第137話 固い決意
崖沿いに東へと進むこと約一時間。
森から開けた場所に宿場町ロージは存在した。
全速力とはいかないが、それなりのペースで走った結果、二時間掛かるところを一時間の短縮に成功。
俺やフラムはもちろんのこと、他のメンバーにも過度な疲労の色は見当たらない。
強いて言うならば、若干ララの呼吸は乱れているが、涼しげな表情を見る限り、心配はないだろう。
俺たちのいる地点から約百メートル先には宿場町ロージの入り口である門が閉まっているのが見え、門の前には二人の衛兵の姿が確認できる。
町の規模は俺の想像以上に小さく、石を積み上げられて造られた二メートルほどの高さしか無い外壁や、外壁の高さを越えて見ることができる石造りの建築物を除けば、多少の発展が見られる村といった外観。
俺の見立てではロージの人口は千人いるかどうかくらいだと思える。
「レベッカ、あれが宿場町ロージだよな?」
「そうよ。ここから見た限りでは町が滅ぼされてしまった、なんて様子はないわね。……少しホッとしたわ」
言葉の通り、レベッカは胸に手を当て、ホッと一息を吐いていた。その表情には安堵から来たものか、笑みが垣間見える。
しかし、俺には未だに安堵などといった安心感は一切ない。
何しろ、吸血鬼は人に擬態することができるのだ。それも気配すら人と同様のものに変質させることが可能ともなれば、油断することなど決して出来ない。
「とりあえずロージの中に入ってみっか。念のため『紅』は俺たちの後ろに付いてきてくれ」
「わかった」
俺が『紅』を代表して短く返事をし、指示に従って『新緑の蕾』の三人の後ろを歩く。
正直に言ってしまえば、突如として吸血鬼に襲われた際に、全員を守りやすい前を歩きたかったが、形式上は俺たちより強いとされているSランク冒険者であるブレイズたちの指示に従わざるを得なかった。
ロージの入り口に到着した俺たちはすぐさま身分証の提示を衛兵に命じられた。
「……み、身分証の提示を」
この町の衛兵である二人の男性の内の一人が覇気のない表情と僅かに震えた声で身分証の提示を求める。
――まるで何かに怯えているかのように。
「おい、貴様。我ら衛兵たる者、そのような態度はいただけないぞ。しっかりしろ」
そう声を掛けながら、上司と思われるもう一人の衛兵が覇気のない衛兵の肩を軽く叩く。
「――も、申し訳ありません!」
明らかに異常な様子で覇気のなかった衛兵が謝罪の言葉を口にした時だった――
「――臭くて堪らないぞ。貴様の身体から漂う人の血の匂いは」
先程まで俺の横に立っていたフラムが目にも留まらぬ速さで、上司と思われる衛兵の顔面を素手で掴み、有無を言わせぬまま尋常ではない握力で握り潰した。
首から上をトマトのように握り潰された男性は血飛沫を撒き散らしながら地面へと倒れ込む。
「「……ッ!」」
突然目の前で起きた惨状に『新緑の蕾』の三人は声を上げることすらできずにいた。
残されたもう一人の衛兵に限っては、恐怖で膝が震えた後、全身に力が入らなくなったのか、膝から崩れ落ちてしまう始末。
そんな中、冷静さを保ったままで居られたのは俺たち『紅』の三人だけであった。
「主よ、そやつは死んでいるか?」
生死を確認するまでもない。間違いなく衛兵の皮を被っていた吸血鬼は死んでいた。
「大丈夫。それより浴びた血を早く何とかした方がいいよ。ディア、お願いできる?」
「任せて」
ディアはフラムに近寄ることなく、その場で水系統の魔法を使用し、フラムの全身にこびりついた吸血鬼の血液をコントロール下におき、綺麗に剥がし取った。
一見、ディアが行ったことは簡単な作業に見えるが、実際はかなり高度な技術が求められる。
緻密に魔法を制御しなければならず、俺でもここまで手際よくこなすことは出来ない。あくまでもこれはディアの天才的な技術によって成し遂げられる技なのだ。
「ディア、助かったぞ。あの様な輩の血を浴びたままでは気が滅入ってしまうからな」
あっけらかんとした雰囲気で会話する俺たちに対して、驚きのあまり思考が停止していたブレイズが恐る恐るといった様子で口を開く。
「……お、おい。これは一体……どういうことだ?」
