第146話 薄れゆく意識

 ――腹が焼けるように熱い。


 突然の出来事に俺の思考回路は停止する。

 一体、何が起きたのか、と。


 俺は熱の発生源である腹部を確認する。


「……」


 腹部は鋭く長い爪で貫かれていた。

 勿論、強い痛みは感じている。だが、痛みよりも焼け付くような熱さを脳が強く感じ取っていた。


王女プリンセスからお話は伺っております。貴方が再生能力を持っていると――。ですが、再生は出来ていないようですね」


 執行鬼エンフォーガの言葉通り、俺は『自己再生』で傷を修復出来ずにいる。

 原因は未だに腹部を貫かれていることにあった。

 いくら再生をしようにも、執行鬼の長い爪が傷の修復の邪魔をしているのだ。

 このままの状態では永久に穴が修復されることはない。

 それどころか、俺の意思を無視して傷を修復しようとする『自己再生』のスキルに魔力を消費し続けられてしまう。

 事実、一秒、二秒と時間が経過するにつれ、体内の魔力がごっそりと抜け落ちていた。


 しかし、この状況を打破することは困難極まりない。

 腹部を貫かれたことによって、全身の力が思うように入らないのだ。

 今の俺には両足で立つことが精一杯。

 魔法を使おうにも、痛みと全身の脱力感のせいで魔力のコントロールがおぼつかず、発動には至らない。


 ……まずい。どうにかしない……と。

 

 徐々に意識に靄がかかっていく。

 どうやら血を流しすぎたらしい。


「このまま眠りなさい」


 執行鬼の言葉に促され、瞼が重さを増す。

 俺は最後の足掻きと、右手で執行鬼の腕を掴み爪を立てるが、爪の痕すら残せない。


 ……無理……か。


 脳裏に『死』の文字が浮かび上がる。

 右手に力を込めることさえ出来ない。紅蓮は既に手の中から地面へ落ちてしまっている。

 そんな状況で俺に出来ることはもう何も残されていない――そう思っていた。


 ――右手の甲で微かに赤く光る炎の紋様を見るまでは。


「フ……ラム……」


 右手の甲に魔力を注ぐ。

 魔力のコントロールは然程必要ない。体内の魔力を右手の甲に集めるだけだ。


 ――そして、俺の足元に赤い魔法陣が広がる。


「主よ!」


 魔法陣から現れたフラムが即座に竜王剣を執行鬼へと振るう。

 フラムが放った出会い頭の一撃を執行鬼は寸でのところで回避するが、完璧に避けきる事は叶わず、胸元に浅い傷をつくっていた。


 執行鬼の爪が腹部から取り除かれたことにより、『自己再生』が始まり、一瞬で空いた穴が塞がる。


「……フラム、助かったよ。ありがとう」


 傷が修復され、痛みと熱が綺麗さっぱり無くなったことで靄がかっていた意識がクリアに。

 出血のしすぎで若干の目眩こそ残るが、無視出来る程度だ。

 しかし、魔力は『自己再生』を繰り返してしまった弊害でほぼ空っぽになってしまっている。

 戦闘を続けるのであれば、魔法系統のスキルの使用は諦めた方が良いだろう。


「……すまぬ。吸血王女との戦闘に熱ちゅ――集中していたせいで、まさか主があの様な状況に陥っていたとは気づかなかったのだ」


 今、『熱中』と言いかけていた気もするが、聞かなかったことにする。


「……いや、悪いのは俺だから。夜目が効かないくせに出しゃばりすぎたよ」


 敵とフラムの判別を間違えた結果がこの有り様だ。フラムの責任ではなく、完全に俺の責任だと言える。

 知恵比べで負け、さらに戦闘でも不意を突かれて負けた。

 吸血鬼からしてみれば、してやったりといったところだろう。


「……ふむ。要するにこの暗闇をどうにかすればいいのだな。任せよ」


 フラムがそう口にした後、真っ暗な空間に突如として光が射し込む。

 その光は太陽の如く暗闇を凪ぎ払い、『暗黒世界』を崩壊させていく。


「これは……」


 俺は空を見上げた。

 そこにあったのは赤白く輝く小さな太陽。

『暗黒世界』を構成している影がその小さな太陽光を呑み込もうとするが、影が太陽に近づいた瞬間に次々と燃え消えていく。


「あれは私が生み出した火球だ。私の炎は全てを燃やし尽くす」


 火を司る竜族の王たるフラムの炎は俺の火炎魔法とは威力も性質も次元が異なるものなのだろう。


 ――そして完全に『暗黒世界』が崩壊した。


 視界が戻った俺は、即座に地面に落ちていた紅蓮を拾い、構える。

『暗黒世界』こそ崩壊したものの、二体の吸血鬼は未だに健在なのだ。これ以上の油断は許されない。


「まさか私の『暗黒世界』を崩壊させるとは」


 執行鬼の表情に焦りは見られない。むしろ、この状況を楽しんでいるかのようですらある。


「エンフォーガ。今一度『暗黒世界』を展開出来るかしら?」


「展開こそ出来ますが、意味をなさないかと」


「……なら仕方ないですわね」


 吸血鬼王女の顔が僅かに歪む。

 いくら『超克鬼』のスキルを持っていようと、夜と比べてしまえば存分に力を発揮することが出来ないのかもしれない。

 だとしたら、こちらとしては好都合。

 しかし、俺の魔力が尽きかけている。

 吸血王女と戦うにあたり、確実に勝てるかと問われれば、答えは否だ。

 だが、吸血王女を倒すと決めた以上、俺は負けるわけにはいかない。


「フラム。引き続き執行鬼の方を頼むよ。俺は吸血王女をやる」


「主よ……大丈夫なのか?」


「魔法は使えないだろうけど、まだ紅蓮を振ることは出来る。心配はいらないよ」


「……その言葉を信じるとしよう」


 渋々といった返事だったが、フラムは納得してくれたようだ。

 フラムの信頼を裏切らないためにも、無様な姿を見せるわけにはいかない。


「――行くぞ」


 俺のこの言葉を皮切りに、再び戦闘が始まる。

 最初に仕掛けたのはフラムだった。

 俺より先に二体の吸血鬼の下へ突貫し、鋭い回し蹴りを放つ。

 フラムが狙ったのは執行鬼。

 俺と吸血王女との戦いから執行鬼を遠ざけるための一撃。

 そしてフラムの思惑通りに執行鬼と吸血王女が引き離される。


 フラムが整えてくれた機会を無駄にしないためにも、今持てる全ての力で吸血王女を仕留めにいく。

 まずは挨拶代わりに紅蓮を横凪ぎに一閃。

 易々と俺の一撃は回避されるが、それで構わない。

 あくまでもこの一撃は決闘を申し込むための果たし状に過ぎないのだから。


「お前の相手は俺だ。今度こそ逃がさない」


「死にかけの分際で何を言うのかと思ったら、本当に愉快な事を口にしますのね。なら始めましょう? 一方的な狩りの時間を」


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