第279話 記憶の改変

「さて、問題はこの後どうするか……だよなぁ」


 意識を失ったホラーツたちを一ヶ所に纏め、横たわっている二人を見下ろしながら俺は呟いた。


「私なら跡形もなく消せるぞ?」


「いや、遠慮しておくよ。ここでホラーツたちを殺したくはないし」


 間髪入れずにフラムの提案を拒否する。

 人を殺すということを躊躇しているから――という理由からではない。

 ここでホラーツたちを殺せば大きな問題に発展しかねないと考えたからだ。

 聖職者としてあるまじき行いを俺たちに仕掛けてきたが、曲がりなりにもホラーツは聖ラ・フィーラ教の司教。司教が殺されたともなれば、国を挙げての犯人探しが始まってしまう恐れがある。

 加えて俺たちは、ホラーツから尾行者として疑われていた節はあったが、所詮は証拠も確証もないでっち上げに過ぎない。(でっち上げというのは些か言い過ぎかもしれないが)

 言うなれば、白とも黒とも呼べぬグレー。

 黒でない限り、表立って俺たちを罰することは出来ないはずだ。だが、ここでホラーツたちを殺してしまえば話は大きく変わる。

 明確な犯罪者として裁かれることになるだろう。ボーゼ・レーガー枢機卿という強力な後ろ楯があるにしても、流石に庇いきれるものではない。


「わたしも殺さない方が良いと思う。だからといって、このまま放置っていうわけにもいかないけど……」


 顔を見られ、戦ってしまった以上、このまま放置するわけにはいかないのもまた確か。ここで簡単に見逃してしまえば、次は今回より戦力を増強し、再度仕掛けて来るだろうことは容易に想像出来る。少なくとも要注意人物として監視しようとしてくるはずだ。


「正直、お手上げとしか言いようがないかな。いっそのこと、意識と一緒に記憶まで消えててくれれば……なんてね」


 苦笑いと共に、現実逃避気味の言葉を口にする俺。

 勿論、そんな都合の良い展開になることはないと理解した上での冗談でしかなかった。しかし、フラムだけは俺の冗談を真に受けていた。


「記憶の操作とはなかなかの名案だな。うむ、流石は私の主だ。そうと決まれば――」


「ちょっと待ってほしい、フラム。今のは現実逃避っていうか、冗談っていうか……。どちらにせよ、人の記憶を操作するようなスキルなんて俺は持ってないから!」


「ん? そんなことは当然知っているぞ?」


「なら、誰が記憶を? もしかしてフラムが?」


「生憎と私はそのようなスキルを持ち合わせてないぞ。だが、心当たりはある」


 まさかフラムがそんな便利スキルを持っているとは……なんて思っていたが、どうやら違ったらしい。

 それにしてもフラムに記憶を操作出来る人物に心当たりがあるとは正直驚きだ。だが冷静に考えてみると、フラムの交友関係の狭さからいって思い当たる人物は一人しかいないことに気付く。


「なるほどね、イグニスか。それなら俺がゲートをここに作ってイグニスを迎えにいってくるよ」


「うむ、正解だ。だが主がわざわざ出向く必要はないぞ。私に任せるのだ」


 一体どうやって、と聞く前に突如として石畳に変化が訪れる。

 紅く小さな魔法陣が白い石畳の上に展開されると、そこからイグニスが礼儀正しく頭を下げながら姿を現したのだった。


「皆様、ご無沙汰しております。この度はわたくしめをお呼びいただき、大変嬉しく存じます」


 嫌味や裏表を全く感じさせない完璧な微笑を浮かべるイグニスの言葉で、一つ思い出したことがあった。


「久しぶり、イグニス。そういえば最近屋敷に帰ってなかったね。ナタリーさんとマリーは元気にしてる?」


 ノイトラール法国に向かう道中では何度かゲートを使い、屋敷へと戻っていたこともあったが、ここ最近は忙しかったこともあって、かれこれ二週間以上屋敷に帰っていなかったことをイグニスの言葉で思い出す。


「ご心配には及びません。親子仲睦まじく仕事に精を出しておりますので」


 元気なようで何よりだが、働きすぎているのではないかと心配にもなる。


「まだ当分帰れそうにないし、屋敷の清掃とかは最低限で問題ないから、二人には働きすぎないように計らっておいてくれるかな? 勿論イグニスも適度に身体を休めてほしい。呼び出しておいてなんだけどさ」


