第294話 万能者

 応急処置を受け、自力で起き上がれるようになったエルミールは、呆然と二人の戦いを眺めていた。


(何なの……何なのよ、これ……)


 もはや目の前で起きている戦いは、人という範疇を超えていた。

 Sランク冒険者である彼女をもってしても、二人の一挙一動を完全に捉えることは出来ていない。


 人ならざるものへと変貌を遂げた男の拳が、自身を助けてくれた執事服の男を何度も何度も襲っているだろうことは見てとれる。

 そしてその全てを執事服を着た男が回避しているのだろうことも。


(あの二人は到底人間とは思えない。もっと別の何か……。でも、人間じゃないとしたら、二人は一体何なの……? 神様か何かだとでもいうの?)


 孤児院が襲われたあの日以来、エルミールは神の存在を否定していたにもかかわらず、人の範疇を超えた二人の戦いを目の当たりにしたことで不思議とそう思ってしまっていた。

 そんな彼女の中に、ふと新たな疑問が浮かび上がる。


(そういえば、執事服を着た男性はコースケたちの仲間なのよね……。それどころか、主従の関係であるようなことも匂わせていた。けど、彼ほどの実力者を従えるなんてことがあり得るの? Aランク冒険者パーティー『紅』。貴方たちは一体……)


 エルミールはフェルゼンとイグニスの戦いをぼんやりと眺めながら、恐怖とは違う得体の知れない『何か』を『紅』の三人に抱いたのだった。


―――――――――――――――――


 フェルゼンとイグニスの攻防に終わりは見えてこない。

 攻撃の主導権は完全にフェルゼンが握っていた。だが逆に言ってしまえば、握っているだけとも言える、そんな状況だった。

 イグニスを倒す決定打どころか、未だに傷一つ与えることも出来ていない。

 しかし、フェルゼンに焦りはない。


「避けてばっかいねぇで、少しは反撃してみやがれってんだ!」


 あえて大振りの拳を繰り出すことで、フェルゼンはイグニスからの反撃を誘う。当然そこには、反撃されたとしても何も通用することはないという確固たる自信と、挑発の意図が含まれていた。

 しかしイグニスはフェルゼンの挑発に乗ることはなかった。ただ淡々と攻撃を回避しているだけ――そう見えるよう立ち回っていた。


「まずは貴方が攻撃を当ててみてはいかかでしょうか? 反撃をするかどうかはその時に考えさせていただきますよ」


 そうイグニスは答えを返したが、実際は違う。

 イグニスは『液体リキッド・燃化コンバージョン』を繰り返しフェルゼンに使用していた。


「ああ、だったらそうさせてもらうとすっか。どうやら身体も温まってきたみてぇだしよッ!」


 もう一段階フェルゼンの攻撃速度が上昇する。

 ただしそれは、身体が温まったからなどという理由からではない。

 錯覚――思い込みの力によってのものだった。


(単純な方ですね。いえ、単細胞と言うべきでしょうか。まさか思い込みの力で己の限界を超えてくるとは。ですが、こちらとしては都合が良い。では、そろそろ仕上げと行きましょうか)


 フェルゼンは長引いた戦闘によって身体が温まってきたと考えていたが、真実は違う。

 確かに体温が上昇していることには違いはないが、その原因はイグニスにあったのだ。


 イグニスの『液体燃化』は、フェルゼンの耐性を前に、無力化されていた。しかし、その効果はゼロではなかった。

 フェルゼンを体内から燃やし尽くすことは不可能であったが、ジリジリと体温を引き上げることは可能だったのだ。

 そのことにいち早く気付いたイグニスは『液体燃化』を繰り返し使用し、フェルゼンの体温を引き上げていた。

 今やフェルゼンの体温は数百度にも及んでいる。が、当の本人は高過ぎる耐性が仇となり、その事実に気付いていない。

 金属となった身体が体内から融解し始めている事実に。


「――オラァッ!」


 ついに己の限界を超えたフェルゼンの拳がイグニスを捉えようとしていた。

 イグニスは咄嗟に回避は間に合わないと判断し、左腕でフェルゼンの拳を受け止める。


「これはなかなか効きましたね」


 平然とした口調で感想を述べるイグニス。


「ほう。俺様の拳を受けたっつうのに、骨の一本も折れやしねぇとは恐れ入ったな。だがその様子じゃ、当分使いモンにならなそうだぜ? その左腕はよぉ」


 フェルゼンの言葉通り、イグニスの左腕の骨は折れてはいなかった。しかし、それなりの重傷は負っていた。

 服の袖が破れた先に見えるものは肌ではなく、抉られた肉と骨。

 つまるところ、骨折こそ免れたものの、左腕を構成する骨以外のモノが拳大に弾け飛んでしまっていたのだ。


 ダラリと下ろしたイグニスの左腕から、止めどなく血が流れ出ていく。


「いえ、ご心配には及びません。この程度の傷であれば――」


 そう口にすると共に、イグニスの左腕は突然炎に包み込まれる。

 そして……


「ほら、ご覧の通り簡単に修復出来ますので」


 左腕を包み込んだ炎が消えると、怪我はおろか、ボロ布と化した執事服も綺麗に修復されていた。


「……治癒系統魔法じゃねぇな、それは。一体何をしやがった」


「貴方に教える義理はありませんが、今回だけは特別に教えて差し上げましょう。確かに貴方の仰る通り、これは治癒系統魔法ではございません。言うなれば、『生まれ変わった』と表現すべきでしょうか」


