キス(1)
夏休みが始まって1週間が経った。
今日は隠立だけが昼から出かけていて、全員で晩ご飯を食べるためにみんなでリビングに集まって帰りを待っている。
その時間を利用して、里兎先輩が1年生達に夏休みの宿題の進行状況を聞き始めた。
「いつもは後回しにするんスけど、今年はキミと一緒にやってるんで少しは進んでます」
元気に答える家茶を見て、里兎先輩も安心した様に頷いている。
「わからないところがあったら聞いてね、白玉くんも」
「はい」
そんな里兎先輩と1年生達のやりとりを聞いていたら、巨大なぬいぐるみを持った隠立が帰って来た。
「帰った」
挨拶というよりは報告の様だけど、そんな隠立のただいまに、みんなもお帰りと返事をする。
「マヨの部屋行って来る」
隠立はそう言うと、大きなぬいぐるみを両手で抱えたまま廊下を歩いて行った。
隠立はたまに変な物を買って来るけど、どうやら自分の部屋じゃなくて根津先輩の部屋に置いているらしい。
ちなみに、今日はフランスパン型のぬいぐるみだった。
それを見た根津先輩は微妙な顔をしている。
そのまま小さくため息をつく根津先輩を見ていたら、家茶から衝撃発言が飛び出した。
「そういえば、今ソルトさんがぬいぐるみ持ってたの見て思い出したんスけど、ユウさんこないだ黒いぬいぐるみ洗って干してましたよね?」
…終わった。
油断していた、まさか1週間経ってから話題に出るなんて…。
しかも最悪な事に、家茶の言葉で白玉まで反応してしまった。
「あ、黒猫のぬいぐるみだね」
「そう、そう」
…みんなの視線を感じる。
オレがいたたまれない気持ちになり始めたところで隠立が戻って来た。
「デートの戦利品」
話が聞こえていたのか、隠立は初めて黒猫のぬいぐるみを見た時と同じ事を言いながら自分の席に座った。
そんな隠立に根津先輩が話しかける。
「お前さっきのあれ、まさかベッドに置いたんじゃねーだろうな? ベッドにはな、前にお前が置いて行ったエビフライがもうあるんだからな」
「エビフライは抱きまくら」
「そんな事知ってんだよ!!」
「フランスパンは立たせた」
「は? 立たせた?」
静かにゆっくりと頷く隠立とは対照的に、根津先輩は首をかしげた。
そういう根津先輩と隠立のやりとりのおかげでオレに集中していた視線は散ったけど、オレはそれからご飯の間中ずっとトオルの方を見る事が出来なかった。
そわそわしながらご飯を食べ終わり、トオルが何か言って来る前に自分の部屋に戻ろうと廊下に出たオレを、すぐにトオルが追って来た。
「ユウちゃん」
捕まった…無視するのも変だし、こうなったら仕方ない。
からかわれる事を覚悟してトオルの方を向くと、予想に反してトオルは嬉しそうな顔で笑っていた。
「あのぬいぐるみ大事にしてくれとるんやな、おおきに」
…だから、何でトオルがかっこ良く見えるんだ。
トオルがオレの事を可愛いと言っている様に、オレも頭と目がおかしくなったんだろうか。
「ユウちゃん?」
ずっと黙ってトオルの顔を見ていたオレを不思議に思って、トオルが顔を覗き込んで来た。
それであせって口を開いたのが悪かったのかもしれない。
「だって、あれトオルにもらった物だし…」
自分の言った事にハッとして、反射的に手で口を押さえた。
こないだから口が言う事をきかない。思ってる事とは違う言葉が出て来る。
本当は、汚れてる気がしたし、暇だったから洗っただけだって言うつもりだったのに。
「…ユウちゃん」
「いや、あの、今のは別に…」
上手く言い訳が出来なくてもどかしい。
オレが視線を落として口ごもっていると、突然トオルに腕を掴まれた。
「…トオル?」
見上げるとトオルは少し眉間にシワを寄せて、怒った様な困った様な複雑な顔をしていた。
またオレが見た事のない顔だ。
「あー…アカン、もう待たれへんわ」
「え?」
良くわからない事を言ってオレの腕を掴んだままトオルは歩き出した。
急に引っ張られたオレは、バランスを崩しながらも何とか後をついて行く。
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