第314話 マルセルの最期

 開戦の合図は無かった。

 マルセルは先手必勝とばかりに俺との間合いを詰める。

 胸元からの出血は止まっていないにもかかわらず、その動きに淀みは見られない。

 怪我を感じさせない軽快なフットワークと左右から放たれる規則性のない拳の連打の組み合わせは凶悪の一言に尽きる。

 だがそのどれもが俺に当たることはなかった。

 集中力と五感が極限までに研ぎ澄まされていた俺は足と紅蓮を使い、その全てを回避、或いは紅蓮で拳をいなしていく。

 端から見れば、俺が防戦一方になっているように見えるかもしれない。手も足も出せずに、ただ守ることに精一杯なのだと。

 しかし、実際は違う。


 攻勢に回っていたマルセルが拳を引っ込めて首を真横に傾けると共に血の気のない白い頬が裂け、一筋の傷をつくる。


「……チッ」


 その裂傷は紅蓮によるものではなく、『不可視の風刃インビジブル・エア』によるものだった。

 魔力を知覚することができるマルセルだからこそ寸前のところで回避が間に合ったが、もし魔力が集まる兆候を見逃していたら、あわや即死していただろう。


 超近接戦闘中に魔法系統スキルを使うことはなかなかに至難の技だ。相手が強ければ強いほど、より困難になる。

 脳内で座標・指向性・威力を設定し、魔法の完成形をイメージしなければ魔法は発動しない。発動させるためには脳のリソースをそれなりに割かなければならないのだが、近接戦闘中に、しかも防戦に回っている状況下で魔法の発動に意識を割く行為は下手をしたら自殺行為にも等しいと言えるだろう。

 だが俺は、端から見れば自殺行為に等しい行動を取った。

 その結果、近接戦闘中に魔法系統スキルが使われることはまずあり得ないという思い込み故にマルセルの回避はギリギリのものとなったのだ。

 無論、俺に自殺願望もなければ、リスクを取ったという認識すらない。ただ単に魔法を行使するだけの余裕があっただけに過ぎない。

 既にマルセルの拳技は底が見えている。まだ本気を出していないなんていうことはないだろう。

 時間が経てば経つほど形勢が俺へと傾くことは当然マルセルはわかっているはずだ。現に今もなおマルセルの胸元からは多くの血が流れ続けている。

 激しく動けば動くほど傷口から血が流れていくことは自明の理。マルセルに残された勝機は短期決戦のみ。暢気に実力を隠している状況ではないことからも、これ以上マルセルの力が上昇することはないだろう。

 俺が気を付けなければならないのは『治癒の聖薬リカバリーポーション』を使用されることと、『地神魔法アース・フェイブル』の二つ。

 特に使用者のイメージでいくらでも応用が利く『地神魔法』は逆転を許す想定外の一手になりかねない。故に、余裕はあるけれども油断をすることは到底できはしない。


 鳩尾を狙うマルセルの拳をバックステップで大きく回避した俺は次の一手に打って出る。

 疑似アイテムボックスを介さず、『空間操者スペース・オペレイト』で何もない空間に次元の切れ目を入れ、短刀を四本取り出す。

 後退したことにより、俺とマルセルとの距離は五メートル離れている。

 俺は取り出した四本の短刀を同時にマルセルに向けて投擲した。

 短刀は寸分の狂いなく、それぞれがマルセルの四肢に向かって真っ直ぐ飛んでいく。

 それに対してマルセルは回避ではなく、身体を隠すための土壁を自身を囲むよう四方に展開し、飛翔する短刀に備える。


 悪くない一手。むしろ最善の一手と言ってもいいかもしれない。

 マルセルは俺がどんなスキルを所持しているのかを知らないのだ。もし俺が『比翼連理』の二人のように『念動力』のスキルを持っていたとしたら、いくら回避しようが放たれた短刀はマルセルを狙って延々と追尾していたに違いない。

