第4話 商談
「えっ、商談ですか?」
「ええ、商談です。コースケ殿の着ている服を私に売っていただけませんか?」
いきなり商談と言われて身構えてしまったけれど、今着ているジャージを譲ってほしいっていうことらしい。日本ではただの安物のジャージで特に珍しいものでもなんでもないけど、この世界ではこんなものでもかなり上質な部類に入るのだろうか?
正直ただの安物のジャージが売れるのならば、売ってもいい。むしろ金を一切持ってない俺からしてみれば絶対に売るべきだ。
だけど、このジャージを売ったら中に着ている白いTシャツとパンツしか残らないのがネックだ。もちろん着替えなんて持ってないし、Tシャツとパンツだけで街の中に入れるわけない。変質者だと思われてトラブルに巻き込まれること間違いなしだろう。
「ロンベルさん、売ることは問題がないというか、こちらとしてはむしろありがたいんですが……実は自分、着替えを持ってなくて、この服を売ってしまうと下着と上着の中に着ているものしか残らなくなってしまうんです」
「おや? そういえばコースケ殿は見たところ、何も荷物を持ってないようですな。ここまでどうやって旅をしてきたのですか?」
……まずい。言われてみればそりゃそうだ。荷物も何もなしに旅をするやつなんているわけがない。
「それはええっと……そう! 盗賊です! 旅の途中で盗賊に襲われてしまって荷物を取られてしまったのです!」
かなり焦りながらも、咄嗟に出てきた嘘にしては我ながらにかなりナイスなものだ。
「それは災難でしたな……」
ロンベルさん、ごめんなさい。かなり同情してもらっていますが嘘です。本当にごめんなさい。
「災難でしたが、命があっただけで良かったと思ってますから」
「そうですな! 命があっての物種ですぞ! コースケ殿、それでまた話を戻すのはなんですが、私が売って頂きたいのは上着だけなのです」
上着だけだったら売ってもいいかもしれない。この世界の季節が今、何なのかはわからないけど、現状では上着なしでも過ごせるほどには暖かい。
「それでしたら売ることにしようかと」
俺のこの一言を聞いて、ロンベルさんは嬉しそうに目を輝かせていた。
「それはありがたい! それでここからが本題なのですが、その上着に付いているギザギザした金属でできた物には何か名前があったりしますかな?」
ん? なんでファスナーの名前なんかを気にするんだろうか。
「これはファスナーという名前ですが、それがどうかしましたか?」
「なるほど、ファスナーと言うのですな! それでコースケ殿、このファスナーの製造と販売の権利を商人ギルドで登録などをしていますかな? もしくはコースケ殿の住んでいた村の誰かがその権利を持っているかなど、知っていることはありませんか?」
ようやく話が見えてきたぞ。商談というのはジャージの取引だけではなく、ファスナーの製造と販売の権利をロンベルさんは欲しがっているのか。
少し前の会話で俺がジャージのことを村で着られている伝統的な服という嘘を吐いたため、その権利を誰かが持っていないかを知りたい、そんなところだろう。
まあこの世界で作られたものじゃないから権利を誰かが持っているということはないと考えてよさそうだ。それよりもこの世界に特許みたいなものがあることに驚きが隠せない。
しかし今はそんなことよりも、ロンベルさんとの話の方が重要だ。
「いえ、ファスナーの権利は自分はもちろん、村の誰も持っていないと思います」
「おお! それはよかった! それではコースケ殿の上着とファスナーの権利をあわせ……金貨100枚で売っていただきたい!」
まじか! 金貨100枚!?