「……生まれ変わった?」


 理解が及ばなかったのか、フェルゼンはそっくりそのままイグニスの言葉を繰り返した。


「ええ。元の状態に戻るのではなく、新しく生まれ変わったのですよ。簡単に説明しますと――」


 イグニスは自身の手札を隠そうともせず、あっさりとフェルゼンに説明していった。


 伝説級レジェンドスキル『鳳凰リボーン・再誕フェニックス』――これこそがイグニスの身体と執事服を新しく構成したスキルの正体であった。


 その能力は『物質の構成一新』。

 ありとあらゆる物質の構成を一新する規格外のスキルでありながら、その代償は質量に応じた魔力のみ。

 一見、イグニスを無敵足らしめるスキルのように見えるが、代償が少ない代わりに二つの制限がこのスキルには設けられている。


 まず第一に、死者を甦らせることは出来ないという制限。

 無論それは、使用者本人であるイグニスも例外ではない。故に、死に至る前に自らの意思で『鳳凰再誕』を使用しなければならない。

 ちなみに、紅介の『再生機関リバース・オーガン』とは違い、スキルの自動発動や痛覚制御もないため、イグニスが意識を無くしてしまうとスキルを使用することは不可能となっている。


 そして第二に、スキルの使用回数制限が設けられている。

 その回数は一日三回まで。使用回数はスキルを使用した二十四時間後に回復する仕組みとなっている。日付の変更で回数制限が全てリセットされるようなことはない。


 だが、このスキルの使用回数制限に関しては、抜け道があった。

 今回イグニスは左腕と執事服の袖を一新させたが、カウントは一つしか増えていない。

 何故そのようなカウントになったのか。

 その理由は、スキルの適用範囲にある。

 この『鳳凰再誕』というスキルは、一新した物ごとに使用回数をカウントするのではなく、発動回数をカウントしているため、今回のように一度の使用で左腕と袖を一新した場合、カウントが一つしか増えないのだ。

 故にイグニスは、ついでとばかりに執事服の袖をもスキルで一新したのである。


「――といったスキルを持っているのです。ご理解いただけましたか?」


「なるほどな。つまり、後二回お前をぶちのめせば良いってことか。でもいいのか? 俺様に手札を披露しちまってよ」


 獰猛に輝く金色の瞳がイグニスを捉える。

 が、しかし……


「ええ、何も問題はございません。貴方はもう詰んでいるのですから」


 イグニスの口元は大きく三日月を描いた。


「ああ? それはどういう――」


 言葉の意味が理解出来ず、首を傾げたその時、フェルゼンは自身の異変に気付く。


「ど、どうなってやがる!?」


 フェルゼンが驚愕した理由。

 それは、傾げた首が元に戻らなくなっていたからに他ならない。


「ふふっ。無様な姿ですね」


「て、てめぇ……。何をしやがった……」


 首を傾げた状態のまま、フェルゼンはイグニスに殺意を向け続ける。


「まだ状況が理解出来ていないのですか? もう少し貴方は自分の身体の変化に気を使うべきでした。今、貴方の体温はとんでもない温度になっているのですよ」


 フェルゼンの現在の体温は、優に五千度を超えていた。

 これは全てイグニスのスキル『液体燃化』によるものであった。

 自らの手札を披露することで時間を稼ぎつつ、裏で『液体燃化』をフェルゼンに使用し続けた結果が、今の状況というわけである。

 フェルゼンの金属で構成された身体は、本人が気付かぬ間に体内から徐々に融解していたのだ。


「そんなわけ――」


「いいえ、事実です。貴方の耐性は見事なものでした。ですが、高過ぎる耐性が仇となりましたね。熱に対する感覚をもう少し残しておけば、万に一つ展開は変わったかもしれません」


 イグニスはゆっくりとした足取りでフェルゼンの眼前に迫っていき、そして耳元でこう囁いた。


「最後に私めの名前を教えて差し上げましょう。――イグニス。それが私めの名でございます」


「……ハハッ。どうりで強ぇわけだ。お前があの『万能者イグニス』だったなんてな」


「我が王に比べれば、私めなど。……では、そろそろお別れの時間のようです」


 フェルゼンの身体はもはやドロドロに溶け始め、立っているのもやっとの状態になっていた。輪郭すらも原形を留めていない。


「ま……た殺り…合おう、や……」


「ええ。あの世で出会えたらその時は。それでは良い眠りを」


 パチンッとイグニスが指を鳴らすと共に、業火がフェルゼンを覆いつくす。

 そして炎が消えたその場には、煤こけた鈍色の小さな金属の破片が一欠片転がっていたのであった。

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