第180話 陽炎

 フラムが東の外壁に到着したすぐ後のこと。

 西を担当することとなったイグニスは一人の男性騎士を引き連れ、自分の持ち場に到着した。


 黒の執事服に白銀色の仮面といった、明らかに怪しげな人物が西の外壁に近付いたことで、西門の防衛にあたっていた騎士団員たちがざわつき始めると共に、警戒心を露にする。

 だが、イグニスは周囲から警戒の目を向けられても動じることはない。

 一旦足を止め、ピタリと後ろについてきているイグニスにつけられた騎士に視視線を向け、この場をどうにかするように促した。


「警戒を解いて下さい。この御方は国王陛下から西の防衛を任され、こちらに参りました。ですので、どうかご安心を」


 イグニスの意を完璧に汲み取った騎士は、周囲にいる騎士全てに語りかけるかのように手を広げ、説明を行う。

 その結果、騎士たちの警戒心こそ大方解けたものの、怪しげな視線だけは無くなることはなかった。だが、それはイグニスの戦場に似つかない不自然な格好のせいであるため、イグニスにつけられた騎士にはどうすることも出来ない問題である。


「おい、あれってどう見ても……執事だよな?」


「服装は、な。まぁ、仮面を着けてるし、おそらく変装だとは思うが……」


 そんな声があちらこちらで呟かれる。

 先ほどまでは、いつ戦いが始まるのかといった緊張感がこの場を支配していたが、謎に包まれた執事服を着た男の登場により、徐々に弛緩した空気になっていく。

 しかしそれは、敵の接近を知らせる鐘がけたたましく鳴らされたことで一変する。


「――敵の進軍を確認! 至急、迎撃準備を!」


 外壁の上から一人の騎士が顔を覗かせ、外壁の下にいた者たちに情報を伝える。

 焦りを伴った声と表情で必死に叫ぶ仲間の姿を見た騎士たちは即座に外壁の上へと続く階段に向かい、駆けていく。

 弓と矢筒を持つ者や、投石に使うであろう大量の石を箱にいれて抱える者などが忙しなく走り回る中、イグニスは無関心そうな態度で騎士たちに視線を向けることなく、固く閉じられた西門へと足を進める。


「西門は閉鎖されていますが、一体どちらに向かわれるおつもりでしょうか?」


 付き人である騎士がイグニスの背を追いかけ、そう問いかけた。けれども、その問いかけにイグニスは答えずに沈黙を貫き、思考の海へと一人潜っていく。


(勝利条件は、西門を守りきること、そして敵軍の将を全て討ち取ることの二つ。西門を守りきるのは私め一人で容易でしょう。外壁の守りに関しては、ここにいる人間共に任せれば時間稼ぎくらいはしてくれるはず。後の問題は敵将をどう見分けるかという点。こればかりは実際に戦場へ出てみなければわかりませんね)


 フラムとは違い、イグニスは西を守る王国騎士団と共闘――ではなく、しっかりと利用するつもりでいた。

 要所である西門だけは自身が管理・監視し、その他の守りは王国騎士団に丸投げする。騎士団に役割をきちんと与えることで無駄な軋轢を避け、なおかつ自身がある程度楽が出来るとイグニスは考えたのだ。

 しかし、問題も抱えていた。

 イグニスは敵軍の指揮官もとい貴族の顔を知らない。そのため、どの人間を討ち取る必要があるのかどうかが判別出来ないのだ。

 北と東の戦場は一人の貴族が全軍を率いているのに対し、西の戦場は数人の貴族がそれぞれ軍を率いていることが、よりイグニスの手間を増やしていた。

 無論、敵兵全てを殺し尽くす方がイグニスにとって一番楽が出来る。だが、それを主である紅介が望んでいないことを十分に理解しているため、その選択肢は取れない。


(この際、ある程度の犠牲は問題ないと考え、めぼしい人間を順次殺していくことにしましょう。何より、私めにはディア様の援護に向かうという最重要任務も与えられていますし)


