第176話 炎の檻

 高さ二十メートルほどの外壁から飛び降りたフラムは一度後ろを振り返り、鉄製の門を確認した。


(私の役割はこの門を守りきるか、東に陣取る敵を排除すればいいのだったな。……ふむ。どうやら、ここは私から攻めた方が良さそうだ)


 フラムは門を背にしながら戦うことを選ばず、自ら敵の軍勢に突っ込むことを選択する。

 理由は単純。自身の攻撃の余波で門が壊れてしまうことを危惧したからだ。

 いくら鉄製の門とはいえ、フラムにとっては鉄の耐久性など紙にも等しい柔なものでしかない。そんな脆い物を背にして戦うなど、自らハンディキャップを背負うような行為であると考え、守ではなく攻を選択したのだ。


 攻めを選択したフラムはすぐさま行動に移る。

 敵の軍勢が門に近づき過ぎる前に自ら歩を進め、敵との距離を詰めていく。


(相手が弱すぎて、どう戦うか悩むぞ……。纏めて焼き殺すのが一番楽だが、私がそんなことをすれば主はきっと悲しむだろうな。……さて、どうしたものか)


 どのように戦うべきか歩を進めながら頭を悩ませていると、いつの間にかに敵軍との距離が二百メートルを切っていたことに気づき、フラムはそこで歩みを止める。

 視線の先には、最前列にいる兵士が大盾を構えて防御を固め、その後方には大盾に守られながら弓を構える者が数百人単位で自身に狙いを定めている様子が窺えた。


 両者共にその場から一歩も動かず、数十秒間に渡って睨み合いが続く。

 いつ破裂してもおかしくはない緊迫した雰囲気の中、最初に動いたのはフラムだった。

 フラムが右足を僅かに浮かせ、大地を踏みしめた瞬間、右足で踏みしめた場所を基点に炎が地面を這っていき、四千を超える兵士全てを灼熱の炎が囲い込む。


 ――それはまるで炎の檻。


 燃え盛る炎の高さは三メートルほどまで及び、炎に囲まれたことにより、逃げ場を失った兵士たちは混乱状態に陥ってしまう。


「おい! 炎に囲まれちまったぞ! 誰か炎を消してくれ!」


「――駄目だ! 水をぶっかけても炎が消えるどころか、弱まる気配すらないぞ!」


 そんな会話があちこちで飛び交っていく。

 中でも、特段騒ぎ立てていたのは統一感のない防具を着用している者たちであった。

 その者たちの慌てようといい、粗野な言葉遣いからして、誰の目から見ても、訓練を重ね、鍛え上げられた兵士でないことは明らか。無論、フラムもそのことに気づいていた。


(こやつらは全員が全員兵士として戦えるわけではなさそうだな)


 フラムの推察は正しく、パスカル・バランド辺境伯率いる兵士の一部は職業軍人ではない者が含まれていた。そのため、所々統率に乱れが生じ、戦うことを恐れて逃げ惑う者が現れていく。

