第175話 誤った判断
底冷えのするような声音で発したフラムの言葉で、周囲にいた全ての者が黙り込む。
図星を突かれたという一面もあったが、それよりも下手にここで反論しようものなら、自身の命が目の前にいる仮面の女によって消し去られてしまうのではないかという恐怖から黙り込んでしまっていた。
「この程度の威圧で沈黙するとは情けないにも程がある。私一人に怯えているようでは、眼下にいる数千もの敵が攻めてきた時、貴様らに何が出来るというのだ?」
黙りこくってしまっている騎士たちをフラムはさらに煽るが、それでもその場にいた騎士たちのほとんどは顔を下に向け、沈黙を貫く。
己の無力さに奥歯を強く噛み締める者や完全に自信を喪失し、王国の未来を想像して顔を青ざめる者が数多くいる中、東の門を任された指揮官だけは強い意思を感じさせる両の瞳でフラムを睨み付けた。
「確かに東の門を守る我らの数は東に布陣するパスカル・バランド辺境伯の軍勢四千に対し、千と少しだけだ。加えて、先の魔物との戦いで疲弊している者ばかりで、まず間違いなく苦戦を強いられることになるだろう。――だが! それでも我ら王国騎士団は身命を賭して、王都のため、ひいては王国のために戦うのみ! 決して我らは諦めはしない!」
指揮官の視線はフラムに固定されていたが、その熱い言葉はフラムだけではなく、俯いていた多くの騎士たちに向けられているかのようであった。そして指揮官は続けてフラムに問いかける。
「逆にラムとやらに問おう。たった一人で一体何が出来る、と。相手は四千にも及ぶ大軍だ。バラバラの装備を身につけている点から鑑みて、おそらく全員が全員鍛え上げられた兵士というわけではないだろう。しかし、それでも四千という数はそれだけで大きな脅威となる。いかに強かろうと一人では到底相手に出来る数ではない」
個人の能力が所有するスキルによって大きく左右されるこの世界でさえも、数というのは強力な武器となる。
何しろ、一人一人が何かしらのスキルを所持しているのだ。相手の数が多ければ多いほど、様々なスキルに対応しなければならない。
無論、全員が戦闘系スキルを所持しているとは限らないが、四千もの軍勢を一人で相手をするなど不可能だと指揮官が考えるのは当然だと言えよう。
しかし、フラムが人間の常識にとらわれる存在ではないことをここにいる者は誰も知らない。
「その問いへの答えは簡単だ――私なら全てを殺し尽くせる」
フラムはそう言葉にした後、仮面の下で『まぁ、そこまでするつもりはないが』と小さく呟いたが、誰の耳にも届くことはなかった。
「……」
問いの答えを聞いた指揮官は呆気に取られ、否定の言葉を口にすることは出来ずに黙り込んでしまう。仮面で相手の表情こそ窺い知れなかったが、あまりにも自然とした態度と声音で言い切られたことで『真実を語っている』と信じ込まされてしまったのだ。
そんなやり取りの最中、パスカル・バランド辺境伯の軍勢を見張っていた末端の兵士の叫び声が響き渡った。
「――し、進軍を確認ッ!!」
声を聞いた全ての者の視線が東へと向けられ、そこには盾を構えながら進軍を開始したバランド辺境伯軍約四千の姿があった。
茫然自失していた指揮官はすぐさま思考を切り替え、命令を飛ばしていく。
「敵襲だ! 鐘を鳴らせ! 弓をいつでも使えるよう準備は怠るな!」
進軍速度から後数分の猶予があるとはいえ、全員が指揮官の命令に従い、迅速に準備を整えていく。
東の外壁が騒がしくなっていく中、フラムはその場から動こうとはせず、バランド辺境伯の軍勢をじっと眺めていた。
その様子に疑問を抱いたフラムの付き人となった若い騎士は先程までの恐怖が残っているのか、恐る恐るといった様子で声をかける。
「……あ、あの、ラム殿」
「ん? どうしたのだ?」
先程までの雰囲気と打って変わって、フラムの声音は相手を恐怖させるものではなく、のんびりとした普段通りのものになっていた。
「ラム殿はどうするおつもりでしょうか? ここの指揮官と仲違いした形のまま開戦することになってしまいそうですが、王命は絶対的なものです。ラム殿に何か要望があるのでしたら、私がそれを王国騎士団の者たちへ伝えますので、ご指示を」
