第174話 亀裂

「ふむ。何の妨害もなく後退出来たな」


 ジェレミー・マルク公爵は息子の死を確認した後、後退した自軍へと合流を果たしていた。

 ディオンがルッツの手によって殺害されたことで何かしらの反撃があると思いきや、王都外壁の上にいた王国騎士団は突然の出来事に呆気に取られていたこともあり、ジェレミーの後退は妨害されることはなかったのだ。


 合流を果たしたジェレミーの最初の言葉が息子の死を悼むものではなかったことに、近くにいた側近や護衛の兵士たちはジェレミーのあまりの非情さに沈黙してしまう。


「「……」」


 唯一の例外であったルッツでさえも苦笑をしながら、兵の士気の低下に繋がる可能性を危惧し、ジェレミーに小声で忠告する。


「少しは発言に気をつけた方がいいじゃないかい? 息子ですら簡単に切り捨てる男だと兵たちに思われたら、誰もついてこなくなると僕は思うよ」


「そういうものなのか。では、今後は気をつけるとしよう」


 この返答でルッツはジェレミーのことを『人の心情を理解しようとしない、もしくは出来ない男』だと判断し、ジェレミーの人物評価を数段下げる。

 計画遂行のために息子を切り捨てたことまでなら、ルッツはジェレミーの評価を下げることはなかった。むしろ合理的な判断を下した点を評価していたほどだ。

 しかし、人の気持ちをここまで理解出来ないのであれば話は別である。


(もう少しまともな振る舞いが出来る男だと思ってたけど、僕の見当違いだったみたいだね。まぁ、玉座に王手をかけたことで気が緩んだ可能性もあるかもしれないけどさ)


 ルッツからの評価が低下したことなど知る由もないまま、ジェレミーは計画を次の段階に進めるかどうかの判断をするため、側近に声をかける。


「南はどうなっている? 未だに南方の貴族たちは到着していないのか?」


「は、はい。未だ到着したとの報告は入っておりません。何かしらの問題が発生した可能性も十分考えられるかと」


 急に声をかけられたことで動揺を見せつつも、側近の男は知る限りの情報と持論をジェレミーに伝えた。


「……南が若干手薄になってしまうが、これ以上は待てん。全軍に伝令を送れ。三十分後に一斉攻撃を開始する、と」


 これ以上無駄に時間を費やすことをジェレミーは許容出来なかった。王都の防衛戦力と反王派貴族軍との戦力差は歴然としているものの、時間が経てば経つほど、せっかく魔物との戦いで疲弊していた王国騎士団が回復してしまうからだ。


「かしこまりました。直ちに伝令を出して参ります」


 だが、ジェレミーは大きな過ちを犯してしまっていた。

 この『三十分』という僅かな時間の猶予が、計画の全てを狂わせてしまうとは、この時のジェレミーは思いもしなかったのだった。


―――――――――――――


 エドガー国王との話し合いを終え、防衛戦に参加することになった四人の中で最も速く自分の持ち場に到着したのはフラムだった。


「……はぁ、……はぁ。ラ、ラム殿、急いでいただけるのはありがたいのですが、自分を置いていかれては困ります。東を守る王国騎士団には、まだラム殿が防衛戦に加わることは知らされていないので自分が王国騎士団に説明をしなければ、ラム殿が不審者だと勘違いされてしまう恐れが」


 王命により、フラムの便宜を図るよう付き人となった近衛騎士団の若い男性騎士は乱れた呼吸を懸命に整えながら、フラムに訴えかける。


「む? これでも随分と速度を抑えていたのだぞ?」


 フラムからしてみれば置いていくつもりなど毛頭なく、きちんと配慮をしているつもりだった。けれども、フラムの移動速度は日頃から鍛練を積んでいる騎士でさえも、音を上げるほどのハイペースであった。


「は、配慮してくださっていたのですか……」


 一瞬、『嘘だ』と疑いそうになった騎士だったが、フラムの疲労も呼吸の乱れもない様子から、それが事実なのだと思い知る。


(ラム殿の魔武道会での活躍は知ってるけど、この御方は一体何者なんだろう……。仮面を着けているし、素顔を見られると困る人物なんだろうけど……)