 しかし、炎の檻に逃げ場など用意されていない。

 脱出するためにはフラムを倒すか、フラムに解除してもらうしかないのだ。


 四千を超えていたバランドの軍勢はフラムへの底知れぬ恐怖から、その内の千人近くが戦意を失ってしまい、逃げ場を求めて右往左往し始める。

 逃げ惑う者たちは既にフラムの眼中になく、戦う意思を持たぬ者をわざわざ殺すつもりはない。

 残るはフラムに恐怖することなく未だに大盾を構える者、弓を構える者、更に後方で各々武器を構える者、そして最後尾で護衛に囲まれているバランドとなった。

 炎に囲まれながらも混乱することなく、フラムとの戦いに備えている者こそ、バランド自慢の精鋭である。


 敵兵の選別を終えたフラムは、鋭い眼光を未だに戦意を失っていない者たちに向けながら、ゆっくりとした歩みで距離を詰めていく。

 それに対し、バランド辺境伯軍の弓兵を指揮する者がフラムへの攻撃許可を下す。


「――今だ! 放てぇぇぇ!!」


 その声を合図に、フラムへ矢の雨が大量に降り注ぐ。

 だが、矢は一本たりともフラムを傷つけるに至らなかった。

 それどころかフラムに届きもしなかったのだ。


「――なっ!」


 どこからか驚きの声が上がる。

 それは矢が効かなかったことに対する驚きも多分に含まれていたが、最たる原因はフラムの姿に対する驚きから来たものだった。


 フラムは全身に炎を纏っていた。

 激しく燃え盛る炎をその身に纏い、フラムを目掛けて飛んできた矢の悉くが炎に触れた瞬間、鏃ごと燃え尽きていったのだ。

 その炎の温度は一万度を優に超えるが、炎竜王ファイア・ロードたるフラムは火に対する完全耐性を有しているため、火傷一つ負うことはない。


「……あ、あり得ない! もう一度矢を放て! 早く!」


 弓兵の指揮官は焦燥感に駆られながら、第二射を放つよう命令を下す。しかし、その全てが無駄に終わる。

 フラムは降り注ぐ矢を無視しながら、ゆっくりと一歩一歩距離を縮めていく。フラムが通った地面は融解し、赤黒い足跡をくっきりと残していた。


 そして、矢の雨が止んだタイミングでフラムは纏っていた炎を消し、バランド軍の前衛との距離が三十メートルを切ったところで一旦足を止め、口を開いた。


「命が惜しければ武器を捨て、投降しろ。貴様らでは私に傷一つ負わせられないことは十分に理解したはずだ」


 その声は大きなものではなかったにもかかわらず、不思議とバランド軍の兵たちの耳に届いていく。だが、誰一人として武器を捨てる者は現れない。

 それは戦う意志が残っているからという理由から来るものではなく、困惑と自分の身を守るための武器を手放すことに対する恐怖から、武器を手放すことが出来なかったのだ。

 しかし、弓兵を指揮していた者はそれを勘違いしてしまう。


「……は、ははははッ! 貴様の脅しなどに我らが屈するとでも思ったか! 馬鹿にするのも大概に――」


 フラムは仮面の下から覗かせる冷酷な瞳で、煩わしいと感じていた弓兵の指揮官を睨み付け、言葉を遮る。


「――貴様には聞いていない。黙っていろ」


 その瞬間、弓兵の指揮官は炎に包まれた。


「――ぎゃぁぐあぁぁぁ!! あ、あぁづぅぃいいい!! だぁずげぇ……で……ぇ」


 言葉にならない叫び声を上げ、そして燃え尽きた。

 指揮官がいた場所には異臭を放つ黒焦げになった焼死体だけが残され、近くにいた兵たちは無惨にも焼き殺された指揮官を見て、口から大量の吐瀉物を吐き出す。

 人間が燃えた臭いと吐瀉物から漂う酸っぱい臭いが混じり合い、東の戦場は形容し難い異臭に包まれる。


「もう一度だけ聞くぞ。命が惜しければ武器を捨て、投降しろ。次はない」


 フラムの最終通告に恐怖した数多の兵たちは次々と武器や盾を地面に捨て、投降の意を示していく。

 顔を青ざめさせた兵たちには既に戦う意思など微塵も残されておらず、武器を捨てた者から順次地面に座り込み、膝を抱えながら震え始める。

 戦場にはガチャガチャと鎧と鎧がぶつかり合う音が鳴り響くが、その音は全て恐怖によって兵たちが身体を震わせたことで生じていた。


(他愛もない。この程度で戦う意志が消え失せてしまうとはな。……残るは奥にいる奴らだけか)


 たった一人を殺しただけで投降した者は約二千人にも達し、そこに未だ逃げ惑う者を加えると、計三千人近くもの兵が戦う意思を無くしており、残すは後方で待機していた約千人だけとなる。

 そこにはバランド辺境伯と、それを守る一際屈強な兵が武器を構え、フラムを警戒していた。


「道を開けろ」


 フラムの一言で、膝を抱えながら座り込んでいた兵たちが地面を這うように道を開ける。僅か数秒で完成した新しく出来た道をフラムが通り抜け、後方で武器を構える者たちの前へと進み出た。


 そして、フラムはバランドの顔が認識出来る距離まで近づいて行き、冷淡な声で最奥にいるバランドに声量を上げ、呼び掛ける。


「最奥で守られている臆病で偉そうな貴様がこの軍の大将か?」


 冷淡な声音であったが、そこには侮蔑と挑発が含まれていた。そして、それに気づかない愚か者はこの場にはいない。


「――バランド様に向かって何たる発言! 断じて許せぬ!」


 バランドを守る壁の最前列にいた一人の兵士がフラムに怒声を浴びせる。しかし、フラムはその兵士を一瞥しただけで歯牙にもかけず、視線をバランドに再び向けて、返事を待つ。


「然り。私がこの軍を率いるパスカル・バランドである。其方が例のラムで違いないか?」


 然程声を張っていないバランドだったが、低く威厳のある声はフラムに届いた。


「『例の』とは何を指しているのかはわからないが、その通りだ」


「……やはり、か。して、其方は何用でここまで一人で来た?」


「私から貴様に一つ忠告してやろうと思ってな。――ここに残る全ての者を殺されたくなければ、投降しろ。投降するのであれば、貴様とを除いて、命だけは取らないでやろう」


 フラムは忠告とは言ったものの、それは間違いなく脅迫であり、そして宣戦布告の言葉でもあった。


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