第173話 父と息子

 紅介がエドガー国王と面会し、王都の防衛について話し合おうとしていた頃、王都の北側にある、森の入り口まで後退していたジェレミー・マルク公爵のもとに凶報がもたらされようとしていた。


「閣下、北門から一騎、こちらへ向かって来る騎士らしき姿が確認されましたが、いかがいたしましょう?」


 簡易的な造りをした椅子に座りながら、今後の展望を思案していたジェレミーに、側近からの報告が舞い込む。


「……何? 念のため、私自ら確認する。護衛を数名用意せよ」


 ジェレミーの命令ですぐさま五人の護衛が呼び出され、ジェレミーは護衛を引き連れて自軍の先頭へと躍り出る。そして、こちらへと向かってくる、白地の布に赤い一本線が斜めに入っている旗を掲げた騎士の姿を目視した。


(あの旗を掲げているということは……あれは使者か。一体何用だ? まさか戦いが始まっていないにもかかわらず、停戦協定でも持ち込んでくるつもりではなかろうな)


 一分と掛からず、馬に乗りながら器用に旗を振っていた騎士がジェレミーのもとに到着するや否や旗をおろし、筒状に丸められた一枚の植物紙を懐から取り出すと、それを広げて読み上げ始めた。


「王国騎士団団長マティアス・バイヤール殿からの通達である。『十分後、王都北門前に来られたし』。繰り返す――」


 馬から降りることもなく、書状の内容を二度繰り返し読む騎士の姿は、公爵という爵位を持つジェレミーに接する態度として相応しいものではなかった。騎士の態度、声音、表情のどれを取っても、ジェレミーへの敬意は微塵も感じられない。

 だが、そんな騎士の態度を見たジェレミーは一切気にすることなく、冷静さを保ち続けていた。


(……ふむ。どうやら完全に敵視されているようだな。やはりジスランは失敗したとみて間違いないか)


 王都を反王派貴族軍がぐるりと囲んではいるものの、手を出さずに待機しているだけでは決して罪に問われることはない。そのため、使者としてジェレミーのもとを訪れた一騎士がジェレミーに対し、不遜な態度を取ることは基本的には有り得ないのだ。

 しかし、使者は完全にジェレミーを敵視している。つまりはジェレミーの計画がジスランから漏れた、もしくは反乱の意思がある証拠を捕まれた可能性が高い、とジェレミーは推測を立てつつ、使者の言葉に耳を傾けていた。


 その後、使者としての務めを果たした騎士はジェレミーへ挨拶をすることもなく、踵を返し王都へと戻っていく。


 使者が去り、剣呑な雰囲気がジェレミーの周囲から漂い始める。

 特にジェレミーの護衛として付けられた五人は、今にでも使者を追いかけ、切り殺そうと考えているのではないかとジェレミーに思わせるほどの雰囲気を醸し出していた。

 そして案の定と言うべきか、護衛の一人が怒りを交えた声色でジェレミーに尋ねる。


「閣下、今ならまだ間に合います。あの不届き者をどうか私にお任せを」


「ならん。今は堪えよ。約束通り十分後、北門へと向かう。準備せよ」


 ジェレミーの命令に渋々ながらも護衛たちは一礼し、ジェレミーの側を離れていく。その後、ジェレミーは側近の一人を連れ、自軍の最後尾へと足を運ぶと、すぐさま側近に命令を下した。


「例の傭兵たちを呼んでくるのだ。今すぐに、だ」


「……あの三人を、ですか? 僭越ながら申し上げますが、閣下と私だけで会うのは些か危険かと」


 命令にもかかわらず、側近は首を縦には振らずに、やんわりと拒否の意思を示す。しかし、これには理由があった。

 ジェレミーが指名した傭兵とは、つい先日、突如としてマルク公爵軍に自ら合流してきた謎多き者たちだからだ。

 何故ジェレミーに手を貸すことにしたのかも側近には知らされておらず、その顔も目元以外を全て黒い布で覆い隠していることもあり、素顔さえもわからない。しかも、その三人の内の一人が小さな子供ともなれば、一層のこと怪しいと言わざるを得ない存在だった。


