第267話 愚かな制度
法皇が『
そして何より気になるのが、原因不明の病の正体である。
教会は多くの治癒魔法師を抱えており、なおかつ『治癒の聖薬』という奇跡染みた薬を生産しているのだ。それらを活用すれば、病を治すことが出来るのではないだろうか。
「医者や治癒魔法師、それと……『治癒の聖薬』を使っても法皇様の病は治らなかったと?」
「ああ、出来る限りの手は全て尽くした……。が、それでも法皇様の病が治ることはなかった。それどころか、原因さえもわからないままだ」
余程ボーゼ・レーガー枢機卿は法皇のことを尊敬し、そして心配しているようだ。険しい表情と覇気が感じられない声は、悔しさや不安などの感情が隠しきれていなかった。
「……そうでしたか」
下手な同情は逆効果になりかねないと判断した俺は、掛ける言葉が見つからず、短くそう答えるに留める。
だが、そんな気遣いさえも悪手となってしまう。
俺の歯切れの悪い返答のせいか、その後に続く言葉は誰からも発せられることなく、途端に場の空気が重たくなってしまったのである。
この空気を打ち破ることが出来るのはボーゼ・レーガー枢機卿を除いて他にいないことだけは確か。
俺は大人しくボーゼ・レーガー枢機卿の次の言葉を待つことにした。
手の空いたエルミールが全員分の紅茶を淹れなおし、席に戻ったところで話は再開した。ボーゼ・レーガー枢機卿の纏う雰囲気はすっかり元に戻っていた。
「すまなかったね。仕切り直しといこう。それで、ここまでで何か質問はあるだろうか?」
紅茶が注がれたティーカップに口をつけながら質問を待つボーゼ・レーガー枢機卿に俺は視線を合わせ、口を開く。
「いくつか質問したいことが」
俺はそう切り出した。
聞きたいことは到底一つでは収まりきらない。財政難のこと然り、ドルミール草の件についても知りたいことがいくつかあったからだ。
「私に答えられることなら何でも聞いてほしい」
「では、まず一つ。事の発端が財政難にあると仰ってましたが、結局のところ、財政難と『治癒の聖薬』に何の関係があるんですか?」
「すまない、その事を説明するのを忘れてしまっていた。ノイトラール法国の財政難と『治癒の聖薬』には大きな関係がある。ノイトラール法国の主な収入源は寄付金と税収の二つ。しかし先にも話した通り、シュタルク帝国から多額の借金をしなければならないほどに財政が
「その言い方からすると、法皇様が病に臥せっているから、というわけではなさそうですね」
「……うむ。あまりこんなことを口にしたくはないが、現法皇様はお金という物に無頓着でおられるのだ。法皇様は常日頃から聖ラ・フィーラ教の布教を第一に考えておられている。その結果が税収の減少に繋がり、多額の借金を抱えることになってしまっていたのだよ」
布教を第一に考えた結果、税収が減少してしまったとのことだが、繋がりが全く見えてこない。
普通に考えれば布教をしていくことで信者を増やし、多額の寄付金を集めることが出来そうなものだ。
しかし、ボーゼ・レーガー枢機卿の言葉が確かなものなら、真逆の結果になってしまっているとのこと。
だが、どうしてそうなってしまったのか、といった疑問はすぐに解消される。
「どうやらあまりピンと来ていないようなので、税収が減った原因を説明しよう。一言で言ってしまえば、減税制度に問題があるのだよ。白い建物に白い衣服。国色であり、聖ラ・フィーラ教で最も神聖な色とされている『白』を国民が生活の中に取り入れるだけで、税が減額される制度が国の財政を苦しめてしまっているのが現状だ。無論、税の負担が軽くなったことで大半の国民はゆとりを持った生活を送ることが出来ていることはわかっている。しかし、だ。いくら国民の生活が楽になったとしても、国そのものがなくなってしまえば元も子もない。そして法皇様が病で倒れ、シュタルク帝国から多額の借金をしていた事実が徐々に明るみになったことで急遽臨時会議を開かれることになった。そこでマヌエル・ライマン枢機卿は会議でこう言った。『財政を立て直すため、特産品を開発した』と」
「それが『治癒の聖薬』だったというわけですね」
俺の言葉に対し、ボーゼ・レーガー枢機卿は声を出さずにただ無言で首を縦に振る。
それにしても今の話を聞いた限り、法皇が打ち出した政策は愚策だったとしか言いようがない。
法皇の立場からしてみれば、何よりも大切なのは聖ラ・フィーラ教だという考えは理解出来なくもないが、いくらなんでもやり過ぎだ。
確かに国色であり、聖ラ・フィーラ教を象徴する『白』で国中を着飾らせれば、表面上は国民全てが信者には見えるだろう。
しかし、それはあくまでも表面上だけに過ぎない。
金に目がない商人や中立組織である冒険者ギルドなどが顕著な例だ。減税のためだけに制度を利用しているに過ぎず、そこに信仰心などはありはしないだろう。
加えて言うならば、ノイトラール法国の国民は元より聖ラ・フィーラ教の信者である者が大多数を占めているのだ。にもかかわらず、減税制度などを導入しても税収が減るだけで信者が増えるとは到底俺には思えない。
政治に疎い俺でさえも、この政策は愚策だとしか思えなかった。
財政を立て直すという名目で、マヌエル・ライマン枢機卿が『治癒の聖薬』を生み出し、そして販売するに至ったことは理解した。
故に俺は、次の質問に移ることにした。
「もう一つ質問が。レーガー枢機卿は、ドルミール草が『治癒の聖薬』を生産するにあたって、どのように使用されているのかご存知なのでしょうか? ご存知であるのなら、ぜひ聞かせていただきたいのですが」
ドルミール草と『治癒の聖薬』の関連性を知ることで、製造方法の手掛かりが得られるかもしれないと考えた俺は、そう質問した。
しかしそんな俺の淡い期待に反して、ボーゼ・レーガー枢機卿の反応は良いとは言えないものだった。
「残念ながら、ドルミール草の毒が何かに使用されているということ以外は何もわかってはいないのだ。期待に応えられず申し訳ない」
「いえ、謝られるほどのことでは。それにしても、どのようにしてドルミール草が『治癒の聖薬』を生産するにあたって必要不可欠なものなのだと判断したのですか?」
「あくまでも私の推測でしかないことを念頭に入れて聞いてほしい。私がそう判断した理由は二つ。一つは、ドルミール草の入荷量が平時の倍近くまで増えていたからだ。聖ラ・フィーラ教は世界各国に点在する、教会で奉仕してくれている治癒魔法師用に、ドルミール草を用いて作られる魔力回復薬を配布しているのだが、『治癒の聖薬』を開発したとマヌエル・ライマン枢機卿が公表する少し前あたりからドルミール草の入荷量が増え始めていたのだ。最初は僅かばかりの疑問を抱いた程度だった。災害や戦争がどこかで起き、教会に所属する大勢の治癒魔法師が怪我人の治療にあたっているのだろうか、と。そこで私は魔力回復薬がどこに運ばれているかを調べることにした。その結果、魔力回復薬の運搬量は平時と何ら変わっていなかったことが判明した。そればかりか、魔力回復薬の生産量さえも変わっていなかったのだよ。それを知ってからというもの、抱いた疑問は大きく膨れ上がっていき、そして私がドルミール草が悪用されていると思い至ったもう一つの出来事が起こった」
そこで言葉を一旦切ったボーゼ・レーガー枢機卿は、極めて真剣な眼差しを俺に向け、そしてまた口を開いた。
「その出来事とは――法国に仕える治癒魔法師の突然死事件だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます