馬車から地面に降り立った。
「こうして海を見るのは久しぶりですね」
着飾ったアリシアが馬車から降り、そう感想を口にした瞬間、遠巻きにこちらを見ていた町民が突如として色めき立つ。
もちろんアリシアの周り(俺たちも含め)は護衛の騎士たちによってガチガチに固められているため、アリシアに近づこうとする者は誰一人としていなかったが、港町プラージュは冬の寒さを忘れたかのように次第に熱気に包まれていく。
「アリシア様ー!!」
「きゃー!! 王女殿下よっ!」
あちらこちらからアリシアを呼ぶ声が老若男女問わず聴こえてくるあたり、アリシアの知名度と人気はかなりのものだとわかる。まるで日本で言うところのアイドルだ。
アリシアは笑みを湛えながら、律儀に手を振り返していく。
すると町民が発する熱気は更に高まり、もはや熱狂と呼べるほどにまで達する。
「……凄い人気だね」
「……うん、びっくり」
俺とディアはローブに付いたフードを深く被り直しながら、呆気に取られていた。
だが熱狂は留まるところを知らない。
俺たちの後に到着した一際豪華な馬車からエドガー国王がプラージュの地に降り立った瞬間、町民の歓声によって大地が揺れたのだ。
狂喜乱舞。
ここまでの熱狂ぶりは王城がある王都でもそうそう起きることではない。いや、むしろ王城から離れた地だからこそ、ここまで熱狂している民が多いのだろう。
エドガー国王は民の声に一度だけ応える形で手を振り返すと、いつの間にかにエドガー国王の隣に立っていたカイゼル髭が特徴的な貴族らしき人物と話し始める。
ここまでの道中でその人物を一度も見たことがなかったことから、おそらく港町プラージュを治める貴族なのだろうと俺は予想を立てた。
それからしばらくした後、興奮覚めやまぬままプラージュの町民は騎士によって解散が命じられ、俺たちはプラージュの海岸沿いにある船着き場へと向かうこととなった。
荷馬車の積み荷が次々と巨大な帆船に乗せられていく。
「ほう! これが私たちが乗る船かっ!」
騎士たちがせっせと働く姿をよそに、フラムは船に目を輝かせていた。
フラムの隣には解説役としてアリシアがついてくれている。
「はい。今回使用する船は全部で五隻になります。定員は一隻を除き、それぞれ二百名。残る一隻……父や私、そして先生方に乗っていただく船は他の船とは内装が異なるため、定員は百名となっています」
「む? 何故私たちが乗る船は定員が少ないのだ?」
「乗り心地を優先した造りになっているからです。二百もの人が乗ることが出来るとはいえ、通常仕様の船ではどうしても生活空間が狭苦しくなってしまいますので、定員を削ることで改善を図っているのです」
「なるほどなるほど。だがそれではここにいる者全てを乗せることができないのではないか?」
フラムにしては珍しく頭の回転が速い。
四隻の船の定員がそれぞれ二百で合計八百。そこに俺たちが乗る予定の船の定員百を足すと九百人しか乗れない計算になる。
「その通りですが、問題はありません。儀仗兵や騎士見習いの者は元より、ここプラージュにて待機予定となっていましたから。実際にマギア王国へ向かう者は約八百人程になる予定だと耳にしています」
「連れていくつもりがない者をここまで連れてきた意味が私にはいまいちわからないが、まぁそういうことなら納得はいったぞ。そんなことよりアリシアよ、船に立っているあの三本の柱はなんだ?」
「あれはですね――」
乗員がどうなるのかなんて話はどうでもよくなったのか、フラムは船に関する質問を次々とアリシアに訊いていき、アリシアはアリシアで、フラムの質問一つ一つに対して懇切丁寧に答えていく。
そんな二人の姿を視界の端に捉えながら、俺は俺で船を観察していた。俺の隣ではディアも俺と同じように船に視線をやっている。
「こうすけは船に乗ったことはあるの?」
