第268話 小さなミス

 ――治癒魔法師の突然死事件。


 そう言ったボーゼ・レーガー枢機卿はその後、事件の顛末を端的に説明してくれた。

 曰く、最初の死亡者が出てから今日に至るまでに死亡した治癒魔法師の数は三十人以上にも及んでおり、死因は不明。さらに不思議なことに、死因が判明していない治癒魔法師たちは全員、遺体が発見される数日前から姿を消していたとのこと。


「遺体には特にこれといった外傷がなく、毒に侵された形跡もなかったことから、書類上は突然死として扱うことになったが、殺人事件として憲兵に調査させている。だが未だに犯人どころか何一つとして手掛が掴めていないのが実情だ……」


 話を聞く限り、何者かによる殺人事件であることはまず間違いないだろう。

 しかし、一向に捜査が進展していないことに関しては首を傾げざるを得ない。

 三十人以上の犠牲者が出ているのだ。目撃情報の一つや二つくらいあってもいいはず。さらに付け加えるのならば、遺体が発見されているということは、つまるところ何処かしらに遺体が遺棄されていたことに他ならない。

 遺体の第一発見者や遺体のあった場所などを重点的に捜査すれば、少なからず手掛かりが手に入りそうなものだと思ってしまうのは、俺がその手に関して無知だからだろうか。

 だがそんな無知な俺でも、今の話におかしな点があることには流石に気づくことが出来たため、疑問を呈する。


「毒に侵された形跡がなかったとのことですが、でしたらその事件はドルミール草とは何ら関係がないということになりませんか?」


「コースケ殿の疑問はもっともだ。しかし、何事にも例外は存在する。聖ラ・フィーラ教に仕える治癒魔法師は、ドルミール草から作られている魔力回復薬を服用しているものがほとんどだ。いや、全員と言っても過言ではない。故にドルミール草の成分が体内に残っていたとしても、それに疑問を抱く者は私を除いて誰もいないのだよ。例え残留濃度が多少高かったとしてもだ」


 ボーゼ・レーガー枢機卿の言い方で俺はある程度事情を察する。

 どう調べたのかまではわからないが、つまり遺体にはドルミール草に含まれる成分が通常の遺体よりも多く残留していたのだろう。

 しかしそのことに疑問を持つ者は、ドルミール草が悪用されているのではないかと疑っているボーゼ・レーガー枢機卿以外にはいなかったというわけだ。


 なるほど、納得である。

 ドルミール草の成分が体内に多く残されてたことを踏まえて、ボーゼ・レーガー枢機卿はドルミール草が悪用されている可能性がより高くなったと考えた。

 だが、だからといってドルミール草が直接の死因になっていると断言することは不可能に近い。もしそのようなことを周囲に説明したとしても、いくら枢機卿の言葉だとしても信じる者はほとんどいないだろう。


「先生、私からも一つよろしいでしょうか?」


「何だね?」


 エルミールからの突然の問いに、ボーゼ・レーガー枢機卿は父性を感じさせる優しい声音で言葉を返す。


「教会に地下施設のようなものは存在するのでしょうか?」


 エルミールが指している教会とは、言うまでもなくノイトラール法国にある聖ラ・フィーラ教の総本山のことだ。当然、ボーゼ・レーガー枢機卿もその意味を違えることはない。


「地下施設? 施設というほどの仰々しいものはない。倉庫として使用している地下室程度ならいくつかあるが」


「そうでしたか。でしたら教会のすぐ近くにある広場に、地下空間が存在していることはご存知ではないようですわね」


「……あの広場に地下空間が? それは本当か?」


 あの広場に地下空間があることなど全く知らなかったという反応を見せる。俺はボーゼ・レーガー枢機卿の一挙一動を凝視していたが、その反応は演技には見えなかった。


「ええ、おそらくは。探知系スキルを持つ彼女が、広場の地下に人の反応があったと言ってましたので、ちょうど三日前の深夜に私たち全員で確認しに行きましたの」


 彼女とは勿論フラムのことだ。フラムとは言わずにあえて『彼女』と言ったのは、二人の仲の悪さから来るものだろう。


「するとそこには、深夜にもかかわらず広場を警戒していると思われる集団がいたのですわ」


「広場を警戒する集団がいただと? そのような指示を私は出していないし、憲兵を出動させたという報告も受けていなかったはずだ」


「それも当然のことですわね。その集団は憲兵ではありませんでしたから。見たところ、貧民街の者たちで間違いないかと」


「……なるほど。であれば、私が知らなかったのも頷ける話だ。その地下空間については私の方でも調べてみよう。十中八九マヌエル・ライマン枢機卿が関わっているであろうが」


