第339話 セレストの悩み
――港町プラージュ。
ラバール王国最大の港町であり、船に乗り継ぐために俺たちが目指している町だ。
王都から港町プラージュまではそれなりに距離はあるが、街道がしっかりと整備されていることもあって、徒歩の者もいながら約二週間から三週間で到着するとのことだった。
その道中では貴族の領地をエドガー国王が滞在したり、通り抜けたりする度に、その領地を治める貴族がエドガー国王に挨拶へ来るため、エドガー国王は貴族の対応に追われ、たいぶお疲れのようだ。
港町プラージュまで後一週間というところまで来た今も、エドガー国王は今晩滞在する町を治める貴族の謁見に応じている頃だろう。
「国王様も大変だね」
町一番の宿のとある一室――アリシアの部屋で、俺は寛ぎながらアリシアと雑談を交わしていた。
室内には俺とアリシアの他に、ディアとセレストさん、ロザリーさんも一緒にいる。
ちなみにフラムは一人で町へ繰り出し、食べ歩きをしてくると言って姿を消していた。
「これも国王の務めですから仕方がありません。それに港町プラージュまでは残り僅か。プラージュに到着すれば父も多少はゆっくり出来るかと」
湯気が立つ紅茶が注がれたティーカップで両手を暖めつつ、時折紅茶を口に運ぶアリシア。
周囲に気を許せる者しかいないこともあってか、アリシアは張り詰めていた気を緩めて寛いでいる様子だ。
「プラージュまで後一週間くらいだったよね。そういえば、ここ最近かなり寒さが増してきてるけど、体調は大丈夫?」
俺たちは馬車での移動とはいえ、車内の温度は外と大して変わらない。外気に直接晒されることがないだけまだマシだが、本格的な冬を感じるには十分過ぎるほどには寒くなってきていた。
「ご心配ありがとうございます。ですが問題ありません。ご存じの通り、日頃から鍛えていますから」
王女故なのか、もしくはアリシアの性格から来るものなのかはわからないが、彼女の向上心は凄まじい。
強くなりたいという一心で、アリシアはこの旅の道中で暇を見つけては、俺たち『紅』の三人に特訓を自ら願い出てきたほどだ。
当然ながら一朝一夕でスキルが進化を遂げることはないが、その努力は無駄ではない。より鋭く、より効率的に、自らが持つ能力をほぼ最大限まで引き出せるようになっていた。
今のアリシアの実力であればマギア王国の学院の入学試験も易々と合格できるに違いない。
対して俺たち『紅』は、というと……。
「ディア、勉強の調子はどう?」
雑談に加わっていなかったディアは黙々とテーブルに噛りつき、勉学に励んでいた。主に学んでいるのは、この世界の常識や歴史についてだ。
「うーん……。少しずつ身についていってると思うけど、まだ自信はあんまり……」
ディアは決して馬鹿ではない。むしろ物覚えは良い方だ。
しかしディアは長年に渡って封印されていたこともあり、世俗と切り離されていたせいで覚えることは人一倍多い。別世界から来たにもかかわらず、俺の方が人の世界の常識に関してはそれとなく知識を持っていたほどだ。
しかし俺は俺で余裕があるわけではない。
今アリシアと雑談を交わしているのは、あくまでも気分転換……リフレッシュのためである。この後自室に戻ったら寝るまで勉強するつもりなのは謂うまでもない。
「ディアでそれならフラムはどうなることやら……」
『不合格』の三文字が脳裏を過る。
フラムはここまでの道中でほとんど勉強に手をつけていない。何かと言い訳を口にしては勉強から逃げていたのだ。
フラム曰く、『実技でどうにでもなる』とのことだが、果たして……。
最悪の場合、フラムには学院生としての生活を諦めてもらい、単独行動をしてもらうしかないだろう。
そんなことを考えているうちに自身の勉強をしなければと考え直した俺は、自室へと戻ることにしたのであった。
―――――――――――
紅介とディアがアリシアの部屋から退出し、アリシアの部屋にはアリシアとロザリー、セレストの三人だけが残った。
アリシアは就寝の準備を、ロザリーはその手伝いをする中、セレストは部屋の扉の前に立ち、警戒をしながら頭の中では全く別のことを考えていた。
(Aランク冒険者パーティー『紅』。あの三人は一体何者なんでしょうか……)