ディアと一緒にぼんやりと船を眺めながら、雑談を交わしていく。
「あるにはあるけど、こういう帆船は観るのも乗るのも初めてだよ。てっきり俺は魔法を活かした空想的な船を想像してたから、正直びっくりしてる」
海の上に浮かぶ帆船の全長は百メートルにも満たない木造船。
何かしらの魔法的要素が船のどこかしらに施されているのだろうが、パッと見ただけではプラモデルや歴史の教科書で見るようなロマン溢れる帆船にしか見えないのが少し怖いところではある。
「こうすけがいた世界にあった船は、あれとは形が違ったりするの?」
「んー……、ああいった船は昔は使われていただろうけど、俺がいた時代ではほとんど使われていなかったかな。大型の船で木造となると俺のいた国ではまず見かけることはないと思うよ。風に左右されることなく進む金属で造られた船が主流だったからね」
エンジンがどうこうと説明しても上手く伝わらないと考えた俺は、事細かく説明することはせずに大雑把に話した。
するとディアは唐突に何を思ったのか、不安げな声色で俺に声をかけてくる。
「こうすけは……元の世界に帰りたい?」
「えっ? そんなことは思ってないけど、どうしたの急に?」
あまりにも急な問い掛けに驚いた俺は、ぼんやりと眺めていた船からディアへと視線を向き変え、ディアと視線を交錯させる。
「少しこうすけが不安そうな顔をしてた気がしたから……」
ディアの瞳はほんの僅かに不安そうに揺れていた。
どうやらディアは俺がこの世界に留まり続けることに不安を抱いたのだろうと勘違いをしてしまっているようだ。
そんなディアの様子を見兼ねて、俺は慌てて訂正する。
「ああ、違う違うっ。俺が不安に思ってたのは確かだけど、それはこの世界に対してじゃなくて、船に対してだからっ。座礁したりしないよなー、みたいな!」
身振り手振りで慌てて説明する俺を可笑しく思ったのか、ディアの瞳から不安の色は消え、くすりと可愛らしく微笑んだ。
「うん、そうだったんだ。……私の勘違いで良かった」
一陣の潮風が俺とディアの間を吹き抜ける。
風に吹き飛ばされないようフードを押さえる俺とディア。
そう感じたのは俺だけかも知れないが、青く輝く海を背景にしたことも相まって、俺とディアの間に甘い空気が流れているような気がしてならない。
良い雰囲気だ……そう思ったのも束の間、突如として背後から聞き覚えのある男性の声が聞こえてくる。
「風に乗って微かにコースケから不穏な声が聞こえてきたんだが、随分なことを言ってくれるな? 我が国の船が座礁するんじゃないかとかどうとか言っていた気がしたんだが、俺の気のせいか?」
満面の笑みを浮かべ、俺の背後から声を掛けてきたのは、この船の持ち主にあたる人物こと、エドガー国王その人であった。その後ろにはズラズラと騎士を連れている。
当然ながら、その笑みは張りぼて……偽物だ。額には薄らと青い筋が浮かんでいるのが目に見えてわかる。
「あはは……あははは……」
良い雰囲気はエドガー国王の登場で台無しになる。
無論、俺が意図せず蒔いた種なので文句を言える立場ではないことは重々承知だ。
「言い訳は今晩じっくり訊かせてもらうとしようか。異論はないな? コースケ?」
そう口にすると共に、不自然過ぎるウインクが怒りを急速に引っ込めたエドガー国王から飛んでくる。
そのあまりにも不自然過ぎる様子から、俺を今晩呼び出す理由が別にあることを俺は察した。
「わかりました……」
「よろしい。ついでにディアとフラムも連れてくるように」
それだけを告げ、エドガー国王は颯爽とその場を後にした。
そしてその日の晩、エドガー国王から呼び出された俺たち『紅』は、エドガー国王からとある相談を受けることになった。
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