第280話 違和感と疑念
「――ラーツ様! ホラーツ様!」
大きな声と共に身体を大きく揺さぶられ、ホラーツは微睡みの中から目を覚ます。
「――いッ! 私は一体……?」
目を覚ましたばかりのホラーツに激しい頭痛が襲いかかる。だがその頭痛は一瞬で治まり、ぼんやりとしていた意識が徐々に覚醒していく。
「ご無事のようで安心致しました」
安堵の表情を浮かべる部下の言葉で、ホラーツは己の身に何が起きたのかを思い出す。
「あぁ……そうでした。あの大炎渦巻く中、こうして互いに生きていたのは奇跡と言わざるを得ませんね。これも全てラ・フィーラ様の御加護があってのことでしょう」
「間違いございません。神に感謝を」
「……ええ」
曖昧な返事をしつつ、どこか腑に落ちない感覚を抱いたホラーツは頭の中を整理していく。
(確か私たちは三人組の冒険者をここへと連れ出し……戦った。戦いは苛烈を極め、最終的に相手は限界を超えた無理な魔法の行使で自爆。それに巻き込まれた私たちは気を失った。そうです、これで間違いないはずです。ですが……この違和感は一体……?)
違和感を言葉にする術をホラーツは持てずにいた。ただ漠然と『何かがおかしい』と心が訴えかけてくるだけだった。
「私たちは勝った。これで間違いありませんね?」
ホラーツの問い掛けに対し、部下は訝しげな顔をしながら首を傾げる。
「……? はい、間違いなく。周囲をご覧下されば確信していただけるかと」
部下はホラーツの言葉の意味を正確に捉えることは出来なかった。ただ単にホラーツが戦いに勝利した実感を持てていないだけだと解釈してしまう。
未だに違和感がどうしても拭いきれないホラーツは、ひとまず部下の言う通りに周囲を見渡すことにした。
白い石畳や周りを取り囲む建物の壁面は黒く焦げ、そして地面には完全に炭と化した人と思われる焼死体が三つ転がっている。もはやその死体は人の形すら保てていない有り様だった。
「確かに……。少し神経質になりすぎていたようです。それにしても酷い臭いですね」
「仰る通りかと。ですが私はすっかり慣れてしまいました」
「それはそれで問題ですね。後で治癒魔法師に診てもらった方が良いと思いますよ」
場を和ますための部下の冗談に付き合う余裕がいつの間にかに生まれていた。
違和感は次第に薄れていき、今となっては微かに頭の片隅に残る程度になっていた。
(私は賭けに勝った。後はライマン枢機卿に報告を済ませればそれで終わり。憂いは全て解消出来るでしょう)
「それでは私は報告がありますので、先に失礼させていただきますよ。この場の後処理はお任せします」
「かしこまりました」
死体の回収とこの場所の修繕を部下に任せ、ホラーツは一足先に教会へと戻ったのだった。
時刻は夜七時。
フルフトバーカイト教会の最上階に位置する一室に、マヌエル・ライマン枢機卿は足を運んでいた。
「失礼する」
入室と共にライマンはそう一言告げる。
「どうぞお掛け下さい、ライマン枢機卿猊下。こうして毎日足を運んで下さり、法皇様もお喜びになっていることでしょう」
ライマンに言葉を返したのはこの部屋の主ではなく、聖ラ・フィーラ教徒の中で最優とされる治癒魔法師であった。
この部屋は法皇の私室兼執務室。
ライマンは毎晩この時間になると、謎の病によって眠り続けている法皇の見舞いに来ていた。
「法皇様の容態は……聞くまでもなし、か」
青白い顔色をしてベッドで目を瞑る法皇の様子を一瞥し、瞬時に状況を察する。
「……はい、残念ながら。私にもっと力があれば――ッ!」
唇を強く噛み締め、己の不甲斐なさを治癒魔法師は嘆く。
最優と呼ばれている治癒魔法師のプライドも、今となってはズタボロになっていた。
「そう己を責めるでない。何も出来ぬのは私とて同じ。今はただ祈る他あるまい」
「……枢機卿猊下」
甘く優しい言葉を掛けてくれたライマンに、治癒魔法師は瞳を潤ませ、頭を深く下げる。
そこには確かな尊敬と信頼感があった。
「法皇様の快復を祈りたい。良いだろうか?」
「勿論でございます。ライマン枢機卿猊下が祈って下されば、我らの神も必ずや祈りに応えて下さるでしょう」
この一連の会話は毎晩行われているものであり、治癒魔法師がライマンの行いを断る理由も気持ちも一切なかった。