まあ金貨100枚といわれてもこの世界の貨幣価値がわからないんだけど。
とはいっても金貨と言うくらいだから、当然金でできているはずだ。最低でも数日分の食事や宿泊くらいはできるだろう。金を全く持っていない俺からしてみればこの取引には応じざるを得ない。
「わかりました。是非それでお願いします」
「商談成立ですな! いやー、とても有意義な取引ができましたぞ!」
ロンベルさんはとても良い笑顔でそう言ったのであった。
俺はロンベルさんと固い握手をしていた最中、疑問に思うことがあったので、ちょっとした疑問を尋ねてみることに。
「ロンベルさん、ファスナーの権利を買っていただいた後に言うのもなんですが、ファスナーの権利を誰も持っていないと俺から聞いたなら、俺に何も言わずにファスナーの権利を商人ギルドで登録すれば良かったのではないですか?」
冷静に考えれてみれば、わざわざ金を払ってまでして、何の権利の登録をしていない俺から許可を得る必要も、買い取る必要もないはずだ。
それなのに何故わざわざ取引を持ち掛けて来たのかが俺は気になったのだ。
「確かに、何も言わずにファスナーの権利を登録し、儲けることができたかもしれないでしょうな。しかし、商人というものは信用を何よりも大切にしているのですよ」
「信用、ですか?」
「はい、信用です。もし私がコースケ殿に何も言わず、騙すようにファスナーの登録をしたとしましょう。その後、もしそのことが他の商人や取引相手に知れ渡ってしまったらどうなると思いますかな?」
「自分も同じように騙されてしまうかもしれないと?」
「その通りです。もし多くの方々から信用を失ってしまったら、それはもう商人としては終わりを意味しますからな」
なるほど。商人には商人なりの掟というか、考え方みたいなものがあるということのようだ。
ロンベルさんの話を聞いて、俺はこの人は信用できる人だと感じた。確かにロンベルさんの言う通り、信用を無くしてしまう可能性はあるかもしれないが、金儲けだけを考える賤しい者もいるはずだ。
もしロンベルさん以外の商人と取引した場合、俺は金貨100枚という金額を手にいれることはできなかったかもしれない。そう考えると、本当にいい人に出会うことができたと言えるだろう。
そしてロンベルさんが取引の話に戻す。
「それで支払いなのですが、流石に今、金貨が100枚も手元にはないのですよ。それで、もしよろしければ、上着と交換で金貨10枚を前金として支払わせていただきたいのです」
「それは構わないのですが、残りはどうするのでしょうか?」
「残りの金貨90枚は、コースケ殿に取引証明書をお渡しするので、後程それを商業都市リーブルにある私の店に持ってきてもらい、残りの金貨90枚と交換するということでよろしいですかな?」
「わかりました。それでこちらは構いません」
リーブルに行くつもりだったし、何も問題はないかな。ロンベルさんは信用できる人だと思うし。
「それでは少々お待ちくだされ。今から証明書を書きますので」
そう言うとロンベルさんは内ポケットから羊皮紙を取り出し、その場で日本語を使い何か文書を書き始めた。
よかった。もし知らない文字で書かれたら読めないところだった。これもスキルの力なのだろう。
そして数分後。
「お待たせしました。それでは最後にこちらの魔導ペンで名前を書いて下され」
魔導ペン? 普通のペンとは違うのかな?
「このペンで名前を書けばいいんですね? えっと、このペンは一体?」
「ご存知ではありませんでしたか。この魔導ペンは誰もが少なからず持っている個人の魔力を認識し、書いた文字に魔力を付与することでその者が書いたという証拠を残すことができるという便利なものなのです」
それは随分と便利なものがあるものだ。日本で使われている印鑑なんかより信用できる。
そして俺とロンベルさんが名前を書き、証明書が完成した。その後、俺に証明書が渡され、俺はジャージの上着を、そしてロンベルさんは金貨10枚を用意し、この場での取引は完了した。
「それでは一緒に私の荷馬車に乗ってリーブルへ……と行きたいところなのですが、実はもう荷馬車には多くの商品と護衛の冒険者が乗っていまして」
つまりは定員オーバーで乗せてはもらえないということか。まあここから街までは結構近いようなので特に気にしない。
「いえいえ、気にしないで下さい。ここからリーブルまでは近いようですし、歩いて行きます」
「申し訳ないですな。それではまたリーブルでお会い致しましょう。私の店の場所でしたら、街ではそれなりに有名ですので、街の住民などに聞けば簡単にわかるかと思います。それではお先に!」
そう言うとロンベルさんは御者台に乗り、出発したのだった。
馬車を見送ってから俺も商業都市リーブルへ向けて歩き出した。
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