 だからと言って、はたき落とすという選択肢も論外だ。

 放たれた短刀は四本。マルセルの腕は当然のことながら二本しかない。同時に迫る四本の短刀を二本の腕で打ち落とすことはまず不可能。

 マルセルの拳は斬鉄すら可能とする紅蓮に耐えうるほどの硬度を誇るが、あくまでも『拳聖セイント・フィスト』による硬度補正は拳にのみ及ぶ。そのため、四本中二本の短刀にしかマルセルの拳は対処できない。

 そうマルセルも悟ったからこそ、四方を囲う土壁を展開したのだろう。


 だがその策は、俺からしたら詰めが甘いと言わざるを得ない。

 マルセルは俺が空間転移をしたところをしっかりと見ていたはずだ。であれば、短刀を転移させることができることを想定しなければならなかった。

 決して油断をしていたわけではないだろう。

 短刀の軌道線上にない場所にも土壁を展開していたことからも万全を期した一手を打ったつもりだったはず。

 しかしそれでもマルセルは致命的なまでの大きな失態を犯していた。


 マルセルは四方を土壁で囲うのではなく、土の鎧を着るかの如く魔法を展開するべきだった。

 マルセルは俺が間合いから離れることを許すべきではなかった。

 それらを怠ったが故にマルセルは致命傷を負うこととなる。


 四本の短刀が土壁に突き刺さる直前に俺は『空間操者』を発動。

 短刀は突如現れた空間の裂け目を通り、マルセルの頭上に現れた空間の裂け目から飛び出した。

 いくら魔力を知覚できるとはいえ、『空間操者』自体を打ち消すことができなければ空間転移を防ぐことは不可能。さらに言えば、自分で四方を土壁で囲ってしまったことで逃げ場すら失っているマルセルに短刀から逃れる術はない。

 頭上から現れた四本の短刀がマルセルに襲い掛かる。


「――なッ!!」


 驚愕に満ちたマルセルの声が鼓膜を打つ。

 土壁によって俺の位置からマルセルの姿が見えないため、状況が把握できない。加えて俺の目が届かないうちに『治癒の聖薬』を使わせないよう『不可視の風刃』で正面の土壁を切り崩す。

 音を立てて崩れ去った土壁の向こうには右腕に二本、そして左肩と左側面の首元に一本ずつ短刀が深く突き刺さった状態のマルセルがそこにいた。


 右腕からの出血もかなりのものだが、それ以上に首からの出血がおびただしい。おそらく短刀が頸動脈を穿ったのだろう。

 誰から見ても明らかにマルセルは致命傷を負っていた。


 油断せず、紅蓮を構えたままマルセルにゆっくりと近づいていく。その途中、マルセルは足元をぐらつかせて地面に膝をつくと、視線だけを俺へと向けてくる。

 その瞳には既に闘志が失われているように見えた。おそらく己の死が迫っていることを悟ったのだろう。


 だがマルセルは嗤った。

 俺を嘲るかのように。


「……ふは、ふはははっ。……此度の戦いは貴様の勝ちのようだ。このままでは後数分と持たず、私は死に至るであろう。だが貴様は……貴様らは私個人に勝っただけに過ぎぬ。『治癒の聖薬』の生産を止め、神器を手に入れるという点だけを切り取れば大戦果を挙げたと考えるやもしれぬが、それだけだ。何より私は既に与えられた役割の大半を終えた身。命果てようと何ら支障はない。所詮『治癒の聖薬』の生産などただの腰掛け仕事でしかないだよ」


 強がり、或いは負け惜しみだと切り捨てることは簡単だ。

 しかしマルセルの言葉一つ一つから、不思議と嘘偽りのない真実を語っているように感じられた。


「……」


 返す言葉が見つからず、ただじっと死に絶えようとしているマルセルを見つめていると、マルセルの真下に魔力が集まっていく気配を察知する。

 警戒心を抱いた俺は二歩、三歩と後ろに下がり、何が起きても対処できるよう身構えた。

 そして――


「神フロディアよ。彼の御方が貴様の復活を許容することはない。自由と安寧の日々がそう長く続くと思うでないぞ」


 その言葉を最後に、マルセルは『地神魔法』で巨大な土針を作り出し、己の身体を真下から貫き裂き、自害したのであった。

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