ライマンは法皇のベッドの横で膝立ちになり、枯れ枝のようになってしまった法皇の細い手を両手で包み込み、目を瞑る。
端から見れば、ライマンの行為は静かに神に祈りを捧げているようにしか見えない。
しかし、その実情は全く異なるものであった。
(毎晩足を運ぶのは面倒だが、こればかりは仕方なし、か)
祈りとは程遠い辛辣な言葉を心の内でライマンは呟いていた。
それもそのはず、ライマンは法皇の快復を祈るためにわざわざ毎晩足を運んでいるわけではなかったからだ。
実際はその逆。
法皇が目覚めることがないようにライマンは足を運んでいたのだ。
ライマンは自身が持つスキルの力によって、法皇の魔力を生命が維持出来る限界まで抜き取っていた。故にライマンが法皇の見舞いを続ける限り、法皇が目覚めることは決してない。
では何故ライマンは法皇を生かし続けているのか。
それは、上からの命令を待っているからに他ならない。
殺してしまうべきなのか、否か。その判断を仰ぎ、今は回答を待ち続けている状態であった。
「長居をしては法皇様に申し訳ない。私はこれにて失礼させてもらおう。明日もまた来る」
「またのお越しをお待ちしております、ライマン枢機卿猊下」
限界まで魔力を抜き終わったライマンは、これ以上無駄な時間をここで費やすのは御免被るとばかりに、足早に法皇の部屋を後にした。
自室に戻り、身体を休めようとしていたライマンだったが、そうはいかなかった。
自室の扉の前にホラーツが立っていたからである。
「ホラーツ司教、私に何か用か?」
「ライマン枢機卿、ご報告がございます」
心なしかホラーツの声に活力のようなものをライマンは感じつつ、ホラーツを部屋に通した。
「して、用件とは?」
「はっ。鼠の処分が無事完了したことを報告に参りました」
「……ほう」
正直なところライマンは、ホラーツが鼠の処分をやってのけるとは全く思いもしていなかった。故に、自然と感嘆の声を漏らしていた。
「結局のところ、鼠の正体は何者であったのだ?」
「申し訳ありませんが、今は三人組の冒険者であるとしか情報がございません。しかし一戦交えた感想としましては、その実力はかなりのもので、おそらくはAランク……もしくはSランク冒険者なのではないかと考えております」
自信に満ちた様子で報告するホラーツだったが、ライマンはホラーツの報告に一つ大きな疑念を抱く。
「三人組の冒険者で、その実力はAランクまたはSランク相当だったと?」
「はい、その通りでございます」
やはりおかしい、とライマンは疑念を深めていく。
ホラーツの実力はAランク冒険者程度。にもかかわらず、三人組のAランクないしSランク冒険者パーティーを倒したとは到底考えられなかったからだ。付け加えるならば、ホラーツに与えた権限内で動かすことが可能な人員も、ライマンからすればたかが知れた実力を持つ者しかいなかったのも理由の一つだった。
「始末するにあたり、どのような手段を用いた?」
「私の持つスキルと相性の良い者と共闘し、激闘の末に相手の自爆という形で戦いは幕を閉じました」
「自爆……だと? それは確かか?」
「はい、間違いありませんが……? 三人組の冒険者は全員が火系統魔法の使い手だったのですが、その内の一人が無理に魔法を行使し――」
ライマンは一つの結論に達し、ホラーツの話を全て聞き終える前に話を遮った。
「――死体は回収したであろうな? まずはそれを私に見せよ」
ガラリと雰囲気が変化したライマンに底知れぬ恐怖を抱いたホラーツは、回収した死体を安置した場所までライマンを案内することにした。
「これが件の鼠の死体だと言うことで間違いはないか?」
人の原型をとどめていない黒い物体に触れたライマンは、怒りで震えそうになる声を精神力で捩じ伏せ、ホラーツにそう問いただした。
「は、はい。間違いありません」
「……そうか、ご苦労であった」
労いの言葉を掛けつつ、ライマンはホラーツにそっと近寄る。
そして、ライマンはホラーツの命の灯火を容易く吹き消した。
その場所には黒い三つの炭と化した
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