第206話 終戦に向けて
「……」
人を殺してしまった。
――いや、違う。そうじゃない。自らの意思で人を殺したのだ。
心臓がドクンドクンと激しく鼓動する。
緊張、不安、恐怖、動揺。それら全てが俺の心臓を激しく鼓動させているのだ。
俺は無意識に空いている左手で胸を押さえつけながら、茫然とルッツの死体の前で立ち尽くしていた。
「――け」
誰かの声が聞こえた気がしたが、心臓の音がうるさすぎて上手く聞き取れない。
「――すけ」
また声が聞こえた気がする。おそらく女性の声だ。
「――うすけ」
これで三度目だろうか。
俺の意識が徐々にルッツの死体からその声に移っていく。
「――こうすけ」
俺の意識が現実に引き戻される。
そして、声のする方向に顔を向けてようやく気づく。
何度も俺の名前を呼び続けてくれていたのはディアだったのだと。
「……大丈夫? こうすけ」
ディアの声だと認識した途端、激しく鼓動していた心臓が治まっていく。
そう。安心したのだ。
俺を案じてくれていると、はっきりディアから感じ取れたことで、強張っていた身体と心が解きほぐされたのだ。
「……ディア」
「うん」
仮面のせいでディアの顔を見ることが出来ないのが残念でならないが、声を聞けただけで心が安らいでいくのが自分でもわかる。
だが、ディアの声を聞いても、胸に刺さった棘が完全に抜けることはなかった。
この棘はそう簡単に抜けるものではないのだろう。むしろ、簡単に抜けてはいけない気がするのだ。
人を殺すことに何も感じなくなってしまってたら、俺が俺ではなくなってしまう気がしてならない。
だからこそ今はこの刺を、人を殺したという事実を背負っていかなければならない。
「ごめん。少しボーッとしてたみたいだ。俺は大丈夫だよ」
これ以上ディアに心配を掛けないためにも平常心を取り繕い、努めて明るい声音で返事をした。
「うん。なら良かった」
俺が無理をしていることをディアは見抜いている気がするが、表面上は納得してくれたようだ。
ありがたいと思いつつ、イグニスといつの間にかに近くにいたフラムに声を掛ける。
「フラム、イグニス」
「主よ、しかとこの目で見届けたぞ。よく頑張ったな。流石は私の主だ」
普段通りの明るい雰囲気を纏ったフラムが俺を労う言葉を掛けてくれる。
おそらく暗い雰囲気にならないよう、あえて明るく振る舞ってくれているのだろう。
「コースケ様。見事な戦いぶりでした。これで粗方片付きましたので、今回の戦いは終わったとみて間違いないでしょう。それに――あちらをご覧下さい」
イグニスはそう言いながら、王都の北門の方向へと指を差した。
「……いつの間に」
北門を見ると、いつの間にかに数千にも及ぶ大軍が隊列を組み、マルク公爵軍と睨みあっていた。
今にも戦端が開かれそうな張りつめた空気がこちらにまで漂ってくる。
「おそらくマルク公爵を討つべく、王都内で引き篭っていた王国騎士団が出陣したのでしょう。……怒りを通り越して呆れてしまいますね。コースケ様方が安全を確保した上で出陣するとは情けないにも程があります」
戦力差は一目瞭然だった。
マルク公爵軍約千五百に対し、王国側は倍以上の数を揃えていたからだ。
このまま戦端が開かれてしまえば、一方的な蹂躙が始まってしまうだろう。
俺としては、マルク公爵が捕まることについてはどうでもいいと考えている。
反乱を企てた張本人なのだ。捕らえられ、罰せられるのが当然の結末だと言える。
しかし、このまま戦端が開かれてしまうのは断固として反対したい気持ちがあった。
何故なら、いたずらに戦死者が増えてしまうだけだからだ。
加えて、俺がなるべく戦死者を出さないように立ち回っていた意味が無くなってしまうのも理由の一つである。
確かに、マルク公爵に手を貸したという点を考えると、罰せられてしまうのも仕方がないかもしれない。
だが、この世界には身分の差というものがある。
志願兵は別としても、強制的にマルク公爵に従わされ反乱に手を貸さざるを得なかった人たちをも殺すのはいかがなものなのかと思ってしまうのだ。
勿論、俺のこの考え方は甘いものだと承知はしている。
しかし、それでも俺はどうにかしたいという気持ちを抑えることが出来なかった。
「皆にお願いがあるんだ」
申し訳ないとは思いつつも、俺の我が儘を三人に聞いてもらうことにした。
「うん。任せて」
「お願いか? 別に構わないぞ」
「何なりと申し付け下さい」
内容を告げていないにもかかわらず、三人は二つ返事で俺のお願いを引き受けてくれるつもりのようだ。本当に感謝しかない。
「俺は今にも始まろうとしてる戦いを止めたいと考えてる。これ以上無駄に殺し合いをしてほしくないんだ。だから、俺たちだけでこの戦いを終わらせたい」
「うん。わたしもこれ以上、人が死んでいくところは見たくないから」
「私は主に従うぞ。さっさとこの戦いを終わらせて家に帰りたいからな」
「私めも賛成でございます。美味しいところだけを持っていかれてしまうのは面白くありませんので」
三人それぞれ違う考えを持っていたが、賛成してくれたことにはかわりない。
ホッと一息吐いてから、これからどう動いていくつもりなのかを三人に説明する。
「皆、ありがとう。悪いけど時間がなさそうだから、早速説明を始めさせてもらうよ。まず、フラムとイグニスの二人にはマルク公爵を捕まえてもらいたいと考えてる。大丈夫かな?」
「余裕だぞ。私一人だけでも十分なくらいだ」
「誰も殺さずに、でございますね。造作もありません。お任せください。念のため、逃げ道も潰しておきましょう」
イグニスは俺の考えを全て見透かしているかのだろうか。
俺の考えを完璧に理解した答えを返してきたことに驚きが隠せない。
「う、うん。お願いするよ」
「こうすけ、わたしはどうすればいいの?」
ディアからの問いに、俺は一度咳払いをしてから答えを返す。
「――コホンッ。ディアは俺と一緒に行動してほしい。今から北門に行って王国騎士団の人たちにこれ以上戦わないよう説得するつもりなんだけど、もし説得に失敗した時、ディアには抑止力になってもらいたいんだ」
「抑止力?」
「うん。まぁ言い方を変えると、脅しをかけてもらいたいってことになるのかな。大規模な魔法を見せつければ、ある程度戦意を削げると思うんだ」
「わかった。頑張る」
これで一通り説明は終わった。
後は万事上手く事が進むことを祈るだけだ。
「じゃあ、早速始めよう。フラム、イグニス、頼んだ」
「うむ。そう時間を掛けるつもりはない。安心してくれ」
「お任せ下さい。一秒でも早く首魁を捕らえ、お届け致します」
まるでその辺に散歩にいくかのような気軽さで、フラムとイグニスの二人はマルク公爵軍のもとへ向かっていった。
そして、俺はディアにアイコンタクトを送り、王国騎士団がいる北門へと向かったのであった。
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