第179話 東の戦いの終結
「――ああ。そうしよう」
穏やかな笑みでそう応じたパスカル・バランド辺境伯は乗っていた馬から降り、その馬の頭を軽く撫でる。そして、バランドは一番近くにいた一人の護衛に最後の言葉を残す。
「ボドワン、後の事は任せたぞ。兵たちを暴徒化させず、必ずや手綱を握るのだ」
ボドワンと呼ばれた護衛は唇を噛み千切らんとばかりに口元をきつく結び、涙を湛えつつも真っ直ぐとバランドの瞳を見つめ、頷いた。
「……お任せください」
ボドワンだけではなく、他の護衛もバランドがここで死ぬつもりなのだと、はっきりと理解していたが故に、涙を浮かべる者や顔を青ざめる者、悔しさのあまり拳を震わせる者などが現れ、様々な感情がバランドへと向けられる。
だが、『バランドに死なないでほしい』と全員が願ってはいるものの、誰一人としてバランドとフラムの戦いを止める者はいなかった。
もしそれを口にしてしまえば、主の矜持と覚悟を無駄にしてしまうと考えたからである。
バランドはフラムの正面に立つ。
幾度と使用してきた愛剣を鞘から引き抜き、両手でロングソードを構える。
剣を構えるその姿は歴戦の戦士を思わせる見事な佇まいだった。
「貴様は一人の立派な将であったようだな。ならば、私も
フラムは将としての覚悟と立ち振舞いを評価し、最後にバランドと名前で呼ぶことで、フラムなりの敬意を表す。
そしてフラムが竜王剣を軽々と片手で構えたところで、ついに戦いの準備が互いに整う。
緊張感が戦場を支配する。
集中力を極限まで高めた二人の耳には周囲のざわめきや騒音などは一切耳に入らない。
フラムはバランドの一挙一動を見逃さんと、瞬き一つせずに見つめる中、バランドは自身の心臓の音を煩わしく思いながらも、フラムへと視線を固定する。
開始の合図はなく、既に戦いは始まっているのだが、互いに一歩も動くことなく時間だけが過ぎていく。
フラムはバランドに先手を譲るつもりでいたため、動かずにバランドの出方を待っていた。
自分が先に動いてしまえば一瞬で勝負が決まってしまうとわかっていたからこそ、待っているのだ。
本来であれば、フラムがわざわざ待つ必要など一切ない。だが、フラムは興味があったのだ。
――死を覚悟して戦うバランドがどのような戦いを見せるのかを。
勝負は予想通りバランドの敗北で締め括られることとなった。
額から大粒の汗を浮かべ、緊張感に耐えきれなくなったバランドが一歩足を前に進めた瞬間には、フラムの持つ竜王剣がバランドの腹部を容易く貫いていた。
「――ゴフッ!」
貫かれた腹部からは大量の血液が流れ、地面に赤黒いシミを作り出す。口元は吐血したことによって一筋の赤い線が顎の下にまで続いていた。
「……其方の動きすら見ることが叶わなかった……とは……な」
「「――バランド様!!」」
護衛たちの叫び声も虚しく、バランドの身体は完全に力が抜けていく。ついには握っていたロングソードを手放してしまい、カンッと音を立てて地面へと落ちる。
バランドはフラムに寄りかかりながら何とか立っているが、既に虫の息だった。
瞳は色を失いかけており、後数十秒もせずにバランドの命が散っていくのは確実。
そんな瀕死の状態にもかかわらず、バランドは弱々しく口を開き、フラムに語りかける。
「……私の首、を……持ち帰るのを……忘れるで……ない、ぞ……」
「うむ。わかっている」
東の戦いが完全に終結したことを証明するためにもバランドの首は必須。
バランドが討たれたと証明出来なければ、王都の混乱が治まった後、確実にバランド辺境伯領へと王国軍が派遣され、領民にも被害が及んでしまう。それをバランドは危惧した。
(妻と子供たちには申し訳ないことをしてしまった。あの世で詫びなければ……な)
徐々にバランドの意識は薄れていく。いまや、指一本さえ動かせない状態に陥っている。
そして、意識が完全に途切れる寸前、フラムから最後の言葉がバランドへ贈られた。
「残る兵たちは私が逃がしてやる。だから安心して眠るがいい」
(……感謝する)
バランドは感謝の言葉を紡ぐことは出来なかった。しかし、その表情はとても穏やかなもので、感謝の気持ちだけはフラムに伝わったのであった。
バランドの遺体を大きな布で覆い隠し、地面へと寝かせた後、フラムは行動に移ることにした。
「確か……お前の名はボドワンと言ったか? 今から私が貴様ら全員を逃がしてやる。だから少し手伝え」
名前を呼ばれたボドワンの顔には涙が流れた跡がくっきりと残っていた。
「……一体何をすれば?」
「今から私はこの辺り一面を燃やし尽くす。その前にお前は全ての兵を引き連れ、ここから撤退しろ。逃げ道は作っておく」
「……わかりました」
「なら、早速始めるぞ」
フラムは長い紅髪を纏めていた紐を解き、髪色を変化させる。
紅い髪は炎のような輝きを見せ、赤い粒子がフラムの髪から立ち昇っていく。
そして大量の魔力を消費し、東の戦場を檻のように囲んでいた炎の勢いをさらに増加させる。
火柱は王都の外壁の高さを優に超え、炎の壁によって王都から東の戦場は一切視認出来ない状況になった。
「逃げ道は作った。そこからさっさと兵を率いて逃げろ」
「……感謝致します」
ボドワンは未だにバランドがフラムによって殺された現実を消化することが出来ず、感謝の言葉とは裏腹に、恨みに満ちた視線をフラムに向けてしまうが、それをフラムが気にすることはなかった。
炎の勢いが増したことで、東の戦場は大きな混乱に包まれる。
「死にたくねぇ! 誰か助けてくれぇ!」
「……もう終わりだ。こんなことならバランド軍に参加しなければ……」
「――おい! どうやら東には炎の壁が無いらしい! そっちに逃げた方が良さそうだぞ!」
戦意を無くし、逃げ惑っていた多くの兵たちは東に逃げ道があるとの情報に希望を見出だし、次々と東へ大慌てで駆けていく。
そして、東へと集まった兵をボドワンを中心としたバランドの護衛たちが混乱を鎮め、再度一つの軍団として統率していった。
「――今から我らはこの場から撤退する! 死にたくなければ全力で私についてこい!」
騎乗した状態でボドワンは東に集まった兵たちにそう告げると、一度だけフラムに視線を向け、ほんの僅かに頭を下げてから馬を走らせていったのだった。
フラムはバランド軍の生き残り全てが撤退する様子を見送った後、バランドの死体を担ぎながら戦場の中心へと向かい、最後の仕上げを行う。
数多くの死体があちこちに転がっている中、フラムは瞳を閉じて魔力を高めていく。
そして――東の戦場を囲んでいた炎が大きな音を立てて爆ぜる。
耳をつんざく爆発音が東の戦場だけではなく、王都にまで響き渡っていく。
東の戦場は完全に黒煙に包まれた後、煙が晴れた場所にはポツリとフラムだけが無傷のままの姿で立っていた。
フラムの周囲には人の姿も、死んでいった者たちの姿も一つとして残されておらず、ただ草木一つ生えていない荒れ地だけがそこに残っていた。
(……ふう。ようやく終わったな。さて、次はディアのもとに向かうとするか)
一度たりとも東に視線を向けることなく、フラムはそのままの足で南で戦うディアのもとへと向かったのであった。
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