第295話 先を進む者、後を追う者
同族を手にかけたからといって、イグニスが感傷に浸ることはない。執事服についた汚れを手で軽く払った後、レーガーと『比翼連理』の姉弟のもとへ向かった。
「皆様、お怪我はありませんか?」
フェルゼンにこっぴどくやられたエルミールを除き、怪我人はいないと知りつつ、イグニスは三人に優しく声を掛けた。
「え、ええ……問題ないわ。レーガー枢機卿のお陰で怪我もだいぶ良くなったから。それに、私たちは何もしていないもの」
三人を代表して、つい先程まで怪我で動けなくなっていたエルミールがやや困惑しつつも、そう返答した。
「ご無事のようで安心致しました。もし皆様に何かあれば、私めが叱られてしまうところでしたので」
「……一ついいかしら?」
執事服の男は自分たちの味方だと頭の中では理解しているものの、エルミールの声は微かに緊張の色を帯びていた。
「はい、何でしょうか?」
「貴方は……何者なの?」
聞くべきではないと心の中で警鐘が鳴っていたが、エルミールは好奇心を抑えられなかった。どうしても聞かずにはいられなかったのだ。それほどまでに先程の戦いは彼女の常識を超えたものであった。
「ご覧の通り、執事でございます」
首もとに巻かれたネクタイをアピールするように、イグニスはネクタイの位置を調節しながら微笑んだ。
言外に、これ以上答えるつもりはないと表情が告げていた。
「……そう。執事、ね」
エルミールはイグニスが微笑んだ意図を違えることはなかった。
これ以上の追及は危険だと察し、彼女は一応の納得をみせる。
会話がそこで途切れ、何とも言えない空気が流れ始めたところで、レーガーは口を開いた。
「私たちはここから先、どうするべきだと思う?」
レーガーたちの役割は、警備兵を引き付けて囮となることであったが、半ばその役割は終えたと言っても良い状況。教会の広い庭園には、ここにいる四人以外の人の姿はない。つまりは、手持ち無沙汰になってしまっているわけだ。
「……僕はここで待機するか、逃げた方が良いと思ってる。エルミール姉様の体調も万全じゃないし……」
呟くように意見を述べたのはエドワールだった。
彼からしてみれば、何よりも優先すべきは姉であるエルミールの命ただ一つ。
いくら敬愛するレーガーからの依頼とはいえ、姉の命を天秤に掛けられるものではない。依頼を放棄する形になってしまうが、それでも仕方がないとエドワールは割り切っていた。
しかし、エドワールの意見に待ったを掛けたのは他でもないエルミールだった。
「それはダメよ、エドワール。私たちもコースケたちの後を追って教会の中へ入るべきよ。ここで私たちが逃げ出せば、コースケたちを見捨てることになってしまうもの」
「でも……エルミール姉様はまだ……」
「ええ、満足には動けないでしょうね。でも戦えないわけじゃない。スキルは使えるわ。それに……」
エルミールはそこで一度言葉を切り、チラッとイグニスに目をやる。
「貴方が私たちを守ってくれるのでしょう?」
人使いが荒いと謗られても構わない。使えるものは何でも使う。例えそれが人ならざる者であってもだ。『紅』に借りを作ることになってしまうが、ここで逃げ出すという選択肢だけはエルミールの中には欠片もなかった。
「勿論でございます。それが私めに与えられた仕事ですので」
恭しく、そして仰々しくイグニスは笑みをたたえながら、その場で優雅に一礼をした。
「――行くわよ」
四人はコースケたちの後を追うべく、足を踏み出した。
―――――――――――――――
時は『比翼連理』がフェルゼンと戦う直前まで遡る。
大聖堂に最も近い、教会の裏手に到着した俺たち『紅』は、エルミールたちが警備兵を引き付けるその時を、物陰に隠れながら待っていた。
教会の庭園内を覗き見た限り、近くに人影はない。俺の『気配完知』も、近くに人の反応がないことを示していた。
