第277話 大馬鹿者
ホラーツの存在に気付き横道へと逃げ込んだ俺たちは、平然を装いながらゆっくりとした足取りで歩いていた。あたかも何も事情を知らない無関係の一市民のように。
だが、現実はそう甘くはいかない。
「主よ、どうやらつけられているようだぞ」
フラムは後ろを振り向くことなく、淡々と事実を口にする。しかし、そこには焦りの感情は見られない。
「面倒なことになったな……」
「こうすけ、どうするの? 逃げようと思えば逃げきれると思うけど」
ディアの推測に間違いはない。
実際、尾行を撒こうと思えば簡単に撒ける自信はある。
しかし、だ。ここで安易に走り出してしまえば、『怪しい者です』と自己申告しているようなもの。
既に遠目ではあるが顔を見られてしまっている以上、大胆な行動に出るのは得策ではないだろう。
「いや、このままゆっくり歩いていよう。下手に動くと余計に怪しまれるだろうし、何よりここは人通りが多い。向こうもこんな状況でいきなり襲ってくるような真似はしてこないはずだ」
流石に大通りほどではないが、人通りは少なくない。ここで荒事を起こせば間違いなく人目を引くことになるため、向こうも無理な行動は出来ないだろうと俺は判断した。
それから歩くこと約五分。未だに俺たちは尾行され続けていた。
「諦める気配はなさそうだぞ。それどころか徐々に距離を詰めてきているな」
「このまま闇雲に歩き続けても無駄かもしれないね。だからといって宿に戻るわけにもいかないし……」
俺たちが泊まっている宿を特定されることは避けなければならない。特定されてしまえば張り込みをされ、今後の活動に支障が出る恐れがあるからだ。
しかし、いつまでもこのままというわけにはいないのもまた事実。
俺は打開策を探すべく、不自然にならない程度に周囲を見渡した。
だが、時既に遅し。先手を打たれてしまう。
「申し訳ありませんが、少々お時間よろしいでしょうか?」
背後から敵意も害意も感じさせない丁寧な口調で、俺たちは話し掛けられる。その声の持ち主が誰であるかは振り返るまでもない。
ため息をグッと堪えつつ、僅かに肩を落としながら俺はゆっくりと振り返る。するとそこには案の定、ホラーツと体格の良い男が立っていた。
「ええっと……どうかしましたか?」
いきなり知らない人に話し掛けられて困惑している、といった風な演技をしながら、笑みを浮かべていたホラーツに俺は視線を合わせた。
すると、ディアも俺に続けとばかりに首を傾げてみせる。そしてフラムは……というと、暇だと言わんばかりに小さな欠伸をしていた。
「
そうだと認めるのは癪だが、ホラーツの言い方して白を切るのは難しいだろう。仕方ないが、ここは認めざるを得ない。
「そうですが、それが一体?」
「そうでしたか! それは良かった! 本当に……本当に……」
ホラーツは心の底から言葉通り喜んでいるように見える。その姿があまりにも不気味で俺は激しい警戒心を抱く。
「申し遅れました。私の名はホラーツと申します。聖ラ・フィーラ教の司教として神ラ・フィーラ様に仕える身でございます。以後お見知りおきを」
「……」
どうやらホラーツの隣に立つ男は自己紹介をするつもりはないようで、軽く会釈するだけに留めていた。ホラーツからも男についての説明は何もない。
「聖ラ・フィーラ教の司教様が、しがない冒険者である自分たちに何かご用件が?」
ホラーツから持ち出された自己紹介の流れを回避すべく、それとなく話題を逸らす。
ここで偽名を名乗ることはそう難しいことではない。むしろその場しのぎとしては有効的だろう。だが俺はその選択を取ることはなかった。
理由はいくつかあるが、一番の理由は偽名を名乗ることのリスク。
この国は出入国を徹底的に管理している。ここで下手に偽名を名乗れば、後々偽名を名乗ったことが露呈する恐れがあると俺は踏んだのだ。
