第181話 西の戦いの終結
「――ほ、報告致します! アブラーム子爵が討たれたとのこと!」
「……一体何がどうなっているというのだ」
西の戦場は混乱の坩堝と化していた。
貴族やその側近の死亡報告が幾度と飛び交い、指揮系統は最早壊滅状態。
西からは六人の貴族が連合を組み、総数三千を超える軍団を編成していたが、今となっては二人の貴族を残すのみとなっていた。
原因は言うまでもなく、白銀色の仮面を着けた男――イグニスだった。
囮として『陽炎』で生み出した幻影で敵の注目と攻撃を集めている隙に、不可視化した本体で不意を突き、指揮官らしき人物を片っ端から焼き殺していたのだ。
勿論、無抵抗に殺されていった訳ではない。
イグニスを排除するために兵士たちはイグニスへと群がり、様々な攻撃を繰り出していたのだ。しかし、幻影にいくら攻撃をしようが、イグニスの本体に怪我を負わせることなど出来ようはずがなかった。
槍で貫いたかと思いきや、槍が身体をすり抜け、多様な属性魔法で攻撃しても全てが意味を成さず、何人たりともイグニスの足を止められない。
普通なら、そんな状況が続けば幻影だと見破られそうなものだが、『陽炎』の能力の一つである『位置情報の改竄』が兵士たちに余計な混乱をもたらしたのである。
三千を超える兵士たちの中には探知系統のスキル所持者が当たり前のように何人もいた。だからこそ、イグニスの『陽炎』に騙されてしまい、幻影を幻影だと認識出来なかったのだ。
イグニスの本体は不可視化され、なおかつ探知系統スキルに引っ掛からない。それによって兵士たちはイグニスの幻影だけしか認識することが出来ない。であれば、いくら無駄だと思おうが、幻影に攻撃し続けるしか兵士たちに選択する余地はなかったのだ。
そして、未だにイグニスの幻影は兵士に囲まれ、攻撃を受けている真っ只中にあった。
「いくら攻撃してもまるで意味がねぇ! 本当にこいつは幻影じゃねぇのか!?」
巨大な戦斧でイグニスを両断したつもりでいた男が、無傷のままの姿で平然と立っている姿を見て、思わずそう叫ぶ。
「僕の『気配探知』にしっかりと反応を示していますから、幻影のはずがありませんよ! それに、もし幻影だとしたら、攻撃なんて出来ないはずです!」
若い青年が怒りを滲ませた声で反論する。
事実、イグニスの幻影はただ無抵抗に囮をこなしていたわけではなかった。正確に言えば、イグニスの幻影ではなく本体がタイミングを見計らって遠距離からスキルを使い、あたかも幻影が攻撃をしているかのように見せかけていたのだ。
だから余計に幻影だと気づかれることがなかった。
一方、イグニスの本体はアブラーム子爵を焼き殺し、次のターゲットを探している最中だった。
(どうやらこの辺りには目ぼしい人間はもういないようですし、そろそろ移動しましょうか。ですが、幻影との制限距離を超える移動が必要になりますので『陽炎』は解除するしかなさそうですね)
制限距離が約五百メートルということもあり、イグニスは『陽炎』を解除することに決める。
幻影ごと移動することも不可能ではないが、幻影が多くの兵士に囲まれている状況で無理に移動してしまえば、幻影を追う兵士たちを無駄に引き連れるだけになってしまう。
だったら、制限距離一杯まで移動し、そのタイミングで幻影を消した方が敵を混乱させることが出来るのではないかとイグニスは考えた。
そして何より――つまらない、と。
自身を不可視化して、暗殺者じみた殺り方だけをしていても、それだけではつまらないとイグニスは思っていた。
圧倒的な力の差を見せつけ、心を折り、恐怖させる。
こうでもしなければ、防衛戦にわざわざ自ら参戦した甲斐がない。
ただただ敵将を暗殺していくのであれば、それこそ暗殺者にでも頼めばいいのだ。
数が多いだけで大した相手もいないければ、『陽炎』で生み出した幻影を見破る者さえいない。そんな状況にイグニスは飽き飽きしていた。
だからこそ、最後の仕上げだけは今までの戦い方とは違う殺り方をイグニスは選んだ。
そしてイグニスは最後の仕上げを行うため、行動に移る。
有象無象を幻影で引き付け、制限距離の限界まで本体が移動したところで『陽炎』を解除し、本体は敵将と思われる人物の近くで姿を現した。
「――なっ! ここまでどう――」