「主よ、囮など要らなかったのではないか? 今なら簡単に忍び込めそうだぞ」
「かもしれないけど、念には念を入れとかないと。それに、教会の中には結構人がいるみたいだし」
庭園に人の気配こそないものの、教会内には数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの人の反応があるため、俺は『比翼連理』が警備兵を引き付けるその時を待つことに決めていたのだ。そして何より、俺たちだけで全てを解決してしまえば、『比翼連理』の面子は丸潰れになってしまう。ほぼ確実に弟のエドワールはヘソを曲げてしまうだろう。
そうならないようにするためにも、俺は『比翼連理』が役目を果たすその時を待っていた。
そしてその時は訪れる。
けたたましく鳴り響く鐘の音が遠くから聞こえてきたのだ。
「こうすけ、これって」
ディアに一度頷き返した後、俺は意識を『気配完知』に向け、教会内の人の流れを読み取る。
「どうやら『比翼連理』は上手くやってくれたみたいだ。数十人単位で人が教会の正門付近に移動してる」
「なら、わたしたちも動かないとだね」
ディアの小さな口から珍しく積極的な発言が飛び出たことに意外感を覚えながら俺は大きく頷く。
「まだまだ教会の中には大勢の人たちがいるし、気を引き締めて行こう」
鉄柵の高さはたかが知れている。俺たちの身体能力をもってすれば、転移を使うまでもなく簡単に飛び越えられる高さしかない。
俺を先頭に、ディア、フラムの順で軽々と鉄柵を飛び越えた。
「周囲に人影はなしっと。だったらこのまま大聖堂まで一気に走り抜けよう」
大聖堂まで近づき、その後は転移を用いて中へと侵入する予定だと事前に二人には伝えていたこともあり、ディアは俺の言葉にすぐに反応し、コクりと頷き返してきた。
が、しかし、フラムは何かを気にするように正門がある方向を見つめ、俺の言葉に反応を示さなかった。
「ん? フラム、どうかした?」
不思議に思った俺はフラムの横顔を見つめつつ、声を掛ける。
「いや、主が気にするほどのことではない。同族の気配を感じ取っただけだ」
フラムの言う同族とは、ほぼ確実に竜族のことを示しているに違いない。それも、イグニスではない他の竜族を差しているのだろう。
嫌な汗が額から流れる。
無意識のうちに身体が強張っていく。
火を司る竜族であれば、何とかなる可能性は高いと言えるだろう。何せ、こちらには炎竜族の頂点に座するフラムがいるのだ。フラムがその竜族に顔を出すだけで引き下がっていくに違いない。
しかし、他の竜族であればどうなるのか。俺は竜族について詳しいことを何も知らないため、全く見当がつかない。
「その同族って、フラムと同じ炎竜族……?」
「違うぞ。断言は出来ないが、匂いからしておそらく地竜族だろうな。もう少し近付けばはっきりとわかるだろうが、まぁ気にする必要はないぞ」
悠長なことをフラムは言っているが、果たしてフラムの言葉を鵜呑みにしていいのだろうかという疑問が沸き上がってくる。
いざという時のために、イグニスに三人を見張ってもらってはいるものの、不安が消えることはない。
そんな俺の不安を感じ取ってか、フラムは言葉を続ける。
「心配性な主に一つ教えてやろう。私には遠く及ばないが、イグニスは強い。奴に任せれば、何も心配する必要はないぞ。私には遠く及ばないがなっ!」
自分の方が強いと二度も強調してくるあたりが何ともフラムらしい。どんだけ自己評価が高いんだ、と思いつつも、自然とフラムの言葉を信じ、安堵する俺がいた。
「わかった。イグニスを信じて俺たちは進もう」
「うんっ」「うむ!」
何もないことを祈りつつ、俺たちは大聖堂へ向けて駆け出したのであった。
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