第278話 過度な自信
俯き、身体を微かに震わせているホラーツ。
その表情は俺の位置からは確認出来ない。しかし、恐怖で身体を震わせているわけではないことだけは、ホラーツの態度からわかった。
「――フフッ……アハハハハッ! 面白い!本当に貴女は面白い! 私が過ちを犯したと? いいえ、それは違います。全て私の思惑通りに事が進んでいるのですよ。真実がどうあれ、ここで貴女方を捕らえ、ノイトラール法国を脅かす間者として処分させていただく。そうすれば全てが丸く収まるのです。なので貴女方には申し訳ありませんが、大人しく捕まって下さい」
「……頭が痛くなってきたぞ。やはり貴様は大馬鹿者らしい。私のありがたい諫言を聞いていなかったのか? 貴様ら二人だけで私たちをどうにか出来ると考えていることが過ちだと言ったはずだぞ?」
「その点に関しても問題はありません。私は戦闘とは無縁の司教という肩書きを持っていますが、実のところ少々腕には自信があるのですよ。ですが過信はしていません。だからこうして信頼出来る部下を連れて来たわけですから。例え貴女方がそれなりの実力を持った冒険者だとしても遅れを取る可能性は皆無と言えるでしょう」
ホラーツは視線で部下に合図を送り、それに応えて体格の良い男は拳を手のひらに叩きつけながらホラーツの一歩前に進み出た。
男の装備を見る限り、武器を持たずに素手で俺たちとやり合うつもりのようだ。
しかしながら、ホラーツは冷静さを失っているように思えてならない。
口調こそ落ち着きを取り戻してはいるものの、言ってることは滅茶苦茶。もはや滑稽と言ってもいいほどである。
冷静に物事を考えれば、俺たちの実力が全くの未知数であることに気付いて然るべきだ。
今この場にはいない部下に『鑑定』を使わせただろうことは状況から考えるとほぼ確実。であれば、俺たち三人全員に『鑑定』が通用しないということがどれほど異常なことなのか理解出来そうなものだが、どうやらホラーツはその事実に気付けていないようだ。いや、もしかしたら気付いていても、なお勝てると勘違いしているのかもしれない。
「主よ、この場合はどうした方が良いと思う? こいつらを殺すのは簡単だが……」
フラムの言いたい事はなんとなく理解できる。
ここでホラーツたちを殺してしまえば、ほぼ間違いなくノイトラール法国の一部の者たちはさらに警戒心を高めることになってしまうだろう。下手をすれば、国家総出で俺たちを炙り出すために動き出す可能性さえある。
そう考えると、ホラーツを殺してしまうのは悪手になるかもしれない。だからといって放置することも出来ないのだが、さて……どうするべきか。
ひとまず俺は、フラムが勝手に暴走しないよう一歩前に進み、ホラーツとの対話を試みることにした。
「一つ聞いてもいいですか?」
「構いませんよ。何か私に言い残したいことでもあるのでしょうか?」
既に勝った気でいるようだが、俺はそれを無視して話を続ける。
「どうして俺たちに罪を着せようと考えたんですかね?」
先程のホラーツの口振りからして、俺たちが輸送部隊を尾行した真犯人だという確証は持っていないようだった。にもかかわらず、何故ホラーツはこのような強行手段に出たのか。それがどうしても俺は気になっていたのだ。
「そんなことですか。……まぁいいでしょう。理由はいくつかありますが、正直なところそれなりに強ければ誰でも構わなかったのですよ。そして偶然貴方方を見つけた。ただそれだけの理由です」
かなり有益な情報を得られたと言えるだろう。
まだノイトラール法国は、マヌエル・ライマン枢機卿は俺たちに辿り着けていない。これがわかっただけでも、このゴタゴタに巻き込まれたお釣りが十分に返ってきたと考えてもいいほどだ。
「それはそれは……本当に酷い理由だ。この場合、正当防衛は成立するのかな?」
丁寧な口調はもうやめだとばかりに普段の口調に戻す。
ホラーツは完全に俺たちに危害を加えるつもりでいるのだ。そうである以上、相手に敬意を払う必要性は感じられない。
