第45話 諜報員
ラバール王国王都プロスペリテの裏路地にある古びた建物の部屋で一人の男が部屋に備え付けられた机に向かい書類を書いている。
その男は十歳前後の少年程度の身長しかなく、その容姿も身長に相応しいものだ。だが、実際の年齢は三十を越えていた。
この少年の外見をした男は人族ではなく、ハーフリング。所謂、小人族であった。
くせ毛の茶髪と茶色の瞳を持っており、一人で街を歩けば誰からも子供と間違われる。しかし、その実態はシュタルク帝国の諜報員かつ、シュタルク帝国騎士団中隊長。
男は書類を片付け終え、背伸びをしていると部屋の扉を変わったリズムで四回ノックされた。
「入りなよ」
少年の様な声が扉の先に立つ人物に伝わると、ゆっくりと扉が開かれる。その扉の先に立っていたのは平凡な服装をした男。
「失礼します。ルッツ中隊長殿」
ハーフリングの男の名前はルッツ。これは偽名ではなく、本名だ。
「あれ? 僕を中隊長と呼ぶってことは君は騎士かい?」
ラバール王国で諜報活動をしている仲間でルッツの事を中隊長と呼ぶ者はいない。そこからこの男が騎士だとルッツは推測をした。
「はい。ノックの合図は本国で教わりました」
「なるほどね。それでこんなところに何か用事でもあるの?」
「団長からルッツ中隊長宛に手紙を預かっています」
男は肩に下げていた鞄から、封蝋された手紙をルッツに手渡す。
「それでは私はこれで失礼します」
「ご苦労様」
ルッツに手紙を渡すとすぐに男は部屋から退出していった。何故なら男には手紙の内容を知る権利がない。それに加え、不必要にこの場に留まることで他の者に知られるリスクがあったからである。
ルッツはすぐに手紙を開封し、内容を確かめることにした。
手紙には短くこう書かれている。
『邪神が眠る地と呼ばれるダンジョンを攻略した者を探し出せ。これは最優先任務である』
「ダンジョンを攻略した者を探すことに何の意味があるんだ? ……まあ僕が知る必要のないことか。だけどあのダンジョンはかなりの難易度だったはず。それを攻略したってことは相当な凄腕の冒険者だろうね」
そう独り言を呟きながら思考を纏める。
ルッツは邪神が眠る地と呼ばれるダンジョンの事をある程度知っていた。高難易度ダンジョンであること、冒険者カードを持っていなければ入る事ができないということを。
「まずはこの国の上級冒険者を洗ってみるかな。今回の任務はそれほど面倒じゃなさそうだ」
そんな事をルッツが考えていると、またもや扉が四回ノックされる。
「また来客か。あ、そういえば今日はあの豚貴族の手伝いをする日だったっけ。鍵は空いてるから入りなよ」
ルッツが返事をすると扉が開き、三人の男が部屋に入ってくる。しかし、そのうちの一人は気を失っていて背中に背負われていた。
「どうしたんだよ。まあいいや、気絶してる奴よりもエリスとかいう女の子はどこにいるんだい?」
仲間の一人が気を失っているにもかかわらず、どうでもよさそうにルッツは攫ってきたであろう女の子の行方を聞く。
「すまない、ルッツ。任務は失敗した」
そう答えたのは腕を負傷していた男だ。
「は? まさか女の子の一人も拐えなかったってこと?」
「ああ……。王派が集まる社交界には潜入することはできたが、標的を拐えなかった」
「ごめん。ちゃんと説明してくれないかな? 貴族が集まる社交界だ。会場の中に入ってしまえば、それほど兵なんていないだろう?」
ルッツは苛立ちを隠しきれず、やや早口で捲し立てる。
「会場内には騎士が四人いただけだった。だが、標的であるエリスという少女の近くに一人の男がいたのだ」
「それで?」
「私たちは暗闇に乗じて襲撃を仕掛けたが、その男に返り討ちにされてしまった」
「で、逃げ帰ってきたってこと?」
「……」
男は返事をすることが出来なかった。それほどまでにルッツから異様な雰囲気が漂っていたからだ。
「言い訳をしないのかい? はぁ……まあいいや。それでお前たちを返り討ちにした男は何者なんだ?」
「わからない。事前に調べていたどの貴族の顔とも記憶が一致しないのだ」
「じゃあ特徴とかでいいから教えてよ」