「ご配慮感謝致します」


 こうでも言っておかなければ、おそらくイグニスはずっと休むことなく働き続けることだろう。いや、もしかしたらイグニスの場合、ナタリーさんとマリーだけを休ませて自分はそのまま働き続けるかもしれないが、何も言わないよりはマシなはず……だ。


「イグニスよ、お前を呼び出した理由はわかっているな?」


 フラムの唐突な無茶ぶりが始まる。

 イグニスに対してはいつもそうだ。二人は王と臣下の関係ではあるが、イグニスはフラムに嫌気が差さないのかとこちらが心配になるほどだ。

 今回の場合は特に酷い。いくらなんでも何の事情説明もなしに、呼び出された理由など普通に考えてわかるはずがない。

 そう思っていたが、イグニスの優秀さは俺の想像を遥かに超えていた。


「状況から推察させていただきますと、横たわっている者たちと皆様が戦われ、そしてその後の処理に困っていらっしゃる、といったところでしょうか」


「うむ、まぁ五十点といったところだな」


 フラムの些か――いや、辛すぎる採点に俺は唖然とした。

 ほとんどヒントのない状態であるにもかかわらず、ほぼ満点の回答をしたイグニスに同情を禁じ得ない。

 端から見れば二人の関係性はまさに暴君と忠臣。

 あまりにもイグニスが可哀想だと思いながら、二人の会話に耳を傾ける。


「イグニスを呼んだ理由は他でもない。そこで寝転がっている奴らの記憶を抹消するのだ」


「記憶の抹消……でございますか?」


「そうだ。お前なら出来るだろう?」


 問い掛けるような言葉とは裏腹に、『出来ないとは言わせない』といったような雰囲気がフラムから漏れ出ている気がしてならない。

 まさに暴君。

 その光景を見ると、俺とフラムの主従関係が逆じゃなくて良かったと心の底から安堵してしまう。


「期待に添えず申し訳ありませんが、フラム様が仰っているであろう私めのスキルは、そこまで柔軟性があるものではございません。所詮は催眠の類い。記憶の抹消までは不可能でございます」


「ならば、何が出来る?」


 このままではあまりにもイグニスが可哀想だと判断した俺は、会話の主導権を握るべく口を挟もうとした。――が、優秀過ぎるイグニスには不要な心配だったようだ。

 余裕を持った微笑を浮かべ、こう答えた。


「――記憶の改変程度なら」


「ほう」


「記憶を完全に消し去ることは私めのスキルでは不可能ですが、記憶の、認識の一部だけを改変するだけでしたら問題はごさいません。しかしながら制限もございます。あまりにも事実とかけ離れてしまうと、私めのスキルが破られる恐れがございますので、その点だけはご注意下さい」


「だ、そうだぞ、主よ。記憶をどう改変させるかは主に任せる」


 なかなかの難題を押し付けられたが、この機を逃す手はない。

 問題は記憶をどのように改変するかにある。

 俺たちと出会ったことを無かったことにするのは止めておいた方が良いだろう。

 何故ならホラーツたちは元々三人で行動していたからだ。倒れている二人の記憶を改変しても、この場にいないもう一人の記憶を改変出来ない以上、どうしても認識の齟齬が生まれてしまう。

 これでは記憶を改変したことにホラーツ本人が気付かなかったとしても、他者から記憶が書き換えられていることを指摘されてしまうだろう。


 矛盾や齟齬が生まれないようにするにはどうするべきか。

 俺は五分程度時間を使い、一つの答えを導きだした。無論、それが正しい答えなのかどうかはわからないが。


「イグニス、記憶の改変を頼めるかな?」


「かしこまりました。どの様に致しましょう?」


「二人には『俺たちを殺しはしたが、激戦のあまり力尽きて倒れていた』。そんな風に改変してほしい」


「承知致しました。ですが死体がこの場にないとなると、記憶の改変に気付かれてしまう可能性が」


 確かにその通りだ。詰めが甘過ぎたようだ。


「だったらそれにこう加えよう。『敵は魔法の制御に失敗し、灰となって燃え尽きた』って感じにね。てなわけで皆、力を貸してほしい」


 俺たちは全員が全員火系統魔法を使うことが出来るということもあり、偽装工作は僅か数分足らずで完了。そして俺たちはホラーツたちを残し、その場を後にしたのであった。

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