「先生からの知らせを期待しておりますわ」


 優しげな微笑みを浮かべるエルミール。

 そこには普段の傲慢とも取れる態度を見せる彼女の姿は綺麗さっぱり消え失せていた。完璧に猫を被っているのか、もしくはそれが本来の彼女の姿なのか、俺にはわからない。


「ははは、これは参ったな。エルミールにそう言われてしまった以上、私なりに最大限努力するつもりだが、期待に応えられるかどうかは中々に難しいところだ。奴は――マヌエル・ライマン枢機卿は極めて慎重な男。対立する立場にある私に尻尾を掴ませてくれる可能性は限り無く低いだろう」


 前半は冗談めかした返答だったが、後半部分に関しては真剣そのものだった。おそらくボーゼ・レーガー枢機卿は、己だけで真相に辿り着くことは不可能だと本能的に理解しているのかもしれない。


 話し合いが始まってから、およそ一時間が経とうとしていた。

 何処からともなく懐中時計を取り出したボーゼ・レーガー枢機卿はチラリと時刻を確認すると、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 ちなみに懐中時計は、この世界ではかなり高価な物だ。豪邸を一軒――とまでは流石にいかないが、王都に普通の一軒家を建てられる程度には値が張る代物である。

 そのような物を持っているということは、やはり枢機卿という地位に相応しいほどの稼ぎがあるのだろう。


「どうやら私はそろそろ教会に戻らなければならない時間になってしまっていたようだ。すまないが今日はこれでお開きにしよう。また何か情報を得た際には連絡をしてほしい。エルミール、エドワール、頼んだぞ」


「もちろんですわ」


「任せてよっ」


 席から立ち上がったボーゼ・レーガー枢機卿は双子の姉弟の頭を大きな手で優しく撫でた後、俺たちへと視線を向け、去り際に言葉を残す。


「どうかよろしく頼む」


 その言葉の中には『二人のことを』という意味合いが含まれていたような気がした。


――――――――――――――――――――


 ボーゼ・レーガーが紅介たちとの話し合いを行ったその日の深夜。


 同じリズムで扉が三回ノックされる。


「入りたまえ」


 部屋の主であるマヌエル・ライマン枢機卿は、視線を机の上に広がる書類に向けたまま入室の許可を出す。


「失礼致します」


「どうであったか?」


 ライマンの視線が部下に向けられることはない。視線はそのままに、極めて端的に報告を促した。


「はっ。ボーゼ・レーガーは、猊下が睨んだ通りにSランク冒険者パーティーである『比翼連理』に接触したとのことでございます」


「そうであるか。もしやとは思うが、悟られるような真似をしてはなかろうな?」


「勿論でございます。監視役には接触を確認した後、即座に撤退するよう言い聞かせましたので」


「ならばよろしい。ご苦労であった」


 ライマンはその日、ボーゼ・レーガーを監視させていたのだった。

 ボーゼ・レーガーと『比翼連理』に繋がりがあることは当然のようにライマンは知っていた。さらには『比翼連理』の宿泊先までも。

 そこでライマンは、ボーゼ・レーガーが外出することを知り、急遽監視をつけることに決め、その報告を今しがた耳にしたのである。


 報告内容は満足のいくものであった。

 しかし、ライマンは知らず知らずのうちにミスを犯していた。

 それは慎重過ぎる性格を持っていたが故の小さなミス。


 ライマンは監視をつけさせる際に、『比翼連理』が泊まっている宿に近付き過ぎないよう、そして『比翼連理』との接触が確認出来た瞬間に撤退するよう注文をつけていた。

 そのため、その場に『紅』なる冒険者パーティーがいたことを知る、絶好の機会を逃してしまっていたのである。


 些細なミス。

 だがそのミスは後に、致命的なものであったとライマンは後悔することになる。

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