第116話 イグニス
フラムが消えてから僅か五分。
食堂の床に赤い魔法陣が現れ、そこからフラムと執事服を着た二十代半ばに見える長身の男性が転移してきた。
突如現れた男性を観察してみると光の当たり具合によっては赤く見える黒髪を持ち、その容姿はまるで貴公子の如く整っている。
髪の長さはミディアムで髪には一切の乱れがない。
第一印象としては乱れのない髪型と執事服が相まって優秀な執事なのではないかという印象を抱く。
「――戻ったぞ。少し遅くなってしまったな」
むしろ早すぎるくらいだ。
竜族の国に転移し、目的の人物ならぬ竜族を探しだした上に住み込みでの護衛兼警備を頼んだにしてはあまりにも早すぎる。
そうなると、おそらくフラムは相手の了承を取らずに連れてきたに違いないだろう。
その証拠にフラムは執事服の男性の後ろ襟をガッチリと掴んでいた。
まるで捕まえた獲物を逃さないかのように、だ。
「……フラム様、申し訳ありませんが、
執事服の男性の発言で俺の推測が確信に変わる。
やはり何の説明もせずに連れてきたようで、状況を何も把握出来ていない様子。
「現状の説明ではなく、これからイグニスがしていくことを説明するから良く聞くがいいぞ。今日からここで働いてもらう。――以上」
「「……」」
フラムの暴君っぷりにこの場にいる者全員が呆気にとられてしまっていた。
事前説明なし、現状説明なしでいきなり『ここで働いてもらう』と連れてこられたイグニスと呼ばれた男性に同情してしまう。
流石にこれではイグニスも困ってしまうだろう――そう思った時だった。
「……なるほど。以後、私めはここで働くということですね。仕事内容は――」
そう言ってイグニスは俺たち全員の顔を見渡し、何か納得したかのように一つ頷く。
「――このお屋敷の雑務と警備といったところでしょうか」
「うむ!」
さも、理解出来るのが当たり前と言った風にフラムは頷くが、常識的に考えれば、この僅かな時間で仕事内容を理解するなど異常としかいえない。
さらに言うならば、フラムの無茶な要望に対して嫌な顔一つせずに当然の如く命令に従っていることにも驚きを禁じ得なかった。
「それではまず、自己紹介をさせていただきましょう。私めはイグニスと申します。どうぞよろしくお願い致します」
イグニスは捕まれていた後ろ襟を正し、美しい一礼と共に自己紹介を行う。
だが、俺はあまりにも早すぎる展開についていけず、即座に対応することが出来ない。
「……」
「呆けた顔をしているがどうしたのだ? 主よ」
フラムが俺に近付き、意識が飛んでいた俺の顔前で手を幾度か振り、ようやく頭が回り始める。
「……ごめん。ちょっと呆気にとられてた。俺の名前はコースケ。一応フラムと契約して契約主ってことになってるけど、その辺りは気にしないで普通に接してほしい」
「コースケ様ですね。フラム様の主様であることは存じております。先日は私めの愚妹がご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ございません」
イグニスがそう言って頭を下げるが、何のことだかさっぱりわからない。
そもそもフラム以外で竜族の知り合いは一人? しかいないのだ。
ともなれば、イグニスの言う愚妹とは――
「まさかルミエールのこと?」
「左様でございます。私めの一族は父の代からフラム様の側近の座を勝ち取り、務めさせていただいておりますが、ルミエールは未だ未熟者故にフラム様にお仕えさせずに教育をしていたのです。しかし、その途中で逃げ出し、挙げ句の果てには皆様にご迷惑をお掛けする始末……。本当に申し訳ありませんでした」
本当にあのルミエールの兄なのだろうかと疑わずにはいられない程、性格に違いが見られる。むしろルミエールがフラムの妹だと言われた方が余程信じられると思ってしまう。
その後、全員との自己紹介を終えて、イグニスに関する質問へと移っていた。
「それでイグニスの実力は――って聞くまでもないか」
彼は竜族だ。
実力を問うまでもなく弱いはずがない。
「イグニスは竜族の国で私に仕えているが、実力はそこそこといったところだな」
