第205話 命の灯

 残す強敵はルッツのみとなった。

 視界の隅で徐々に纏まりつつあるマルク公爵軍も、未だに北の戦場にいることにはいるが、さしたる問題ではないだろう。

 どんなに兵士をかき集めたとしても、精々二千人に達するかどうか。王都を守護する王国騎士団だけでも対処可能な規模である。

 つまり、王国騎士団では対処が困難であろうルッツさえ倒してしまえば、今回のマルク公爵が起こした反乱は失敗に終わるとみて間違いないはずだ。


 俺は仮面の下で一度だけ深呼吸を行う。

 思考を再び戦闘モードへと切り替えるためだ。そして、それと同時に自身の状態もチェックしていく。


 体調に異常はみられない。

 紅蓮は刃こぼれ一つしていない。

 残存魔力はおおよそ三割前後。


 これなら問題なく全力で戦えるだろう。

 魔力も三割残っていれば十分足りる。


 身体面の準備は完了した。残すは精神面の準備だけとなる。

 けれども、精神面の準備は今の俺には全く必要がなかった。

 既に覚悟は決まっているからだ。迷い、躊躇うことはもうない。


「確かに俺は甘いし、精神的に弱い人間かもしれない。だけど、それはさっきまでの話だ。今は違う」


「『今は違う』、ねぇ……。その自信は一体どこから来るんだか。人間の本質はそう簡単に変わるものじゃないんだよ。戦いと同じさ。いきなり弱者が強者になることなんてない。それを今から君に教えて上げるよ」


