第283話 陽動作戦

 渇いた喉をよく冷えた紅茶で潤し、一息ついて頭を切り替える。

 決行日は決まったも同然。残すは作戦の立案だけである。


「作戦って言っても、そう簡単には思いつかないな……」


 フラムが真っ先に考えつきそうな案しか思い浮かばないのが正直なところだ。

 力にものを言わせて『治癒の聖薬リカバリーポーション』の生産場を真正面から叩き潰す。

 後の事を何も考えなくてもいいのであれば、この方法が一番手っ取り早いのだが、後の事を考える必要があるからこそ、頭を悩まさなければならない。


「……でしょうね。私もさっぱりだもの。ただ、多少の荒事ならレーガー枢機卿が何とかしてくれるそうよ」


「何とかしてくれるってことは、つまり隠蔽工作や事後処理をしてくれるってことか。だとしたら、やりようはいくらでもありそうだ」


 マヌエル・ライマン枢機卿を必ず退ける必要こそあるものの、ライマンと同じ枢機卿の地位にあるボーゼ・レーガー枢機卿が俺たちの後ろ楯になってくれるということであれば、鬼に金棒……とまではいかないが、それなりの無茶を通すことくらいは出来そうだ。


 光明が見えてきた。

 そう思ったのも束の間、エルミールは一度俺に視線を合わせた後、僅かに顔をしかめ、ゆっくりと首を横に振った。


「多少よ、多少。法国や聖ラ・フィーラ教全体を巻き込むほどの荒事ともなると、レーガー枢機卿でもどうすることも出来ないわ。それだけは念頭に入れておいて」


 多少という曖昧な表現ではボーダーラインが見えてこない。どこまでなら大丈夫で、どこからは駄目なのか。そこら辺をもっとハッキリとしてもらいたいものだ。明確な基準がなければ、立てられる作戦も立てられるわけがない。


「線引きをもう少し詳しく教えてもらえないか?」


「そうね……。『治癒の聖薬』の生産に深く関わっているライマン派、所謂強硬派の者たちと軽く矛を交える程度であれば問題になることはないと思うわ。もちろん、ライマンを倒せれば、の話だけれど。ライマンを排除し、その後レーガー枢機卿がライマンがしてきた悪事を暴く。そうすれば派閥に属さない信者は納得してくれるでしょうし、ライマンに肩入れしていた者たちも表面上は納得せざるを得ないでしょうね」


 要するに、勝てば官軍というやつだ。

 逆に負けてしまえば、俺たちは罪人として裁かれることになるだろう。間違いなく極刑は免れない。


「『治癒の聖薬』の生産に深く関わっている者たちと軽く矛を交える程度なら問題はないってことだけど、どうやってそれを見分ければいいんだ? 正直、見分けようがない気がするんだけど」


「問題はそこなのよね……。誰がどこまで知っているのかわからない以上、私としては派手な行動はしない方が良いと思っているわ。結論を言うと、隠密行動に徹するべきよ」


 妥当な判断だろう。

 しかし、『比翼連理』の二人に隠密行動もとい暗殺者紛いの動きが出来るのかと言った疑問は残る。

 二人の戦闘スタイルは『念動力』と『多重加速』を組み合わせた広域殲滅型。広い空間での戦闘ならその力は猛威を振るうだろうが、狭い空間ではその力を十全に発揮することは難しい。