イグニスへの質問にもかかわらず、何故かフラムが答える。
だが、フラムの言う『そこそこ』とはどの程度なのかいまいち掴めない。
「そこそこって結構曖昧だなぁ……。じゃあフラムと戦った場合はどっちが勝利するの?」
「コースケ様。お言葉ですがフラム様は
多少の謙遜も含まれている気がしないでもないが、嘘ではないのだろう。
「ふと気になったんだけど、フラムって竜族の王家の血筋ってことなんだよね? 男の兄弟がいなかったからフラムが炎竜王になったの?」
以前から何故フラムが炎竜王になったのか気になっていたのだが、聞くタイミングがなかったこともあり、王になった経緯を知らないでいた。
「ん? 私は先代の炎竜王の血筋などではないぞ?」
「――えっ? なら、竜族の王って血筋で選ばれる訳じゃないってこと?」
「それについては私めがご説明しましょう。他の属性を司る竜族は血筋を重視する傾向がありますが、火を司る竜族だけは違います。『武力』――その一点のみで王を選定するのです。故にフラム様に敵う者など炎竜にはおりません」
長い付き合いがある俺でさえ未だにフラムの実力の底が知れていないこともあって、何故かイグニスの説明を聞いても驚きは少ない。
それほどまでにフラムの実力は他とは隔絶したものがあるのだ。
そしてまた新たな疑問が沸き上がる。
「なら王に仕える者はどうやって選ばれるのかな?」
するとイグニスは僅かに口角を上げ、こう答えた。
「――それもまた『武力』でございます」
つまり炎竜王であるフラムに仕えるイグニスも計り知れない実力を持っているということだ。
屋敷の警備にするには過剰な程の強さだとは思うが、強いに越したことはない。
加えて、イグニスからはフラムやルミエールとは違い、有能な気配を感じる。
「話はわかった。それよりイグニス、本当にここで働いてもらってもいいのかな? こちらとしてはありがたいんだけど……」
本人がやりたくないのであれば無理強いはしたくないと思っている。
実力、信用の両方で俺たちの希望に合致した人材ではあるが、優秀すぎるが故に躊躇われてしまう。
しかし――
「全く問題はございません。私めの役目はフラム様のお役に立つこと。その一点だけですので」
どうしてそこまでフラムに忠誠を誓えるのか理解出来ないが、彼がそこまで言うのであれば問題はないだろう。
「わかった。それじゃあこれからよろしくお願いするよ。イグニス」
「畏まりました。コースケ様」
こうして俺らの屋敷に新たな住人かつ仲間が増えたのだった。
翌日。
現在俺たち『紅』の三人は久方ぶりに冒険者ギルドに向かっている。
屋敷についてはナタリーさんにマリーに加え、イグニスに任せたのだが、イグニスの有能っぷりは想像を絶するものがあった。
それは朝食を済ませ、冒険者ギルドに向かうために屋敷を出た時のこと。
庭の手入れを庭師に任せることにしようとしていたことをナタリーさん辺りから聞いたのか、イグニスは俺たちが就寝している間に庭の手入れを全て済ませていたのだ。
荒れ果てたとまではいかないまでも、そこらで雑草が伸び、剪定されていない樹木が庭のあちこちに存在しており、とてもではないが一晩で終わるとは思えない作業量であった。
しかしイグニスはそれを成し遂げ、なおかつ一流の庭師が手掛けたのかと勘違いするかの如き景観が庭に広がっていたのだ。
俺は感嘆を通り越し、むしろ茫然自失したのだった。
そんな出来事が今朝あったが、俺たち三人は冒険者ギルドに向かい、そして到着すると入り口の扉を開いて中に入る。
相も変わらずギルドは賑わっていた。
様々な冒険者が依頼を探したり、雑談に興じたりしていたこともあって美少女と美女を連れている俺に注目が集めるような事もなく、一安心する。
とりあえず何か手頃な依頼がないかを探すため、依頼書が掲示してある場所に向かっていると、突然後ろから声を掛けられる。
「あれ? コースケ君?」
後ろを振り向くと王都の冒険者ギルドの副ギルドマスターであり、俺に冒険者の手解きをしてくれたリディアさんがそこにいたのであった。
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