「黒髪の二十歳前後の男だ。そいつは常にシャレット伯爵の側にいた。服装は他の貴族と似たようなものを着ていたためにおそらく貴族か、その血縁者のどちらかだと私は考えている」
その男の言葉を聞いたルッツは呆れた様にため息を吐く。
「本当に馬鹿なの? 服装だけで貴族かその血縁者だと判断したっていうのかい?」
男はルッツに馬鹿にされ、怒りの声を上げようとしたが何とか堪える。
「そうだ。社交界には貴族かその関係者以外は入れないはずだ」
「本物の馬鹿の様だね。シャレット伯爵が用意した護衛が貴族に変装していた可能性を考えなかったの? エリスって子が狙われている事なんて、その父親であるシャレット伯爵が気付かない訳がないじゃないか」
「……」
ルッツの正論に男は再び無言になってしまう。
「はぁ……。せっかく反王派の貴族と繋がりを持てたのに、この程度の依頼を失敗するようじゃ信頼を失ってしまうじゃないか。これでラバール王国を内部から切り崩すにはさらに時間が掛かりそうだ」
「すまない」
「もういいよ。どうせいつか反王派は帝国の力を借りることになると思うし。それにさっき別の任務を行うように通達が来たから、どのみち反王派にばかり構ってられないからね」
ルッツは先程までの苛立ちが収まり、次の任務へと思考を切り替えようとしたが、あることに気が付く。
「そういえば、君は何も武器を持たずに戦ったのかい?」
その質問に男は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
「いや……皇帝陛下から賜った剣で戦ったのだが、不覚にも剣を弾き飛ばされ、撤退の際に回収することが出来なかったのだ」
その言葉にルッツの苛立ちは再び沸き上がる。
「ふざけるなよ? 陛下から貰った剣を使っただと? あれにはシュタルク帝国の紋章が刻まれていたはずだ。それを回収せずに逃げたっていうのか? そもそも諜報活動をしている自覚があるなら、身元が判明される恐れがある物を所持すること自体がありえない」
ルッツのこの言葉を聞き、男の堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけているのは貴様だ! 私も同じ騎士団の中隊長だというのに何だその態度は!」
「今は騎士としてじゃなく、諜報員として活動しているんだ。その場合の指揮権は僕に委任されている。忘れたのかい? それで、なんであの剣を使ったのか聞かせなよ」
シュタルク帝国では騎士の階級が中隊長に上がった際に、皇帝陛下からという名目で剣が贈呈される伝統があり、その剣を騎士たちは栄誉としていた。
「そもそも何故私が諜報員の様な下賤な真似をせねばならぬ! それに皇帝陛下から賜った剣を使わずして何が騎士だと言うのだ! 私はあの剣に皇帝陛下への忠誠を誓ったのだ! それを使わないなど、私の騎士道に反する!」
「あっそ。なら死んでくれないか? 足手まといは要らないんだよ」
ルッツは無表情で冷たい声音でそう告げる。
「私を殺すというのか? 貴様に私を殺すことなど――」
男は最後まで言葉を発することができずに、首から上が切り離され、床を転がっていく。そこには大きな血溜まりができる。
「ひぃっ――!」
その光景に、この部屋に入ってから一言も言葉を発していなかった男が小さな悲鳴を上げる。
「それで君はこの死んだ男と考えは同じかい?」
そうルッツに問われた男は首を激しく横へ振り、必死に否定する。
「そうかい。なら今日はもう一人の気絶している男を連れて、帰ってくれて構わないよ。ここの掃除は別の者にやらせるから」
「は、はい! 失礼します!」
慌てた様子で気絶した男を背負いながら部屋から出ていった。
「栄誉、誇り、騎士道。どれも吐き気がする程くだらない。あんなのが同じ中隊長だなんて呆れるよ、全く。でも――」
ルッツはほんの僅かにだが、笑みを浮かべる。
「あいつらを退けた男は調べてみる価値があるかもしれない」
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