第3話 そして異世界へ

「……あ! ちょっと! お金、を……」


 そう言い切る前に俺は転送されてしまっていた。視界が切り替わり、その先に広がるのは草原や木々などの自然豊かな景色。そして自分の足元はわずかに整備されたと思われる道がある。空を見上げれば、それはそれは綺麗な青空が広がっていた。


 そんなことより、金がないのは本当にまずい。金がなければ、食べ物を買うことも宿に泊まることもできない。


「はぁ〜……ふぅ〜……」


 深いため息を吐きつつ、心を落ち着かせるために深呼吸をすると途端に頭の中が空っぽになり、空気が綺麗だなぁ、なんてどうでもいいことを考えて始めていた。


「って、それどころじゃないよな……」


 『空気が綺麗だ』なんて現実逃避をしている場合じゃない。一体これからどうすればいいんだよ。


 ひとまず周囲を観察してみるとしよう。

 自分の足元にある道らしきものや、周囲を見る限り、元いた世界に比べると文明のレベルはかなり低いと見ていいだろう。もしかしたらここが超が付くほどの、ど田舎の可能性も捨て切れないが、ラフィーラには大きな街の近くに転送するようにお願いしたし、それはないと思いたい。


 とりあえず、だ。うだうだとあれこれ考える前に、ラフィーラからもらったスキルというものを確認しておいた方がよさそうだ。小説などでよくある異世界物の物語では、大体ステータスみたいなものを確認することができるのが鉄板というもの。


「こういう場合は、えっと……ステータスオープン!」


 ………

 ……

 …。


 悲しきかな、何も起こらない。


 こういうのはお約束で視界にステータスがバッ! と現れて自分の力みたいなものを視ることができるはずなのに……。早くもフィクションとリアルの違いを痛感させられることになるとは。


 その後、数分かけて様々なことを試してみたが、結局ステータスを確認することはできなかった。


 頭を切り替えて、これからどうするべきか道の真ん中で考えていると、後方から馬の足音のようなものが突然聞こえてくる。

 その音に釣られ、足音のする方向を眺めていると、次第に馬にひかれた荷馬車が近づき、何故か俺のすぐ近くで停車した。

 そして荷馬車の御者台に座っていた、見たところ40代くらいの短い茶髪を綺麗に纏めた中肉中背の男が不思議そうな顔を浮かべながら俺に話しかけてきたのだ。


「この辺は魔物がほとんどおらず、安全だとはいえ、こんな道のど真ん中で一体どうされましたかな?」


 俺は急に話しかけられ気が動転しながらも、普通に日本語で会話ができることに驚く。


 これがラフィーラからもらったスキルの力なのかな? とりあえずは意思疎通に困ることがなさそうで一安心だ。

 

 あと、今の話の内容からして、この世界にはどうやら魔物がいるらしい。まるでファンタジー世界そのものだ。魔物というものに少し興味が湧いてきていたが、残念ながら今はそれどころじゃない。


 それよりもまず話しかけられたのだから、返事をしないと。 


「あっ……ええっと、近くにある大きな街に行こうとしているのですが、なにぶん初めて行く街だったので道に迷ってしまって……」


 実はいきなりこの世界に転送されて、右も左もわからないなどと言えるはずもなく、咄嗟に思い付いた設定を口にしていた。


「なるほど、そうでしたか。近くの街というと商業都市リーブルのことですな?」

 

「そ、そうです。それでリーブルまで行くのに、ここからどれくらいで行くことができますか?」


「そうですな、ここからこの街道を西に歩いて行けば、1時間もかからず着くことができるでしょう」


 良かった。そんなにかからず街に行けるみたいだ。まずはその商業都市リーブルやらを目指してみるとしよう。


「そうでしたか、近いようで安心しました。道を教えて頂きありがとうございます」


「お役に立てたようでなによりですな。それよりも……随分と変わった服装をしていますが、その服は一体?」 


 ん? 変わった服装?

 

 そう言われ、自分の服装を見てみると、この世界には似つかわしくないであろう上下黒のジャージ姿だった。


 ……まずい。


 この服装は明らかにこの世界では異質に違いない。そうでなければわざわざ服装について言及してきたりしないだろう。


「こ、この服はここからとても遠くにある私の故郷でよく着られている伝統的な服なんですよ」


 さすがにこの言い訳は苦しいが、ここは無理やりにでも納得してもらう他ない。

 

「ほう、そのような服があるとは……。失礼ですが、少しその服を触らせていただいてもよろしいですかな?」


「え? ええ、構いませんが」


 いきなりのことで少し困惑したが、俺はジャージのファスナーを下げ、ジャージの上着をこの人に渡す。


「それでは失礼して………」


 そういい男はジャージの質感を確かめつつ、ファスナーを上げ下げしながら興味深そうにしている。


「これは素晴らしい服ですな! 柔らかな手触りで、それでいて軽い。そして通気性も良し。それになにより、このボタンを使わずに服の前を止めることのできるこのギザギザとした金属で作られた物が特に素晴らしい!」


 男はかなり興奮したようにこのジャージを誉めちぎっていた。


 こんな安物のジャージでここまで驚かれるなんてこっちが驚きだ。あと男の目がギラギラしててちょっと怖い。


「……この服ならば、古着だとしても金貨3枚……いや、金貨5枚でも……いや! それよりも……」


 男はぶつぶつと俺には聞こえない声で何かを言っている。 

 

「ちょっと! いや、そういえば互いの自己紹介がまだでしたな。私の名はロンベルと申します。リーブルの街で商いをやっているしがない商人ですが、以後お見知りおきを」


 いきなり自己紹介が始まった。そういえば名前を互いに知らずにずいぶんと長話をしていたものだ。


「そうでした、自己紹介がまだでしたね。俺の……じゃなくて私の名前は―――」


 赤木紅介と名乗っていいのだろうか? 相手の名前から鑑みるに、俺の名前はこの世界ではどう考えても変わった名前だろう。

 

 それなら――


「コースケと言います」


 まあ苗字を名乗らずに下の名前だけを名乗れば多少はおかしくてもそこまで気にされることはないだろう。


「コースケ殿ですな! それでいきなりで申し訳ないが、私と商談をしませんかな?」


 ロンベルさんはニヤリと笑いながら俺に商談を持ちかけてきたのだった。

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