しかしホラーツは、俺が作り出した流れに乗ってくれるほど甘い人間ではなかった。
「勿論ですとも。用があったからこそ、こうして話し掛けさせていただいたのですから。ですがその前に……皆様のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
こうまで深く問い詰められてしまえば、名乗らざるを得ない。ここで名乗ることを拒否するような真似をすれば、必然的に相手は俺たちをさらに怪しんでくるだろう。何か後ろめたいことがあるんじゃないか、と。
本名を名乗るべきか、偽名を名乗るべきかの選択を迫られる。
時間はない。すぐにでも決断しなければならない。
そんな時だった。隣に立つフラムが声を上げたのは。
「――フロディア」
「――なっ!」
フラムの言葉にホラーツは過剰な反応をみせる。だがその反応も仕方がないものだと言えるだろう。聖ラ・フィーラ教徒なら誰もが同じ反応を示したに違いない名前なのだから。
「ははっ、なんてな。冗談だぞ、冗談」
フラムの横顔を横目で見てみると、薄らと口元に笑みを浮かべていた。ただしその笑みは、どこか冷酷さを感じさせるもの。少なくとも俺にはそう見えた。
「……全く笑えない冗談です。その忌み嫌われた名を聖ラ・フィーラ教の司教である私に告げるなど……。貴女の神経を疑いますよ」
「そうか? 私はフロディアという名は嫌いではないぞ。むしろ好ましいと思っているほどだ」
フラムの発言を聞いたホラーツの顔は見る見るうちに赤く染まっていく。拳を震わせていることからも、その怒りは計り知れない。
「貴女は――いえ、貴様は邪教徒か?」
がらりとホラーツの口調が変化する。もはや感情を隠すつもりはないらしい。
「何を以て邪教徒とするのだ? 貴様らのくだらなく誤った歴史観のことであれば、それを私に押しつけるな。虫酸が走る」
怒りの感情を抱いていたのはホラーツだけではなかった。それどころかフラムの方がホラーツのそれを上回っているように思える。
「確か……ホラーツと言ったな? 私たちに何の用があるかは知らないが、場所を変えようではないか。その方が貴様としても都合が良いだろう?」
「……そうですね。今回は貴女の提案に乗りましょう。私についてきてください」
フラムのおかげでホラーツに名乗ることは避けられそうな展開になったが、果たしてフラムは計算してあのような言動をしたのかどうかは不明のままだ。
俺はフラムに心の中で感謝しつつ、自分を情けなく感じたのだった。
「ここなら人目がありませんので、お互いにじっくりと話し合うことが出来るでしょう。ご満足いただけましたか?」
ホラーツが俺たちを案内した先は、まだ日が沈む時間ではないにもかかわらず、薄暗く人の気配が全くない場所だった。
「ふむ。なかなか良い所ではないか。しかし、人の気配が一つもないのが気になるところだがな」
「ええ、それはそうでしょう。ここはそのように造られた場所ですから。周りを囲む建物は全て見かけ倒し。人ひとり建物の中にはいませんよ」
つまりここは、ノイトラール法国が意図的に造った暗部と呼ぶべき場所なのだろう。
この場で誰を殺そうと、ホラーツの背後にいる何者かが秘密裏に処理してくれるというわけだ。
「それは良い話を聞いた。だが貴様は大馬鹿者のようだな」
「私が大馬鹿者……ですか? 何を言って――」
「貴様が犯した過ちを教えてやろう。貴様は人目がない場所に私たちを連れていくべきではなかった。そして何より、貴様ら二人だけで私たちをどうにか出来ると思い上がったのが致命的な過ちだ。せめてこの場に仲間を潜ませておくべきだった。まあどのみち貴様の命運は何一つとして変わることはないがな」
フラムの宣戦布告とも取れる発言は、ホラーツの冷静な思考を奪い去った。
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