第202話 罪の意識

「勿論覚えてる。忘れるわけがないよ」


 一瞬たりとも忘れていたことはない。


 ――敵意や害意を持つ者に対して情けをかけない。

 ――自分を危険に晒す真似はしない。

 ――俺のことを大切に思う人たちの存在を忘れてはいけない。


 しかし、フラムの忠告通りに行動に移せていないのであれば、いくら忘れてはいなかろうと何の意味もない。


 自分自身が情けなさすぎて嫌になる。

 頭では理解しているが、心と身体がどうしてもついてこない。

 どうしても『人を殺す』という行為に対して、心のブレーキがかかってしまうのだ。

 日本で生まれ、日本で育ち、日本で教育を受けたから人を殺せない、なんてのは都合の良い言い訳に過ぎない。

 ただ単純に俺が酷く臆病で小心者なだけだ。


 俺が激しい自己嫌悪に陥っている中、フラムから言葉が投げ掛けられる。


「忘れてはいないのだな。つまり主は、私からの忠告を覚えていながらも、実行することが出来なかったということか」


 頷くことしか今の俺には出来なかった。


「ふむ。なるほどな……」


 おそらく、情けない『主』である俺に、フラムは呆れているのだろう。

 白い仮面を着けた顔を俺に向けたまま、そこで一度口を閉ざす。

 そして、俺にとってはかなり長く感じるほどの沈黙の後、再び口を開いた。


「なぁ、主よ。魔物を殺すことと、人を殺すことの違いは何だ? 知恵があるから殺せないのか? 言葉を交わせるから殺せないのか? 同族だから殺せないのか?」


 予想外過ぎる言葉に、俺は黙り込んでしまいそうになるが、何とか短いながらも言葉を返すことに成功する。


「違い……?」


 言われてみれば、その違いは何なのだろうか。


 ――知恵があるから?

 いや、大小違いはあれど、魔物にも知恵はある。

 ――言葉を交わせるから?

 いや、これも違う。俺は吸血鬼を殺すことに躊躇うことはなかった。

 ――同族だから?

 挙げられた選択肢の中で、最もこれが正解に近い。

 同族だけではなく、エルフやドワーフなどの亜人族や竜族も俺には殺すことが出来ないはずだから。


「人だと認識出来るかどうかが、俺の中の基準なんだと思う」


 未だに明確な答えは見つけ出せてはいないが、現状で思いつく限りの答えをフラムに告げた。

 しかし、俺の答えをフラムはあっさりと否定した。


「本当にそうなのか? 私は違うのではないかと思っているぞ。主は人型の魔物が相手であれば躊躇うことはなかった。それは相手が魔物だから殺してもいいと考えていたからではないのか? つまり主は、魔物は排除するものという常識を得ていたが故に、魔物を殺すことに対する罪の意識を持つことはなかっただけに過ぎない。要するに、主の基準は相手が人かどうかではなく、相手を殺すことで罪の意識を覚えてしまうかどうかにあるのではないか?」


「……ああ、そうか。そうだったんだ」


 まさにその通りだった。

 フラムの言葉が胸にストンと落ちていくのがわかる。


 俺は相手を殺すことで罪の意識を覚えるかどうかが基準になっていたんだ。

 魔物を殺すことは罪にはならない。そう認識していたからこそ、吸血鬼を殺すことに躊躇うことはなかった。


 では、人を殺すことはどうだろうか。

 ――人殺しは犯罪だ。

 ――人殺しは悪いことだ。


 やはりと言うべきか、どうしてもそんな風に考えてしまう俺がそこにいる。


「俺は……人を殺すことを罪だと感じてしまうから誰も殺せなかったんだ」


 心のうちを正直にフラムへ打ち明けた。


「主のその考え方は決して間違いではない。罪だと感じられるからこそ、人は人でいられるのだからな。もし人を殺すことに何の罪悪感も抱かない人間がいるのであれば、もはや其奴は人間ではない。ただの獣だ。だかな、主よ――」