フラムと王国騎士団の連携が取れぬまま開戦してしまうことを危惧した若い騎士は、自身が潤滑油となることでどうにか最低限の連携が取れるようフラムの意見を聞き、それを反映させるよう動くつもりでいた。
「それなら誰も王都の外に出ないよう伝えてくれ。巻き込んで死なれてしまっては困るからな。では、私は行ってくるぞ」
「……はい? 『行ってくる』とは一体どこに――」
若い騎士が全てを口にする前に、フラムは二十メートルもの高さがある外壁の上から飛び降りてしまっていた。
「……え? ――ちょっ! ラ、ラム殿ぉー!?」
まさかフラムが一人で大軍を相手に平地で戦うつもりでいたとは露程も考えていなかった若い騎士の叫び声が東の外壁で木霊したのであった。
―――――――――――――
「――報告致します! 東門の前に何者かが突如として現れました!」
それは進軍開始の命令を下してすぐのことだった。
全身を白銀に輝くミスリル製のプレートアーマーで覆い、騎乗していたバランド辺境伯のもとに一人の兵士が駆け寄り、跪きながら報告を行ったのは。
「突如として、とはどういう意味だ。門が開いたということか? それと相手の人数は?」
要領を得ない報告に苛立ちを覚えながらも、詳細な報告をするようバランドはグレーの瞳で睨み付けながら、兵士に促す。
「も、門は開かれておりません。敵兵なのかどうかは未だにわかりませんが、人数は一人。風体からして、おそらく騎士の類いではなく、冒険者の可能性が高いかと」
「……何? 冒険者だと?」
バランドはその報告に耳を疑う。
何故なら、冒険者が戦争に自ら参戦することなど滅多にあることではないからだ。
仮に勝ち戦であったのなら、金銭に釣られて参戦する者は少なからずいたかもしれないが、今の王都側の状況は誰の目から見ても勝ち目はないと判断することは間違いない。そんな状況に陥っているにもかかわらず、冒険者が王都の防衛に手を貸すとはバランドには思えなかった。
そしてさらに疑問を抱かざるを得ないのは、相手がたったの一人しかいないということ。
現在バランドが率いる兵は四千を上回る。全てがバランドの私兵というわけではなく、他領の反王派貴族の私兵も混ざってはいるものの、その数は圧倒的。一人でどうこう出来る数でないことは明白である。
「はい。ですが、あくまでも外見で判断したに過ぎません。遠目からの確認になりますが、その者は鎧はおろか、防具らしい防具さえ身につけておらず、武器すら所持していない様子。他に変わった点を挙げるとするならば、白い仮面のようなもので素顔を隠していることくらいでしょうか」
「傭兵という可能性も捨てきれぬが、そこはどうでもよい。それよりも、白い仮面を着けているというのは真であるか?」
「断言は出来ませんが、私にはそのように見えました」
バランドには『白い仮面』を着けている人物に心当たりがあった。
(確か、マルク公爵から要注意人物として聞かされていた者の特徴も白い仮面だったはず……。やはり、魔武道会に出場したトムとラムとやらはエドガー国王の懐刀だったと言うわけか。だが、一人で我が軍をどうにか出来ると考えているのであれば、笑止千万。軽く捻り潰してみせようぞ)
ニヤリと口元を歪め、気を吐くバランドに急報が舞い込む。
「――ほ、報告致します! 仮面を着けた女が悠然とこちらに向かってきております!」
「……ほぉ。女か。であれば相手はラムとやらで間違いなかろう。――我が軍に告ぐ! こちらに一人で向かってくる愚か者を撃滅せよ! 肉片一つ残すな!」
バランドは決して慢心することも油断することもなく、四千を超える全ての兵をたった一人の敵に差し向ける判断を下す。だが、その判断は正しくもあり、間違いでもあった。
油断することなく全戦力をフラムに差し向けた点については正しい判断であったと言えよう。
仮にバランドが凡庸な指揮官であったならば、たった一人の敵にそこまでの戦力を差し向けようなどと考えもしなかったのは間違いない。
――しかし、バランドの判断は最適解ではなかった。
最も正しい選択はフラムに立ち向かうのではなく、全力でその場から逃げ去ることだったからに他ならない。
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