第285話 双方の準備
作戦決行予定日を二日後に迎えたその日、ノイトラール法国でちょっとした騒ぎが起きた。
俺たちは今日に至るまで、特にこれといった動きは見せていない。今は大人しく作戦決行日を待つことが吉だと判断したからだ。
しかし、だからといって決して準備を怠っているわけではない。
教会を中心とした地図を頭に叩き込んだり、投擲用のナイフなどを武器屋で補充したり、遠目から広場の様子をうかがってみたり、と出来る限りのことはしてきたつもりだ。
ちなみに、広場には依然として厳重な警備が敷かれており、近づくことは残念なことに叶わなかった。
無論、多少強引に広場に入ろうと思えば、入れないことはなかったのだが、リスクと得られるかどうか不確かなメリットを天秤に掛けた結果、断念することにしたのである。
不確かなメリットとは、広場の真下に存在するであろう地下空間の情報。
俺が持つ
しかし、広場にいる者たちの警戒網に掛かる可能性と、『地潜行』の使い勝手の悪さから、その案はディアによって棄却された。
ディア曰く、『こうすけ一人だけを危ないところには行かせられない』とのことだ。心配してくれたディアに嬉しさを覚えたが、今はその話は置いておこう。
如何せん『地潜行』は使い勝手の悪いスキルだった。何故なら、スキルの使用者だけしか地面に潜ることが出来ないからだ。
以前、『地潜行』を試しに使用してみて知ったのだが、『地潜行』の本質は、地中に穴を掘るスキルではなく、地中を通り抜けるスキルだったのだ。地面ではなく壁で例えるとするならば、壁を壊して進むのではなく、すり抜けて進む。そんなスキルなのである。故に使用者である俺だけしか地中を移動することが出来ない。
そしてもう一つ、使い勝手の悪さに拍車を掛ける欠点が『地潜行』には存在する。それは、地鳴りを起こす点だ。
穴を掘るわけではなく、通り抜けるにもかかわらず、何故か地鳴りを起こしてしまうのだ。とはいえ、俺の身体が
――閑話休題。
そんなこんなで『地潜行』を使うことを諦め、今日に至る。
そして話を冒頭に戻すと、ノイトラール法国で起きたちょっとした騒動とは、俺たちにとって都合の悪い出来事だった。
王都を散策中に、偶然俺たちはその騒動に出くわした。
「なんだ、あれは?」
「他国のお偉いさんか何かじゃないか?」
そのような疑問の声があちらこちらから上がる。
俺はその声に気付き、周囲を見渡す。すると、声を上げた人々の視線はある一点に集中していた。
人々の視線の先には、ノイトラール法国の東の国門から真っ直ぐ伸びる大通りを堂々と通る集団がいた。
一台の豪奢な馬車と、それを取り囲む多くの騎兵。
ざっと数を数えると、騎兵の数は二十騎以上にも及ぶ。
全員が全員、立派なフルプレートアーマーを身に纏い、一糸乱れぬ姿をまざまざと見せつけながら、大通りの中央を行進していた。
その姿はまさに軍隊そのもの。盗賊や傭兵にはないピリついた空気を放っている。
そして俺は気付く。――豪奢な馬車の上に掲げられた旗の存在に。
「あれは……」
ディアもその旗の存在に、その旗が示す国家に気付き、小さく声を上げる。
その旗には、二匹の蛇が輪を象る姿が描かれていた。
見間違えることはない。その旗が示す国家とは――シュタルク帝国である。
どうしてこの国に、この最悪のタイミングでシュタルク帝国の旗を掲げる集団が現れたのか。そんな疑問が湧き上がっていく。
わかることは一つだけ。その集団が俺たちにとって障害になる可能性があるということのみ。
偶然……とは到底考えられない。このタイミングでシュタルク帝国の者たちが現れたことには必ず意味があるはずだ。
普通に考えれば、遠征で手薄になる国内の警備を厚くするための援軍の可能性が高い。だが、他国の兵士に国内の警備を任せることなどあり得るのか、といった疑問が浮かばないわけではない。