 イグニスは人間に対して甘さを持たない。

 全くと言っていいほど、人間の生き死にに興味がないのだ。

 だからこそ、敵に多少の犠牲者が出ようが思うところは何もない。

 何より、紅介が敵兵の命よりもディアの命を大切に思っていることをイグニスは知っている。故に『ディア様の援護に向かうために仕方がなかった』とでも言えば、ある程度敵に犠牲者が増えたところで言い訳も立つだろうと算段をつけていた。


「……の! ――あの!」


 思考の海へ沈んでいたイグニスを現実に引き戻したのはイグニスの付き人である騎士だった。


「申し訳ありません。少し考えごとをしておりました」


「そうでしたか。それで、貴方様は一体どちらに向かうおつもりなのでしょうか?」


 付き人の騎士はイグニスの名前を、その正体を、一切知らされていないため、念のために敬称である『貴方』に、さらに『様』をつけて呼んでいた。


「西門の守りと敵将の首を取りに行こうと考えていますが、何か問題がございますか?」


「いえ、その点につきましては問題はありません。ですが、全ての門は完全に閉じられています。王命で貴方様に便宜を図るよう言われていますが、流石に私の一存では門を開けることは出来ません」


「そのことでございましたか。ですが、ご心配には及びません。ただ、混雑していた外壁の上に続く階段を使うのが面倒でしたので、西門の裏から外壁を跳び越えて行こうかと」


「……は?」


 付き人の騎士は『何を言っているんだ』といった風な間の抜けた声を上げた後、二十メートルを超える高さを誇る外壁を見上げる。


「いくらなんでも、この高さを飛び越えるなど……」


「問題ございません。私めには急ぎの用がありますので、これにて失礼させていただきます。王国騎士団の方々には『好きに動いてもらって構わない』との旨をお伝え下さい。では、これにて」


 それだけを言い残し、イグニスは外壁をあっさりと跳び越えたのだった。




 外壁を跳び越えたイグニスは西門の正面に着地する直前、あるスキルを使用した。


 ――英雄級ヒーロースキル 『陽炎』を。


 この『陽炎』というスキルは戦闘系スキルではない。

 その能力は『幻影の創造・位置情報の改竄・不可視化』といったもの。

 使用者の幻影を生み出し、本体の位置情報を幻影へと移すことで他者に幻影を本体だと誤認させる。その際、『気配探知』などのスキルでさえ、幻影を本体だと認識してしまう。加えて、本体は他者から視認されることはないのだ。


 これだけを挙げれば、紅介が持つ英雄級スキル『多重幻影』の上位スキルのように思えるが、この『陽炎』は認識阻害に特化している分、『多重幻影』のように幻痛を与えることは出来ない。さらには複数の幻影を生み出すことも不可能であった。

 ちなみに、幻影と本体との距離制限もあるのだが、それに関しては使用者の魔力量によって左右され、イグニスの限界距離はおよそ五百メートル前後となっている。


 イグニスは『陽炎』を敵前に姿を見せる前に使用することで幻影を囮にし、不可視化された本体で敵将を暗殺していく作戦を立てていた。


(きちんと『陽炎』で相手の目を欺けているようですね。これなら想像以上に容易く、このくだらない人間同士の戦いを終わらせることが出来るでしょう)


 敵兵の視線は西門の前に立つイグニスの幻影へと向けられている。

 イグニスの本体は既に西門の正面から二百メートルほど離れた位置に移動していたが、それに気づく者は誰一人としていなかった。


(まずは門の周辺に敵を近づけないようにする必要がありますね。ですが、門の周辺を燃やしておけば然程問題はないでしょう)


 あたかも幻影が火系統魔法を使ったように見せるため、イグニスの本体が遠距離から西門の前に炎の壁を作り出す。


 こうしてイグニスの準備は整った。

 そしてここから、イグニスのが始まるのであった。

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