セレストはアリシアの専属騎士となってから『紅』の三人についての様々な話をアリシアから直接訊いていた。
卓越した実力を持っていること、学院の特別講師として教鞭を振るっていたこと、秘密裏にアリシアが『紅』の三人が住む屋敷を訪ね、鍛えてもらっていたことなど、『紅』についての話題は尽きることを知らないほどだった。
しかしセレストは『紅』について、それ以上のことを知らされていなかった。
何故一冒険者パーティーが国王陛下と懇意にしているのか。
何故国王陛下は冒険者の我が儘を聞き入れ、今回の外交兼留学への同行を許したのか。
セレストの中で『紅』とラバール王家の関係性についての疑問が尽きることはない。
ラバール王家と『紅』との間に貸し借りがあったことは昼食会の際に耳にしていたが、その詳細を知る術はセレストにはなかった。
唯一のヒントは、反王派貴族が起こした反乱の際にエドガー国王が『イグニス』なる人物を頼ったという話のみ。
どういった経緯で『紅』もとい、フラムと縁のある人物を頼ったのかはわからないが、エドガー国王が『紅』を信用していることはその話から察するに明らか。
エドガー国王が『紅』に寄せる信用と信頼は、自国の騎士を上回っているようにすらセレストは感じていた。
(私はこれからコースケさんたちに対してどのように接していけばいいのでしょうか。……今まで通り? それともより丁重に? ですがコースケさんたちは冒険者であり、貴族ではないはず。騎士爵とはいえ貴族である私が冒険者に対して頭を下げれば、他の騎士からコースケさんたちがどう思われるかわかりませんし、難しいところ……ですね。今冷静に思えば、アリシア王女殿下の部屋にコースケさんとディアさんを通しても良かったのでしょうか……?)
もし王女殿下の部屋に冒険者を通したことが他の者に露呈すれば叱責は免れない。
そんなことを考えているうちにセレストの表情は無意識に小難しいものになっていた。
小難しい顔をしながら扉の前で棒立ちになっていたセレストを、寝間着に着替え終えたアリシアが視界の端で捉える。
「サンテール、どうかしましたか?」
アリシアの呼び掛けで、セレストはハッと意識を現実に戻す。
「あ、いえ、少し考え事を……。申し訳ございませんっ!」
己の失態を恥じ、深く頭を下げたセレストに対し、アリシアは優しく柔らかな声音で問い掛ける。
「何か悩み事があるみたいですね。無理に、とは言いませんが、訊かせていただけませんか? 力になってあげられるかは訊いてみなければわかりませんが」
主にそうまで言われてしまえば、セレストに断ることはできない。口を何度か開け閉めしてから、セレストは『紅』に対して抱いていた疑問の一部を打ち明けた。
「コースケさん――『紅』の御三方にどう接すればいいのかと悩んでいたのです。アリシア王女殿下だけではなく、国王陛下にまで一目置かれている彼らは一体……」
言葉を慎重に選びつつ、言葉尻を曖昧にぼかしたセレストに、アリシアは笑みを溢してみせた後、真剣な表情を作った。
「サンテールは今まで通り接すれば良いと思います。先生方は小さなことを気にするような器の小さい方々ではありませんから。ですが、一つだけ忠告をしておきます。――深く先生方を詮索しないこと。それだけは覚えておいて下さい」
突然真剣な眼差しをアリシアから向けられ、セレストは固唾を呑み、頷くだけで精一杯になってしまう。
「大丈夫です。サンテールが緊張をする必要も、先生方を警戒する必要もありません。もしマギア王国へ向かう途中で何か問題が起きたとしても、先生方が側にいれば必ず何とかして下さる。私は勝手ながら、そう信じています。もしかしたらサンテールの出番は訪れないかもしれませんね」
最後の最後でクスッと笑って見せるアリシア。
裏表のないアリシアの表情から、確かな信頼関係がラバール王家と『紅』の間で築かれているのだろうとセレストは察した。
そして予定通り一週間後、エドガー国王率いる千もの軍勢は、港町プラージュに到着したのであった。
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