「問題はない。二度は言わせるな」


「申し訳ありません。閣下」


 これ以上の提言は失礼にあたると判断し、側近はジェレミーの命令に従い、この場を後にした。




 約束の時間となった。

 ジェレミーは自軍を引き連れ、北門から百メートル以上離れた位置で停止し、王国騎士団からの連絡を待つ。

 先頭に立つジェレミーの横には、顔を布で覆い隠した三人の傭兵が並び、その内の最も小柄でジェレミーの真横に立つ者が馴れ馴れしい態度でジェレミーに話しかけた。


「いきなり僕を矢面に立たせるなんて、なかなかに酷なことをしてくれるね。いくらなんでも出番が早すぎないかい?」


 口元を布で覆い隠していることもあり、その声は隣に立つジェレミーにしか届かない。


「奇襲の可能性を危惧したのだ。攻撃に手を貸してもらうわけではない」


「いや、余計に質が悪いと思うよ? 肉壁になれって言ってるのと同じだよね、それ」


「笑わせてくれる。矢程度で殺られる玉ではあるまい」


「いやいや、魔法だって飛んで来る可能性もあるじゃないか」


「――それでも、だ。そろそろお喋りは終いとしよう」


 話を切り上げたジェレミーの視線は王都の外壁の上に固定され、そこには王国騎士団団長マティアス・バイヤールが姿を見せていた。




 外壁の上に姿を見せたマティアスの手には、音を増幅させる黒い魔道具が握られており、魔道具を口元に寄せたマティアスはジェレミーに向けて口を開く。


「ジェレミー・マルク公爵に告げる。貴殿には反逆罪及び、内乱罪の容疑がかけられている。直ちに兵を退かせ、その身を差し出すのだ」


 マティアスはそれだけを告げると、一度後ろを振り返り、後方に控えていた二人の部下にハンドシグナルを送る。

 そして、マティアスの合図を確認した二人の騎士が、ジェレミーの息子であり、現在は深い眠りについているディオン・マルクを肩で支えながら、ジェレミーに息子の姿が見えるよう前に進み出た。

 その様子を確認したマティアスは再び魔道具を口元に寄せる。


「見ての通り、この者はマルク公爵家の嫡男であるディオン・マルクである。ディオン・マルクは約半数にもなる反旗を翻した近衛騎士団を率いて、アリシア王女殿下の誘拐を試みたところを騎士団によって捕らえられた。そして、アリシア王女殿下の誘拐を指示した者として、ジェレミー・マルク公爵の名が挙がっている」


 マティアスにはディオンの身柄を確保したのは騎士団であると王城に勤める文官から偽の報告が届けられていたため、意図せずに偽の情報をジェレミーに告げていた。


 無論、その偽情報を流すよう指示したのはイグニスであった。

 イグニスはディオンの身柄をロザリーに引き渡す際に、自身がディオンを捕らえたことをエドガー国王以外に口外しないよう、ロザリーに脅迫――もとい、お願いをしていたのだ。

 ロザリーはそれを承諾し、エドガー国王を通して偽の情報を流したのだった。




 息子であるディオンが捕らえられている姿を目にした瞬間、ジェレミーは目を見開き、驚きを露にしてしまうが、それもほんの僅かな間だけであった。

 何故なら、驚きよりも息子に対する怒りがすぐさま上回ったからである。


(……馬鹿者が。身を隠せと命じたというのに、己の感情を優先し、失態を犯すとは。あれはもう足枷にしかならん)


 ジェレミーは息子を不必要なと判断し、計画を練り直す必要があることを認識する。

 当初の計画では、アリシアをディオンの妻として迎え入れ、王派貴族と王都に住む市民を抑え込もうと考えていたが、その計画は愚息が捕まったことによって頓挫してしまった。


(この際、正妻の子供にこだわる必要ないか。妾との間に出来た息子を養子として迎えればいい。ディオンほど愚かであれば、私としても裏から操りやすいが、そこは割り切る他なかろう。アリシア王女を私の正妻に迎え入れる手もあるが、それは今考えることではないな)


 頭を整理した結果、ディオンが捕らえられたことによる大幅な計画の修正は必要ないと判断を下したジェレミーは、自身の後方で控えていた側近を呼び寄せ、自軍を後退させるよう指示した。


 自軍が後退したことで、北門の前に残るのはジェレミーと三人の傭兵だけとなる。

 そしてジェレミーは傭兵として隣に立つ、シュタルク帝国の諜報員であるルッツに依頼をした。


「ルッツ。あれを処分し、私が後退するための支援を頼む」


「……へぇ。本当に良いのかい? あれはマルク公爵の息子なんだろう?」


「構わん。あれはもう不要だ。足枷でしかない」


 ジェレミーの表情には何の躊躇いも、ましてや感傷に浸る様子もない。

 そんなジェレミーの姿を見たルッツは布で覆い隠された口元を笑みで歪めた。


「――ははっ。僕は非情で無情で薄情なマルク公爵のことは嫌いじゃないよ」


 そしてルッツは手のひらを眠っているディオンに向け、誰にも聞こえないほどの小さな声で、こう呟いた。


「――それじゃあ、さようなら。恨むなら愚かな自分自身と冷酷な父親を恨むんだね」


 ルッツの言葉と共にディオンの頭部が弾け飛んだ。

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