眼前にいた雑兵が叫び声を上げる前に、イグニスは白い手袋を着けた手でその首を跳ねる。
頭部を失い、一人の兵士が地に伏せる様子を見た他の兵士はイグニスの急襲に驚きを露にし、立ちつくしてしまう。
その間にイグニスは敵将と思われる人物のもとまで悠然と歩みを進めていくが、誰もイグニスを止める者は現れない。
元より、幻影に多くの兵が引き付けられていたこともあり、ここには百にも満たない兵しかいない。そのため、例え全員がイグニスに立ち向かったところで、一瞬の内に殲滅させられていただろう。
そう考えれば、立ちつくしてしまった者は幸運だったと言える。
――動けなかったからこそ、生き長らえることが出来たのだから。
そしてイグニスは敵将と思われる人物たちの前まで進み、その者たちに話しかけた。
「はて、どなたがここの指揮官でございましょうか?」
そこには二人の指揮官らしき者たちと十人の護衛らしき者たちがいた。二人は他の兵とは明らかに装備が違い、無駄に豪奢な装備をしていた者たちだ。
二人は馬に乗っているからなのか、それとも驚いていたからなのか、武器を構えようともせずに、ただじっとイグニスを見つめるだけで、どちらも返答しようとはしない。
「どうやら、お答えいただけない様子。でしたら、それはそれで私めとしては構いません。――お二方を殺せばいいだけでございますから」
イグニスのこの言葉でその場にいた全員が息を呑む。
殺害予告を出された二人に関して言えば、顔を真っ青にしてしまっていた。
そして、二人の様子からイグニスは察する。両方ともが指揮官であるのだと。
(大変結構。ですが、それと同時に残念でもありますね。これで戦いは終わってしまうのですから)
イグニスが確認した限り、ここにいる二人を除けば、他に指揮官らしき人物は確認出来ていない。要するに、目の前にいる二人を倒せば、それで戦いは終わりを迎えるということ。
戦闘らしい戦闘をしていないイグニスが物足りなさを感じてしまうのも仕方がないことだった。
(最後に私めを楽しませてくれる人間がいればいいのですが……どうやら期待出来そうもありませんね)
指揮官であり、貴族でもある二人は勿論のこと、それらを守る護衛を軽く見渡してみても大した相手ではないことが簡単にわかってしまう。
何故なら、イグニスに立ち向かう気概も、護衛対象を守るために動こうともしていなかったからだ。
そして、ついには逃げる隙を探す者まで現れる。
その光景にイグニスは腹を立てた。
イグニスの『フラムを守護する者としての立場』が、主を守ろうともしない護衛たちを許すことが出来なかったのだ。
「護衛が主を守ろうとせず、逃げ出そうと考えるなど虫酸が走る。見ているこちらが不愉快だ。――死ね」
その言葉と共に護衛全員が炎に包まれる。
「「――があぁぁあッッ!! 」」
一瞬で消し炭にしたりはしない。
楽して死ねぬよう加減をしながら、身を焼かれる苦しみを味わわせる。
それがイグニスなりの護衛対象を守ろうとしなかった者たちへの裁きだった。
人が焼かれたことによって周囲に悪臭が漂う。
既に護衛たちは灰となり、命を散らせていた。
残るはイグニスの背後にいる百人弱と眼前にいる指揮官の二人だけとなる。
しかし、背後にいる兵士たちに動こうとする気配は一切ない。
それもそのはずで、イグニスによって苦しめられながら燃やされた護衛の姿を、泣き叫ぶ姿を、目の当たりにしてしまったからだ。
恐怖のあまり身を震わせるほどの光景を見せつけられて、イグニスに立ち向かえる者など居ようはずもない。
背後の兵士たちを無視し、イグニスは指揮官の二人に視線を向け、口を開く。
「あのような粗末な護衛に守られていたことに免じて、貴殿方には慈悲を与えましょう。――苦痛なき死という慈悲を」
イグニスはそれだけを告げ、決して苦しまぬように瞬きほどの時間で二人に死を与えたのであった。
(ここでの私めの仕事はこれで終わりでいいでしょう。指揮官無き今、これ以上戦闘を続けようとする者はいないでしょうから)
仮に戦闘を続けようとする者がいたとしても、王国騎士団だけで対処可能な範疇だと判断し、イグニスは西の戦場を後にし、ディアのいる南へと向かったのであった。
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