「正当防衛ですか。貴方もなかなか面白いことを言う。ですが、残念ながら正当防衛は成立しません。何故なら――」
そう口にした瞬間、ホラーツが動き出す。
鞘からロングソードを抜き、俺との距離を一気に潰しにかかる。
「――貴方は私に勝てないからですよ!」
振り上げられたロングソードは俺の頭を目掛けて振り下ろされる。
「遅すぎる」
常人を遥かに超えた俺の動体視力をもってすれば、ホラーツの剣などもはや止まって見えるほどに遅い。
半歩後ろに下がるだけでホラーツの剣は空を斬った。
「――チッ!」
舌打ちと共にホラーツは後ろに跳び下がる。
その辺りの状況判断はなかなかのもの。もしあのままもう一撃入れて来ようものなら、鳩尾に拳を叩きつけ、返り討ちにしていたところだ。
「私の拙い剣技では流石に通用しませんか。ですが、貴方がそれなりに出来る人物だとわかっただけでも良しとしましょう。今の一撃で殺られるようであれば、それはそれで問題でしたから」
雰囲気からして、強がりを口にしているわけではなさそうだ。そして後半の言葉も嘘偽りのない本音のように感じられた。
「こうすけ、一人で大丈夫? 危ないと思ったら絶対助けるから」
ディアの心遣いは嬉しい。だが、何も問題はない。
「ありがとう。気持ちだけ貰っておくよ」
ディアに目配せし、言葉以外でも大丈夫だと安心させる。
「うんっ」
俺の表情から心配はないと判断してくれたようで、ディアは微笑みながら頷き返す。
「主よ、私は腹が減ってきている。だからさっさと終わらせてくれ」
フラムはディアとは対照的に何も心配してはいないようだ。手をヒラヒラと振り、心の籠っていない雑な応援をしてくれている。
「私を無視するとは随分と余裕があるみたいですね。その余裕がいつまでも続くと思っているのであれば、それは大きな勘違いであるとその身に教えて差し上げましょう。――行きますよ」
ホラーツの言葉に反応し、それまで動こうとする気配がなかった体格の良い男が拳を構え、ホラーツはその男の背後へと移動した。
これから相手が何をしてくるのか。
それは『
そしてその予想は、見事的中することになる。
突如として俺の身体を上から押さえつけるような力場が発生し、徐々にその力は強まり身体の動きが鈍重になっていく。
その力の正体はホラーツが持つスキルにある。
――
重力を自在に操ることが出来る力場を発生させる能力。
戦闘面において、かなり強力なスキルだと言えるだろう。
だがしかし、所詮は英雄級スキル。多少の動きにくさは感じるものの、俺の動きを完全に封じ込めるほどの力はない。
重力場は俺を中心とした周囲五メートル前後に展開されている。ちなみにディアとフラムの二人はしっかりと重力場から逃れていた。
「これで終わりではありませんよ? ここから始まるのです」
勝利を確信したかのような笑みをホラーツは浮かべる。
その自信がどこから湧いてくるものなのかは当然俺は理解していた。
重力場が展開されているにもかかわらず、ホラーツの部下は俺に向かって駆け出し、そして何の躊躇もなく重力場に足を踏み入れた。
だが男は重力場の影響を微塵も感じさせない動きを見せる。
この重力場をものともしない男の動きこそがホラーツの自信に繋がっているのだろう。
男が持つ英雄級スキル『自重操作』とホラーツが持つ『重力場』との相性が故に。
「――フッ!」
鋭い突きが俺の顔を目掛けて飛んでくる。
身体の動きは依然として重い。だが避けられないほどではない。
首を傾け、男の右拳を寸でのところで回避する。
「なにっ!?」
そして俺は隙を見せた男の右腕を掴み、フォレスト・スコーピオンから手に入れた
「一体……何が……」
部下が地に伏したことで、ホラーツは茫然自失しているようだ。
「その程度の力じゃ俺を止めることは出来ない。ただそれだけだ」
茫然自失しているホラーツとの距離を一息で詰め、先程の男と同様に『麻痺毒』を用いてホラーツの意識を奪い、戦いはあっさりと終わりを迎えたのであった。
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