「それで私はどうすればいいのだ? もう外壁の上に到着してしまうぞ」


 フラムへの好奇心で思考が違う方向へと向かってしまっていた若い騎士は、フラムの呼び掛けでハッと我を取り戻す。


「で、では、ここからは自分の後ろをついてきてください。自分が東を守る王国騎士団にラム殿を紹介しなければなりませんので」


「うむ。面倒事は全て任せたぞ」


 階段を上りきり、二人が外壁の上に到着した瞬間、一斉に視線がフラムへと集まっていく。

 その視線は警戒心に満ちたもので、中には腰に差した剣の柄に手を伸ばす者までいた。

 いつ戦端が開かれてもおかしくはない状況の中、仮面をつけた不審人物が外壁の上に来たともなれば、空気がピリつくのも仕方がない話である。


 そんなピリついた空気に若干気圧されながらも、フラムの付き人となった若い騎士は大きな声で周囲にいる王国騎士団の面々に呼び掛けを行う。


「ここの指揮を任されている者は何方であるか!」


 若い騎士が呼び掛けて十秒程の時間で、人混みを掻き分けながら三十代前後の一人の男性騎士が前に進み出る。


「ここの指揮を任されているのは私だが、何事か?」


 前に進み出た騎士が身に纏っている鎧は所々損傷しており、その顔も疲労困憊といった様子ではあるが、男の声色は力強さを感じさせる堂々としたものだった。


「陛下から王命を預かっております」


「……何? 陛下からの王命だと? して、その内容は?」


 懐から取り出した王命が記された植物紙を一旦指揮官に広げ見せた後、その内容を読み上げる。


「王都防衛に加わることになったラムに従い、その援護をせよ、とのことであります」


 王命を聞いた指揮官はその内容が信じられず、王命が記された紙を若い騎士から強引に奪い取り、目を通していく。

 そして、その内容に間違いがなかったことを確認した指揮官は驚愕の表情を隠そうともせず、そのままの表情でポツリと呟いた。


「……指揮権をラムという人物に譲れとはどういうことだ」


「いえ、そうではありません。指揮権の委譲ではなく、ラム殿に便宜を図るように、とのことです」


 指揮官は『それのどこに違いがあるのか』と問い詰めたくなる気持ちを抑え、一度深く呼吸をし、頭を整理する。


「それで、ラムという人物はもしや……」


 その言葉で周囲にいた全員の視線が自然とフラムへと集まっていく。だが、当のフラムは視線を王都の外に向けていたため、数多の視線に気づいていないばかりか、話すら聞いていなかった。


「……ラム殿……ラム殿!」


 若い騎士の呼び掛けで、フラムはようやく多くの視線が自分に集まっていることに気づく。


「ん? 何か私に用か?」


 仮面を外さずにいることに加え、話を聞いていなかったことに指揮官が腹を立てる中、一部の王国騎士は『ラム』の戦う姿を魔武道会で目の当たりにしていたのか、フラムが振り返ると共にざわつき始める。


「……おい、あれって」


「白い仮面に真紅の髪……間違いないなくあの『ラム』だ」


 ざわめきが東の外壁の上にいる騎士たちに伝播していく。

 そんな中、指揮官は魔武道会を観戦していなかったこともあり、何故騎士たちがざわつき出したのかが理解出来ずに困惑しながらも、フラムへと問いかける。


「ラムというのは貴女のことで相違ないか?」


「そうだが?」


「王命により、貴女に便宜を図るよう命じられたわけだが、我ら王国騎士団に何を求める?」


 指揮官の態度はフラムに対して敬意を欠いていたが、フラムは特に気にすることなく、顎に手をあてつつ、何を指示すべきか考える。


「……ふむ。別にしてもらいたいことなどないぞ。いや、むしろ何もしないでいてくれた方がありがたいくらいだ」


 フラムの一言で指揮官の堪忍袋の緒が切れた。


「――なっ! ふざけているのか! 我らに何もするなだと!? 門を守らねば、王都に敵が雪崩れ込むということもわからんのか!」


 王都中に怒声が響き渡るのではないかというほどの声量で指揮官がフラムを怒鳴りつけたことで、ラムを知る者は顔を青ざめさせていく。

 それに対し、フラムは仮面の下で嘲るような笑みを浮かべた後、冷徹な声音で指揮官に反論した。


「威勢だけはいい男だな。私が――私たちが王都の防衛に手を貸してやっているのは貴様らが不甲斐ないのが原因だということを理解していないのか? はっきり言わせてもらおう。貴様らが私を援護することなど不可能だ。貴様らでは私の邪魔にしかならない」

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