 無論、そこらの冒険者やごろつき等より強いことには違いないが、先日俺たちが戦ったホラーツに近しい実力を持った者を相手にするには不十分と言わざるを得ない。

 だったら『比翼連理』の二人には別の役割に就いてもらった方がいいだろう。


「悪くない案だとは思う」


 俺の返答に引っ掛かりを覚えたのか、エルミールは僅かに眉をピクリと動かす。


「その言い方からすると、何か別の案があるのかしら?」


 若干エルミールから刺々しさを感じるが、俺はそれをあえて気付かぬ振りをして、今さっき思い浮かんだ案を口にした。


「隠密行動は俺たち『紅』に任せて、『比翼連理』の二人には別の役割をこなしてほしいと思ってる」


「別の役割? つまり、別行動をしたいということかしら?」


「そう捉えてもらって構わない。率直に言わせてもらうと、二人の実力を存分に発揮出来る場所は室内にはないと思ってるんだ」


「……」


 俺の言葉を聞き、エルミールは顎に手を当てて考え込む仕草を見せる。だがエドワールは侮られたと感じたのか、黙ってはいられなかったようだ。


「僕とエルミール姉様じゃ、力不足とでも言いたいのか!?」


 元々エドワールは俺たちに良い感情を抱いていなかったこともあってか、その怒りは留まることをしらない。


「少し落ち着いて――」


 宥めようとしたが、それも不発に終わる。


「だったら僕と勝負しろ! あの時は仕方なく降参してあげたってことをその身に教えてやる!」


 採取場での一件を未だに根に持っていたのか、と呆れたくなる。

 確かエドワールの年齢は俺よりも上のばず。だが、精神年齢は姉とは違って幼いままのようだ。

 俺はエルミールにアイコンタクトを送ってエドワールを宥めてもらおうと思ったが、残念なことにエルミールは思考の海に沈んだままだった。


 このままではまずい。さて、どうするか。

 そんな事を俺が考えている僅かな間に、思わぬ人物が会話に加わってきた。


「少し落ち着いて?」


 その人物とはディアだった。

 普段の彼女であれば、まず口を挟まないであろう場面。にもかかわらずディアが口を挟んできたということは、ディアなりに思うところがあったのだろう。


「……ふんっ」


 白けたと言わんばかりの態度で、エドワールは椅子に深く座り直し、そっぽを向く。

 おそらくエドワールもディアが発言したことに意外感と驚きを覚え、冷静な思考を僅かながらに取り戻すことが出来たのだろう。


「わたしは少しでも早く『治癒の聖薬』の問題を解決したい。そのためには二人の協力は必要不可欠だと思ってる。だからお願い。協力してほしい」


 真摯に願いを口にするディアを無下にすることは出来なかったのか、そっぽを向いたままエドワールは言葉を返す。


「僕はエルミール姉様に従うだけだからなっ」


「うん、ありがとう」


 不穏になりかけていた空気は、ディアのお陰で霧散していった。

 そして、そんなやり取りをしていた間にエルミールは考えを纏め終えていたらしく、おもむろに口を開いた。


「別行動をしたいって話だけれど、確かにその方が良さそうね。実際私たちは狭い場所での戦いを得意としていないもの。それで、コースケは私たちに何をさせたいのかしら?」


 狭い場所での戦いが不得意なのであれば、得意な場所で戦ってもらうだけのこと。


「『比翼連理』の二人には陽動を頼みたい」


「陽動? 簡単に言えば、警備の目を引けってことかしら?」


「その通り。教会の庭園で少し暴れてくれればそれでいいからさ」


「暴れるって、貴方ね……。いくらなんでもそれは無理よ。さっきも言ったでしょ? 『治癒の聖薬』の生産に深く関わっている信者以外は巻き込めないって」


 エルミールの言葉から察するに、少し勘違いをしているようだ。もしかしたら俺の説明がまずかったのかもしれない。


「ごめん、少し誤解させる言い方だったかも。暴れるって言っても、積極的に暴力沙汰を起こせって意味じゃないよ。教会の敷地内で注意を引いてくれればそれでいいから」


「随分と簡単に言ってくれるわね。でも私たちなら……」


「そう。難しいことじゃないはずだ。レーガー枢機卿と繋がりの深い『比翼連理』なら」


 レーガー枢機卿と対立しているライマンなら、『比翼連理』の存在を知らないはずがない。おそらく要注意人物として徹底的にマークしていることだろう。

 そんな要注意人物が突如として教会に現れたらどうなるか。

 考えるまでもなく、無視することなどせずに排除しようと動いてくるに違いない。


「でも、不法侵入ともなれば、正義は向こうにあるんじゃないかしら?」


 確かにエルミールの言う通りだ。

 しかし裏を返せば、不法侵入をしなければ問題にはならないということでもある。


「レーガー枢機卿に許可を出してもらえば問題にはならないはずだ。いや、ここはあえてレーガー枢機卿と一緒に堂々と教会に乗り込むというのも悪くはないか」


 レーガー枢機卿と『比翼連理』の二人を無視出来ない状況にライマンを追い込む。

 この三人が陽動であるとライマンが気付くかどうかはわからないが、少なくとも一定の効果は望めるだろう。


「レーガー枢機卿まで陽動に使うなんて、思い切った作戦を考えたわね。レーガー枢機卿に何かあったらどうするつもり?」


「どうするもこうするもないよ。二人は必ずレーガー枢機卿を守りきる。そうだろ?」


 俺の挑発じみた言葉に対し、エルミールは何も反論することなく、頭を抱えながら大きなため息を吐いていた。

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