仮にマヌエル・ライマン枢機卿が独断でシュタルク帝国から兵を借り受けようとした場合、ボーゼ・レーガー枢機卿が黙ってはいないだろう。それどころか、ライマン派以外の者全てから反対の声が上がるであろうことは想像に難くない。
他国の兵士を自国に招き入れることに拒否感を覚えない人間など、そうはいない……はずだ。
嫌な予感を覚えつつも、俺たちはその集団が教会の中へと入っていく姿を見送り、その場を後にしたのであった。
――――――――――――――
シュタルク帝国からの来客を招き入れるフルフトバーカイト教会内では、慌ただしく信者たちが動き回っていた。
ある者は貴賓室の準備を、またある者は食事の準備を、と。
誰も彼も、もうじき来るであろう来客に失礼がないよう懸命に準備をしていた。
それは勿論、両枢機卿も例外ではない。両枢機卿は来客を出迎えるため、思惑は違えど、東の国門で今か今かとシュタルク帝国からの来客を待ちわびていた。
ライマンは、
レーガーは、病に伏せる法皇様のために。
「ようやく到着したようであるな」
そう口を開いたのはライマンだった。
「これでようやく……ようやく……」
感情が抑えきれなかったレーガーは声を震わせながら、遠くに見える集団に真っ直ぐ目を向ける。
二人の仲は最悪と言っても過言ではない状態にもかかわらず、ライマンは気安くレーガーに声を掛けた。
「喜ぶにはまだ早い。シュタルク帝国最高の治癒魔法師と言えど、法皇様を治療出来るかどうかは、診てみなければまだわからん」
「……わかっている。だが、期待せずにはいられない」
(期待せずにはいられない……か。全く――愚かとしか言いようがない)
レーガーの言葉を聞き、ライマンは心の内でレーガーを嘲り嗤う。
病に伏せる法皇を治療するために、シュタルク帝国最高の治癒魔法師を呼び寄せる。これが今から来るシュタルク帝国からの来客を迎え入れる表向きの理由である。
しかし、それは全て偽り。
実際は、ライマンがシュタルク帝国の兵士をノイトラール法国に入国させるために考えた策であった。
無論、提案をしたのはライマン本人ではない。流石にライマンがこのような提案をすれば、レーガーが反対してくるだろうことは明白だったからだ。
故にライマンは、今現在法皇の治療にあたっている治癒魔法師に『シュタルク帝国に高位の治療魔法師がいる』と囁き、ライマンに代わり、提案してもらったのだった。
ちなみに法皇付きの治療魔法師は、ライマンの派閥に属さず、中立派とも呼べる立ち位置にいた。だからこそ、その治療魔法師の提案をレーガーは疑いはしていたものの、拒否することはなかった。
法皇を治療するという表向きの理由は、あくまでもシュタルク帝国の兵士を国内に招き入れることに反対してくるであろう者たちを封じ込めるために吐いた嘘でしかない。現に、こちらに近づいてくるシュタルク帝国の者たちの中に、高位の治癒魔法師など一人も存在しない。豪奢な馬車の中にいる者も、情報隠蔽スキルを持つだけのただの一兵士。存在しない治癒魔法師の影武者と言ってもいいだろう。
だがライマンからすれば、それで何も問題はなかった。
法皇の治療など、ライマンにかかれば一瞬で済む些事でしかないからだ。影武者を隣に置き、抜き取っている魔力を少し戻してやれば、嘘が真実に変わる。当然、全快させるつもりなど毛頭ない。
(何もないに越したことはないが、これである程度守りを固めることは出来るであろう。欲を言うならば、もう少し質を高めかったが……)
今回ライマンが呼び寄せた兵士の質は一部を除き、あまり良いものとは言えない者ばかりであった。
しかし、それは仕方がないと諦める他なかった。良質な兵士を集める時間がなかった上に、
結果的に、ライマンが行使できる権力の範囲内でやれたことは、これで精一杯だったのである。
こうして双方の準備は整えられ、遠征日を迎えようとしていた。
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