未だに状況が把握出来ていないのだろう。死体とフラムを交互に見ながら、困惑した表情を見せつつ説明を求めてきた。
「こいつは吸血鬼だったからな。仲間を呼ばれる前に仕留めただけだぞ」
低級の魔物を狩ったかのような気軽な態度でフラムは簡単に説明を行う。
実際はSランクに指定されている強力な魔物である吸血鬼を倒したのだが、フラムにとっては不意を突けば吸血鬼でさえも塵芥に過ぎない。
「……なるほどな。そういうことだったのか。全く気付けなかったから助かったぜ。俺たちの方がSランクだっつうのに助けられる側になるなんて、面目ねぇ話だが……」
「私も気付けなかった。……ごめん」
「……情けない話だけど、私も同じよ。まさか衛兵に化けていたなんて思いもしなかったわ。ありがとう」
三人がそれぞれ感謝や謝罪を俺たちに行うが、吸血鬼を見破る術を持っていない『新緑の蕾』の三人では仕方がないことだ。
俺には『
問題はいつ対処するかというところにあったのだが、フラムが容易く対処してくれたおかげで、大した騒ぎにならずに済んだ。
ディアについては俺のように鑑定系統のスキルは所持していないが、人と魔物を見分けることができるようだ。俺の推測でしかないが、おそらく神の力の一端なのだろう。
「で、この後はどうするよ? フラムちゃんのおかげで町の連中には気付かれてないっぽいが、絶対に町の中には吸血鬼がうじゃうじゃいるぜ? これ」
ブレイズの言う通りだった。
只でさえ、衛兵に成りすまして町の出入りを管理していたのだ。町の中に吸血鬼がいないと楽観視できるわけがない。
考えたくもない話だが、宿場町ロージでは吸血鬼が跳梁跋扈していると見て、まず間違いないだろう。
そんなブレイズの問い掛けに応じたのは、一人残された衛兵の男性だった。
「あ、あの……冒険者様方はこの町を助けに来て下さったのでしょうか?」
恐怖がまだ抜けきっていないようだ。震えた声で俺たちの会話に混じってきた衛兵の男性は、すがるような視線をこちらに向けている。
おそらく衛兵の男性の年齢は二十にも満たない。吸血鬼が側にいたという恐怖が抜けきらないのも、仕方がないと言える年齢だろう。
「半分正解っつうところだ。俺たちはこの町の町長からの依頼で『吸血鬼の討伐』を請け負ったんだが、まさか町に吸血鬼がいるとは思っちゃいなかった。しかも吸血鬼は一体だけだと思ってたしよ」
遠回しではあるが、ブレイズは暗に町を助けに来たわけではないと言っていた。
他者から見れば、少々冷酷だと思われるかもしれない。けれども、いくら冒険者とて、自分の命を容易くベットすることは出来ない。『勝てる』という自信や確証があってこそ、冒険者は依頼を受けるのだ。
今回の場合は、明らかにブレイズたちの想定を超えた異常事態に陥ってしまっている。
総数不明の吸血鬼を討伐しろなどといった依頼であれば、おそらくどんな凄腕の冒険者であろうとも、その依頼を受ける者は現れないだろう。
それほどまでに、今回の依頼は困難を極めているのだ。
「……そうですか。――ですが、どうかお話だけでも聞いてはいただけませんか!? 本当に……本当に……お願い致します」
恥も外聞も捨てて、涙を浮かべながら必死にブレイズに訴え掛ける青年の姿を見ると、心苦しいものがあった。
――だからこそ、俺は勝手ながらも口を開く。
「話を聞かせてもらえるかな? 町の中がどうなっているのかを」
「ちょっと待って、コースケ。判断は私たちが――」
レベッカが俺の独断専行を止めるべく、言葉を紡ぐ。しかし、俺はレベッカの言葉を途中で遮り、俺の気持ちをレベッカに告げた。
「ごめん、レベッカ。俺はこの町を助けると決めたよ。例え『新緑の蕾』がここで引き返すとしても、だ。ディアとフラムには悪いとは思うけど、俺のことを手伝ってくれないかな?」
「こうすけが望むなら、わたしは付いていくよ」
「主よ、聞くまでもないぞ。任せよ」
ディアとフラムの二人は俺の身勝手な固い決意に対して、打てば響くかのように即座に応じてくれたのであった。
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