第182話 夏の雪

 その日は、暑さの続く夏の終わりの時季だというのにかかわらず、南の戦場は氷点下に達する気温に加え、猛烈な吹雪が戦場を舞っていた。


 ――まるで極寒の北国の冬のように。




 紅介の指示で南を担うことになったディアは南の外壁に到着するまでの間、如何にして王都を防衛するべきかと悩みに悩んでいた。

 なるべく双方ともに犠牲者を出さず、かつ王都に攻め入ろうとする軍勢が王都に侵入しない方法を。

 その二つの条件を満たすには両軍入り交じって王都の外で戦うのは論外だ。

 何より、ディアは近接戦闘を得意としていない。得意とするところは魔力量に物を言わせた広範囲に渡る大規模魔法のため、敵味方が入り交じってしまうと、その力を存分に振えないのは明らかだった。


(誰も殺さずに相手を完全に無力化する方法……。たぶん、そんな都合の良い方法はない。……これは戦争だから、誰も死なないようにするなんて、今の私じゃそんなことは出来ない)


 神の力を失う前ならいざ知れず、今のディアは魔力量を除くと、その力は人外の域には達していない。

 フラムやイグニスは言うまでもなく、人間である紅介にもその力は及ばないだろう。

 今のディアに出来ることと言えば、四大属性魔法に加えて、極めて効果の高い回復魔法くらいなもの。何かに特化した、強力で特別なスキルなどは持っていない。


(人が争うことも、それによって人が死んでしまうことも、わたしは嫌い。どうしてアーテは……)


 『魔物を生み出し、生物にスキルを与え、人が争う世界を望んだのだろう』と思考を続けようとしたところで、付き人である五十後半の男性老騎士から声が掛かる。


「フィア殿、到着しましたぞ」


 今のディアは認識阻害のスキルが付与された白い仮面を着け、その名を『フィア』としている。そのため、聞き慣れない名前で呼ばれたことで僅かに返事が遅れてしまう。


「……う、うん。わかった」


「おや? どうかしましたか? 何かあれば、遠慮なく言ってくだされ」


 ディアの返事に何か違和感を抱いたのか、老騎士は柔和な笑みを見せながらディアを思いやるような言葉を投げ掛ける。

 それをいい切っ掛けだとディアは考え、老騎士に何か良案はないかと尋ねることにした。


「誰も死なずに王都を守りきる方法はないかなって。一番なのは戦わずに済むことだけど、それは無理だと思うから」


「フィア殿はお優しい方なのですな。しかし、誰も死なずに……となると、中々に難しいと言わざるを得ませぬ。戦が始まれば死傷者は必ず出るものなのです。むしろ、『戦わずに済む』という方が幾分か可能性はあるかと」


 戦わずに済む方法があるという言葉を聞き、ディアは仮面の下で驚きの表情を浮かべ、普段より僅かばかり早口となりながらその方法を聞き出す。


「戦わずに済む方法を教えてほしい。わたしに出来ることがあるなら何でも言って」


 しかし、希望に満ちた声音のディアに対し、老騎士の表情は申し訳なさが含まれたものへと変化していく。


「……申し訳ありませぬ。可能性があるとは言いましたが、私が考え付いたことは現実的ではないのです。人間の持つ力ではどうすることも出来ないような戯れ言で良いのであらば、お話ししますが……」


「それでも構わない。教えてほしい」


「承知しましたぞ。これはあくまでも私が近衛騎士団に属する前の経験談になりますが、戦うに適さない環境、もしくは条件というものがあるのです。例えば、嵐や豪雨。これらが発生すれば戦は困難なものとなります。それが攻城戦ともなれば、より困難なものとなりましょう。地はぬかるみ、兵の足は止まる。さらに弓は風で流されてしまう。こうなってしまえば、日を改める他ありませぬ。そして、最も過酷な環境と言えば、それは身が凍えるほどの寒さです。金属の鎧はまるで氷のように冷え、着用している者の皮膚がめくれることも珍しくありませぬ。何より恐ろしいのは、防寒を怠った者の手足の先が黒く変色し、腫れ上がる点にあります。激しい痛みが襲い、人によっては手足が二度と使い物にならなくなる場合もあるほどです。……しかし、今の季節は夏。そして、空を見上げればお分かりになると思いますが、雲一つない快晴です。これでは、今私が挙げた条件を満たすことはないでしょうな……」


