第207話 画策

 ジェレミー・マルク公爵は自陣の後方で馬に跨がり、北門の前で陣を敷いている王国軍をぼんやりと眺めつつ、思索に耽っていた。


(頼みの綱であったルッツたちが敗れてしまった今、私に勝ち目はなくなった……。現状の戦力だけでは王都を落とすどころか、王国騎士団に殲滅させられるだけ。最早、打つ手なし……か)


 切り札であったシュタルク帝国の諜報員たちがエドガー国王の懐刀と呼ばれているトムたちに敗れてしまった以上、ジェレミーに逆転の余地は残されていなかった。

 ましてや、マルク公爵が率いている兵士たちの士気はかなり低く、王国騎士団だけを相手にしたとしても勝ち目はゼロに等しい。誰の目から見ても完全に詰みの状況であった。


(……仕方あるまい。私の軍を王国騎士団にぶつけさせ、その隙に撤退する他なし。全てを失うことになるが、死ぬよりかは幾分良いと割りきるしかないか)


 捕まってしまえば、ジェレミーを含む一族全員が粛清されることはまず間違いない。

 敗戦濃厚の今の状況に追い込まれるまでは、財産、権力、爵位、その他諸々を失うのは死にも等しいと考えていたが、今は違う。

 何をしようにも命あっての物種だと考え方を変えていたのである。

 そんなこともあり、ジェレミーは逃げ出すタイミングを虎視眈々と見計らっていたのだ。

 馬に乗って後方で待機していたのも、兵を率いて戦場へ向かうためではなく、あくまでも逃げ出すための準備でしかなかい。

 いかに敵味方に悟られずに逃げ出せるかがジェレミーの命運を分ける鍵であった。


 敵に悟られれば討伐隊が編成され、ジェレミーは簡単に捕らえられてしまうだろう。加えて、味方に悟られるのも避けなければならない。

 もし味方に悟られてしまえば、士気の低い兵士たちは即座に投降する可能性が高く、ジェレミーが逃げ出す時間を稼げなくなってしまうからだ。

 よって、ジェレミーは敵味方全てを欺かなければならない。

 事前に信頼出来る数人の護衛だけに逃亡する旨を伝えていたため、後は開戦を待ち、逃げ出すタイミングを見定めるのみ。

 戦力差は倍近く違うが、最低でも三十分以上の時間は稼げるとジェレミーは算段をつけていた。


 だが、気がかりな点が無いわけではなかった。

 それは、ルッツらを倒したトムたちの存在に他ならない。

 もしトムたちが王国騎士団に合流してしまえば、ジェレミーの逃亡計画は破綻してしまうだろう。

 だからこそ、ジェレミーは開戦を急ぐ必要があると判断し、側近を呼び寄せることにした。


「開戦を急がせるのだ。これ以上時間をかける訳にはいかん」


「閣下、お言葉ですが、相手の戦力はこちらを遥かに上回っております! 何の策も無しに開戦に踏み切るのは無謀と言わざるを得ません!」


 呼び出された側近は、ジェレミーが開戦と共に逃亡を画策していることを知らされてはいなかったため、ジェレミーに苦言を呈したが、ジェレミーは側近からの苦言に耳を貸すつもりは毛頭なく、嘘で塗り固めた言葉を返す。


「策はこちらで既に用意してある。故に其方が心配をする必要は何一つとしてありはしない。それよりも、今は開戦を急がせるのだ。時が経てば経つほど状況が悪くなってしまう」


 表情一つ変えずに嘘を吐くことくらいの芸当は、貴族社会で揉まれたジェレミーにとっては容易く、側近はまんまとジェレミーの言葉を信じきってしまう。


「そうでありましたか。出過ぎた真似をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。至急、開戦を急がせます」


「五分後だ。五分後にこちらから仕掛ける。遅れることは許さん」


「かしこまりました。では、私はこれにて失礼させていただきます」


 駆け足を通り越し、全力疾走で走り去っていく側近をジェレミーは視線だけで見送った。




 激しく打ち鳴らされる鐘の音が北の戦場に響き渡る。

 この鐘の音は、まさにジェレミーが待ち望んでいた開戦の合図だ。

 馬に跨がり、信頼出来る数人の護衛に囲まれながら、ジェレミーは誰にも気づかれないほどの小さな安堵の息を吐いた。


(……始まったか。まさかたったの五分がこれほどまでに長く感じることがあるとはな)