 フラムから鋭く真剣な眼差しが注がれていることを感じる。


「戦場では――いや、命を賭した戦いではその認識を捨てるのだ。さもなくば、死ぬのは自分自身になるぞ。それと、私の『主』に対して私が断言してやろう。自分の命を守ることは決して罪ではない。悪いことではない。勿論、大切な者の命を守る場合でもそれは同じだ」


 フラムは俺が罪の意識を抱くことがないように、あえてそう断言してくれたのだろう。

 おかげで心が軽くなっていくのを感じる。

 それと同時に、本当にありがたく、そして申し訳ない気持ちで心がいっぱいになっていく。


 俺は今まで何をしていたんだろう、と。

 罪の意識に囚われていたばかりに自分の手を汚すことを嫌い、誰も殺すことが出来なかった。結果、ハンスに手を掛けたのはフラムになった。

 つまりは、フラムが俺の代わりに汚れ役を買ってくれていたということだ。


 本当に俺は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。

 自分の手を汚すことが出来ないばかりに、仲間の手を汚させていたことに今頃気がつくなんて。

 気がついた上で、俺の命を奪おうとしている相手を殺すことを罪だと思うことなど出来ようはずもない。

 もしそれでも罪だと思うのならば、フラムが俺に代わって罪を犯したということになってしまう。


 そんなことはあり得ない。あり得てはいけない。

 どれだけ自分だけに都合の良い解釈だろうが、そんなことはどうでもいい。フラムがしてくれたことは断じて罪ではないと声を高らかに宣言しなければならない。


 靄がかっていた頭の中がクリアになっていく。

 これ以上仲間たちに俺の罪の意識を代わりに背負ってもらうわけにはいかない。

 そもそも、その様な考え方は捨てなければならない。




 自分なりの答えを得たことで、全身に熱が伝わっていくのを感じる。

 俺は紅蓮を左手に持ち替えて石化した右腕を切断し、『再生機関リバース・オーガン』で瞬時に右腕を再生した。


 そしてフラムに向き直り、お礼の言葉を告げる。


「フラム、本当にありがとう。俺はもう大丈夫だよ」


 フラムは俺の言葉を聞いて、満足げに大きく頷いた。


「うむ! それでこそ私の『主』に相応しい。もしさっきの私の言葉が主に響かなかったら、全力で殴ってでも目を覚まさせていたところだったぞ」


 フラムの全力のパンチ……。うん、間違いなく死ねるね。


 そんな冗談じみたことを考えられるほど、俺の心は綺麗さっぱり清んでいた。


 もう俺は迷わない。

 例え相手を殺したことで心に傷を負うことになるとしても、迷ってはいけない。


 気持ちが固まり、紅蓮を右手で握り直したタイミングで、ルッツの呆れたような声が耳に届く。


「はぁ……。やっと話は終わったかい? それにしても、よく敵を前にして長々と話し合えたもんだね。待っていてあげた僕に感謝してほしいくらいだよ」


 ルッツの言葉に返事をしたのはイグニスだった。


「待っていてあげた? いえ、それは違うのではございませんか? 正しくは『手を出せなかった』。これが事実でしょう」


「……本当にムカつくことを言ってくれるね」


「ただ純然たる事実を申し上げただけでございます。フィア様と私めが目を光らせ警戒していたことで身動きが取れなかったのでしょう? 貴方の『目』では私めを含めて、どなたの情報も見ることが叶わない。だからこそ慎重な貴方は警戒をし、手を出せなかったのでは?」


 イグニスの言う通り、ルッツの持つ『心眼』程度では俺らの情報を覗き見ることは不可能。

 だが、『あまり手を出せなかった』とはどういうことだろうか。


「へぇ……。フィアっていう子だけじゃなくて、君も気づいていたんだ」


「フィア様の動きを見ていれば誰にでも簡単に気づけるのではありませんか? 貴方が何かしらの攻撃を仕掛け、それを防いでいたフィア様を見れば、一目瞭然でございます」


 俺はフィアことディアに視線を向けた。

 すると、そこにはルッツを警戒しているディアの横顔があった。

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