 ルッツはその言葉を皮切りに、右の手のひらを俺へと向け、『不可視の風刃インビジブル・エア』を放った。

 俺は近づいてくる風切り音を頼りに横へと大きく跳び、それを回避。その後、ルッツとの距離を詰めようと、一歩踏み出す。

 しかし、すぐさま風切り音が近づくのを耳が捉え、回避を迫られてしまう。

 回避を続ける俺に対し、ルッツは魔力を惜しみなく費やし、『不可視の風刃』を連発して戦うつもりのようだ。


 このままでは埒が明かない。

 いずれはルッツの魔力が底をつくかもしれないが、不可視の攻撃を避け続ける俺の方が遥かに疲労は大きいだろう。


「おいおい。君は避けることしか脳がないのかな?」


 明らかに挑発だ。

 遠回しに『転移を使えばいい』と言っているようにすら思える。

 正直、ルッツとの距離を潰すには転移をした方がかなり楽だ。

 だがしかし、どうにも罠のように感じてならない。

 俺が転移を使えることをルッツは十分に承知しているのだ。何かしらの対策を立てていると考えた方が無難だろう。


 転移を使うか否か。

 回避を続ける最中、俺はどうするべきかと考え、一つの決断を下す。

 まずはルッツとの間合いを詰めずに、こちらからも攻撃を仕掛けてみようと決断し、実行に移す。


 俺は一本の鉄製の短剣を異空間から取りだし、それを投擲。そして、即座に投擲した短剣をルッツの背後へと転移させた。


「……やっぱり罠があったか」


 つい小さな声でそう呟いてしまう。

 俺が投擲したナイフはルッツの背後へと転移した瞬間、『パリィン』と音を立てて砕かれてしまった。

 やはりと言うべきか、ルッツの背後の守りは万全だったのだ。

 おそらくルッツは、『不可視の風刃』を自身の背後にも常に放っていたのだろう。

 つまり、右の手のひらの先からしか『不可視の風刃』を放てないように見せかけていたのは完全にブラフ。俺を背後へと転移させ、仕留めるための罠だったということになる。

 直接の被害はなかったものの、内心ヒヤリとさせられた。

 もし、短剣を投擲せずに安易に転移していたら、最低でも大怪我を負っていたところだ。


 背後への転移は危険。ならどうする、と考えていたところで、ルッツからつまらなさそうな声が上がった。


「……ちぇっ。どうやらバレちゃったみたいだね。馬鹿の一つ覚えで転移してくれるかと思ったんだけど、流石にそこまで馬鹿じゃなかったか」


 本心なのか挑発なのかはわからないが、そんなことはどうでもいい。今はルッツを倒すことだけに集中するだけだ。


「……」


「無視かい? それとも僕とお喋りをする余裕がないのかな?」


 ルッツは言葉を投げ掛けながらも攻撃を続けてきているが、手数が罠を見破る前よりも確実に減っていることから鑑みるに、魔力の消費量を抑えることにしたのだろう。

 常に背後の守りを気にしなければならないルッツからしてみれば、視界に入っている俺への攻撃よりも守りを優先するのは当然だと言える。

 だが、ルッツの戦い方は悪手と言わざるを得ない。

 このまま膠着状態が続き、俺が意図的に長期戦へと持ち込めばルッツの魔力はいずれ底を尽き、俺の勝利は揺るぎないものとなるからだ。

 勿論前提として『不可視の風刃』を避け続けることが出来ればの話だが。

 加えて、俺への攻撃頻度が減るということは、俺がルッツへ攻撃を仕掛ける隙が生まれることにも繋がる。

 散発的な攻撃であれば、容易とまでは言わないが反撃も可能だ。


 長期戦に持ち込むか反撃を行うか。

 俺は即座に決断し、反撃を行うことを選択する。

 魔力切れを待つのも悪くはないと思うが、今回の反乱を無駄に長引かせないためにも短期決戦を選んだのだ。


 そして、ルッツの攻撃を避けたタイミングで俺は仕掛ける。

 まず手始めに、普段よりもかなり多くの魔力を費やした『暴風結界』を展開。守りを固め、一気にルッツとの間合いを詰めていく。

 その際、ルッツは俺の接近を阻むよう『不可視の風刃』を放ってくるが、分厚く展開した『暴風結界』を破るには至らない。


「――チッ!」


 近づかれると部が悪いと判断したのか、ルッツは俺との距離を取るために大きく後方へと跳躍する。

 だが、ルッツの身体能力は上級アドバンススキル『自己加速』を持ってはいるものの、俺より遥かに下。ルッツが俺から離れる速度より、俺が距離を詰める速度の方が上回っていた。


 そして、ついに俺とルッツの距離がゼロになる。

 俺は近接戦に切り替えるため、瞬時に『暴風結界』を解除。それとほぼ同時に紅蓮を右斜め上段から振り下ろす。


 それは――迷いも躊躇いも一切ない、『人を殺す』という覚悟を持った全身全霊の一撃だった。


 ルッツは上半身を反らすことで回避を試みるが、紅蓮の刃から逃れることは叶わない。

 何故か不思議と体感時間が引き伸ばされ、全てがスローモーションに見える中、紅蓮の刃が徐々にルッツの身体に食い込んでいく光景が目に焼きつけられていく。


 そして、紅蓮を完全に振り下ろしきったところで、時間の感覚が元に戻る。


「――カハッ!」


 吐血と共に、ルッツの上半身に出来た傷口から鮮血が飛沫を上げる。

 傷の深さからいって、まず間違いなく致命傷なのだが、ルッツは両の足をふらつかせながらも何とか立っていた。


 そんな中、俺はルッツの血を浴びたことで『血の支配者ブラッド・ルーラー』が自動的に発動し、身体が熱を帯びていったが、『不可視の風刃』をコピーすることで熱を引っ込ませる。


「はぁ……はぁ……。くそ……僕の、負け……か」


 息も絶え絶えにルッツは言葉を続ける。


「まさ……か、君が、僕を殺す……なんて、はぁ……はぁ……。計算外、だった……よ。でもまぁ、いいさ……。僕は負け、たけど……仕事は果たした、しね……」


「……仕事は果たした?」


 今回の反乱が失敗に終わることはほぼ確実だ。にもかかわらず、ルッツは一体何の仕事を果たしたというのだろうか。

 おそらく王都に魔物を呼び寄せたことではないはずだ。

 既に魔物は全て駆逐されている。何より、反乱が失敗に終わる以上、仕事を果たしたことにはならないのではないか。


「君が……知る必要、のない……話さ……。でも……最後に……一つ、いいこと、を……教え、て……上げ、るよ。君には――君たちに、は……これ……から……安息、の……日々……は……ぉと……ず、れ……ぃ……」


 ルッツはそれだけを言い残し、命の灯が消えて地に倒れた。

 地面には顔を布で覆い隠した子供のような背丈の死体が血を流しながら、ポツンと横たわっている。


 ルッツを殺したのは他の誰でもない、俺だ。

 人を殺した感触が未だに紅蓮を握る右手に残っていた。

 だが、胃酸が込み上げてくるような吐き気はない。

 ただ胸に小さくはない棘が刺さっている感覚が残っているだけ。


 ――そう、ただそれだけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る