キス(2)

そのまま手を引かれる様に連れて行かれたのはトオルの部屋だった。


…何だかトオルの匂いがして落ち着かない。


オレをやんわり壁に押し付けたトオルは、オレを覆う様に壁に腕を付く。


自分が壁ドンされる側になるとは思わなかった。

心臓の鼓動が少し早くなっているのは気のせいにしたい。


「…何?」


「ん? 何が?」


「何で壁ドン?」


「そら、口説くためやろ」


普段の冗談と同じはずなのに、トオルの表情があまりにも真剣で、いつも以上に胸がざわつく。


「オレがこういう冗談好きじゃないって知っ…」


「ユウ」


「っ…」


呼び捨てにされたのは初めてだから一瞬心臓が跳ねた。


「残念やけど、冗談やない」


「トオ…」


「好きなんや」


…ズルい。

いつもより低い声で、いつもは言わない事を言うなんて。


鼻先があたりそうなくらい、トオルの顔が近付いて来る。

どんどん上昇している自分の体温が伝わる気がした。


「なぁ、早よどけ、言うてや。やないとキスしてまうよ?」


試す様な言葉なのに、オレに逃げ道を用意するのがトオルらしい。

きっとオレが一言言えば、トオルはすぐに離れて行く。


なのに…何でオレは少しも言葉が出て来ないんだろう。


オレを見つめているトオルが、いつもみたいに左手の指の背でオレの頬をなでて来る。


「言うてや」


「…」


「…えぇの? ほんまにしてまうよ?」


何も言わないオレをトオルはしばらく待ってくれたけど、結局オレはどいて欲しいとは言えなかった。


「アカンやん」


そう囁いた後、トオルはゆっくりと自分の唇でオレの唇に触れた。


思わず目を閉じて、人のせいにするな、と心の中で悪態をつく。

心臓がうるさいから静かにして欲しい。


少し目を開けるとトオルと目が合った。


オレの唇を舌で舐めているトオルは、さっきまでと同じ表情をしているのにどこか楽しそうに見える。

それが何だかイラついて、目の前にあった頬を思いっきりつねってやった。


「…やらしい」


「いひゃひゃひゃ…」


もっと痛がる様に最後に限界まで引っ張って、手を離すのと同時にトオルの腕を逃れた。


「ひどいやん、ユウちゃん」


抗議の声に振り返ると、痛いわーと頬をさすっているトオルが、元々細い目をもっと細めて笑っていたから更にイラついた。


足早にドアまで歩いて、おやすみ、と乱暴にドアを閉める。

すると、ドアの向こうからかすかにトオルの笑い声が聞こえた。


トオルの楽しそうな声に少しムッとしながら視線を前に向けると、目の前に隠立が立っていた。


オレの様子を窺う様に、ジッとこっちを見ている。


別に後ろめたい事がある訳じゃないのに居心地が悪くなって来た。

ずっと見られ続けるのも困るし、何か言った方が良いかもしれない…と思っていたら、隠立の方が先に口を開いた。


「顔赤い」


「え…」


「しょうゆが赤いのは新鮮な証」


「…」


「新鮮なしょうゆを見ると刺身が食べたくなる」


「今そう思ってるなら病院に行った方が良いと思うけど」


「寿司でも良い」


「いや、そういう事じゃなくて…」


何だか隠立のいつもの変なセリフを聞いたら、緊張していた体から力が抜けて行った。

多分、まだ顔は赤いままだと思うけど。


隠立と別れて自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。


ベッドの隅に置いてあるぬいぐるみのスーが目に入って手を伸ばした。

気分を落ち着かせるために指でグニグニ触ってみるけど、全然効果がない。


トオルが目の前にいた時は、少しも余裕がなくて何も考えられなかったのに、今はまとまらない考えがずっと頭の中をグルグルしている。


うぅ…と変な声を出しながら、意味もなく布団を叩く。

胸がムズムズして止まらない。


さっきトオルはオレの事をす、好きって言ってたけど、あれは、つまり、その…。


ダメだ…頭がパンクしそうだ。


しかも、トオルとキスをしたという実感が、オレに恥ずか死しろと言って来る。


本当は自分の気持ちにも向き合わなくちゃいけないんだろうけど、今日はもう無理そうだから諦める事にした。


「でも、キスは…嫌じゃなかった」


唇を触りながら呟くと、トオルの唇の感触を思い出してムズムズが爆発しそうになった。

持っていたスーを力いっぱい抱きしめる。


あぁ…熱が出そうだ…。

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