 老騎士はそのまま視線を青々とどこまでも広がる空に固定し、どこか諦めたかのような遠い目をする。

 だが、ディアは違った。

 仮面の下の表情は話を聞く前より一層と輝かしいものへと変わっていた。


(うん。これならわたしの力で何とか出来る。後はわたしがやり過ぎないように注意するだけ)


 一度大きく頷いたディアは老騎士に一つお願いをした。

 老騎士がディアの便宜を図るようエドガー国王から言われていることを知っていたため、それを利用したのだ。


「南を守る王国騎士団の人たちに伝言をお願いしてもいい?」


「勿論ですとも。ぜひともお任せをくだされ。フィア殿に便宜を図るよう王命を頂戴している故、王国騎士団の者たちも断れはしませんからな。して、その内容は?」


「ありがとう。それじゃあ、鎧を脱いで暖を取る準備をするように伝えてほしい。


――――――――――――


 戦が始まり、約二千の軍勢が進軍すると同時にそれは起こった。

 南方から到着する予定の反王派貴族たちの到着が遅れているせいで、ジェレミー・マルク公爵とパスカル・バランド辺境伯がそれぞれ兵を千人ずつ割き、編成した二千の混成軍は突然、季節外れの寒さを覚えたのだ。


「……ん? 何か、やけに寒くないか?」


 一人の兵士が隣を友人の兵士に話しかける。


「やっぱりそうだよな? ……ふぅ。良かった。もしかしたら風邪でもひいたんじゃないかと思ったぜ」


「……いや、良くないだろ。今は夏だぞ? 寒さを感じるなんて普通なら有り得ないからな。――って、ちょっと待て。……雪まで降ってきたぞ」


 しかし、雪こそ降ってきてはいるものの、頭上には雲一つない青空が広がっている。


「確かに、雪……だな。でもよ、空は晴れてるよな? 俺の目がおかしくなっちまったのか?」


 目を擦り、何度も瞬きをして空を確認するが、どう見ても空は晴れている。

 そこまでして、ようやく異常事態が発生していることに気づかされる。

 次第に吐息が白さを帯びていき、王都に近づけば近づくほど、雪と寒さは増していった。

 気温はマイナスに至り、激しい吹雪が身体を打ちつける。


「……さ、寒過ぎる。一体どうなってるんだよ、これ」


 寒さのあまり身体が震え、歯がカチカチと音を鳴らす。

 それは一人、二人の話ではない。約二千人もの兵士ほぼ全員に共通する話である。

 だが、それも仕方がないことだった。

 終わりかけているとはいえ、季節は未だに暑い夏なのだ。防寒具を用意している者など、誰一人としていないのは当然だと言えよう。

 装備は人によって多少のばらつきはあるが、夏ということもあり、総じて鎧の下は薄着。とてもではないが、寒さに耐えられる装備ではない。

 例外を挙げるとするならば、スキルで寒さや熱に耐性を持つ者くらいなもの。それ以外の兵士たちは寒さに耐えきれなくなり、進軍速度がガクッと低下していってしまう。


「吹雪いてきたな。……これ以上の進軍は厳しいか」


 そう呟きを漏らしたのは、混成軍の指揮官を急遽ジェレミーに任された男――シプリアン・ギグー男爵だった。

 男爵という下級貴族の身分にもかかわらず、ジェレミーに上手く取り入り、側近として重宝されている人物である。

 文武共にそこそこ優秀なシプリアンであったが、男爵の身分というだけに、二千もの軍団を指揮した経験など勿論ない。

 しかし、経験はなくとも、氷点下に近い寒さの中での進軍がどれほど危険であるかは流石に理解出来ていた。

 何より、シプリアンは耐性スキルを所持していない。だからこそ、身を持って寒さを強く感じ、危険を察したのだ。


「――全軍に伝えよ! 一旦後退し、この異常気象が一時的なものであるかどうか観察する!」


 シプリアンはジェレミーから指揮官に任じられる際に、全方位同時攻撃を行うと伝えられていたが、その命令を棚上げせざるを得なかった。

 寒さを無視し、強行したとしても成果を上げることなど到底不可能だと判断したからに他ならない。

 失敗に終わることが確実視される中で、無茶な強行をするほどシプリアンは愚かでなかったからこそ、一時的に後退することにしたのだ。


 ――まさか、その後退が無駄に終わるとは、シプリアンはこの時思いもしなかった。

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