 これで大方準備が整った。後は王国騎士団と自身が率いていた軍がぶつかり次第、全力でこの場から離脱するだけだとジェレミーは強張っていた全身の力を緩める。


「公爵閣下、ご準備はよろしいでしょうか?」


 護衛の一人がややフライング気味な言葉をジェレミーに投げ掛ける。

 両軍が完全にぶつかり合うまでは静観すると事前に通達していたにもかかわらず、護衛からそのような言葉が出てしまったが、ジェレミーは苦言を呈するつもりはない。

 何故なら、護衛の逸る気持ちが十二分に理解出来たからだ。

 今か今かと待ち続けているのはジェレミーも同じだったからこそ、先走ってしまった護衛に対し、ほんの僅かな苦笑を向けつつ宥めるだけで済ませる。


「少し落ち着け。それと心配は無用だ。両軍がぶつかり次第――」


 ジェレミーの言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 仮面を着けた二人組が突如として現れ、横槍を入れたことによって――


「ほう。ぶつかり次第、どうするつもりなのだ?」


「私めも気になるところです。是非ともお聞かせ願えませんか?」


「――なっ! こ、公爵閣下をお守りしろ! 急げ!」


 フラムとイグニスの突然の登場によって、ジェレミーの護衛たちは慌ただしく武器を構えながらジェレミーの前に立ち、壁を作っていく。

 ジェレミーの護衛たちはルッツほどの実力こそ持ってはいないものの、ジェレミーが金を惜しまずに集めた精鋭中の精鋭。

 焦りは見られたが、その対応は精鋭と呼ぶに相応しい素早いものだった。


「……ラム」


 誰にも聞こえないほどの小さな声でジェレミーはラムの名を呟く。

 その声は微かに震え、絶望に満ちたものであった――


――――――――――――――――――


「戦いに出るつもりなら止めてほしい。もうこれ以上戦う必要はないんだ」


 ディアと共に北門に到着した俺は開口一番、北門で陣を敷いていた王国騎士団と思われる集団にそう呼び掛けた。

 俺とディアを警戒するかのようなピリついた空気を肌で感じるが、怪しさ満点の仮面を着けていることもあり、ここは仕方がないと割り切るしかない。


「おい、あれは……」


「味方……だとは思うが……」


 ざわつきこそするものの、俺の呼び掛けに対する返事が数秒待っても出てこない。

 怪しげな仮面を着けていることから、俺たちを多少怪しむ気持ちもわかるし、そこは割り切ってはいるのだが、どうしても不満を抱いてしまう。

 俺からしてみれば、マルク公爵軍と戦っていたという事実があるのだから、はっきりと味方だと判断してもいいのではないかと思ってしまうのだ。


 どうすれば味方だと確信してくれるのか――そう考えながら騎士団を見渡していると、俺をじっと見つめる見知った顔を発見する。


「あ、セレストさん!」


 俺が見つけたのは、俺を北門へと案内してくれた近衛騎士団のセレスト・サンテールさんだった。

 女性なのに男性だと思っていた経緯もあり、未だに若干気まずさを覚えているが、俺を知っているセレストさんであれば、俺が味方であると証明してくれるだろうと考え、名指しで呼び掛けさせてもらった。

 近衛騎士団の彼女が何故ここにいるのだろうかという疑問もなくはないが、この際関係ない。


「トム殿!」


 俺の呼び掛けに応じてセレストさんが駆け寄り、その後何故か俺の身体を上から下まで確認し始めた。


「……良かった。ご無事……? そうで何よりです。トム殿」


 服はボロボロなのに怪我一つしていない俺を疑問に思ったようだが、今はそうなった経緯を詳細に話している場合ではないため、申し訳ないとは思いながらもスルーさせてもらう。


「俺は大丈夫。それよりもセレストさんに頼みがあるんだ。今、俺の仲間がマルク公爵を捕まえに行ってるから、今回の反乱はもうじき終わる。だから、ここにいる全員にこれ以上無駄な戦いをしないように言ってほしいんだ」


「私はトム殿を完全に信用していますので、私としてはトム殿の指示通りにしたいと考えてはいるのですが……」


 どうしてかわからないが、歯切れの悪い返事がセレストさんから戻ってくる。


「……?」


 俺は首を傾げ、どういうことなのかとセレストさんに説明を促す。


「……申し訳ありません。私は王国騎士団の所属ではなく、近衛騎士団なのです。現在、ここの指揮権は王国騎士団にあるため、私の一存ではどうすることも出来ないのです……」


「……なるほど。だったら、ここの指揮官の方を紹介してもらえないかな? それと、セレストさんには俺が味方であることを証言してもらいたいんだ。お願い出来るかな?」


「はい。それでしたらお任せください。ではトム殿、あまり時間がありませんので、私に――」


 セレストさんが案内を買って出てくれたタイミングで、一人の男性騎士が人波を掻き分けて俺の前に立ち、こう言い放った。


「その必要はない。私が現在ここの指揮官を任されている王国騎士団団長のマティアス・バイヤールだ。話は私が聞こう」

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