黒猫スー(1)

オレのベッドには、黒猫のぬいぐるみが置いてある。


ベッドの隅に普段使っていない布団を丸めて、その上に座らせているけど、そのぬいぐるみが何だか汚れている気がする。


トオルにもらった日は不覚にも抱いて寝てしまったけど、それ以降はずっと同じ場所に置きっぱなしにしているのに…。


夏休み初日。


寮のメンバーが全員出かけて行くのを確認した後、オレは行動を開始した。


部屋から持って出た黒猫のぬいぐるみを抱いて、誰もいない寮内を少しキョロキョロしながら歩き、素早くお風呂場に入った。


ボディーソープを充分に泡立てて、水を吸って重くなったぬいぐるみを手洗いする。


「…」


最近、トオルが原因で感情がごちゃ混ぜになる事がある。


特にあの、トオルがお姉さんとデートしていた時はムカムカがひどかった。


尾行がバレていたという恥ずかしさも思い出すからあまり考えない様にしているけど、お姉さんだとわかった今でもあの日の事を思い出すと少しだけムカムカする。


…これじゃまるでヤキモチだ。


そこまで考えて、すぐにその考えを打ち消す。


「ヤキモチとか、別に…」


顔が熱くなるのを感じながら、洗いにくい尻尾の部分をガシガシ洗う。


これ以上余計な事を考えない様にぬいぐるみの洗濯に集中する事にした。


無心で手を動かし続けて全身を綺麗に洗い終わると、また周りを確認しながら中庭に出た。


物干し竿の洗濯バサミでぬいぐるみの耳をつまんで干したけど、水の滴る量が尋常じゃない。

しぼるべきだったかな…。


何となく気疲れしてリビングのソファーに寝転がる。


…何か、コソコソしながらぬいぐるみを手洗いするなんてバカみたいだ。


それからオレはいつの間にか眠っていて、黒猫のぬいぐるみが寮の中を歩き回っているという変な夢を見た。


さっきまでそのぬいぐるみを洗っていたせいかもしれない。


変な夢だった…と目を開けると、家茶と白玉がソファーの側に座ってこっちを見ていた。


驚いて急いで上半身を起こすと、白玉が申し訳なさそうに声をかけて来る。


「あの、すいません、驚かせてしまって…」


「あ、いや、大丈夫…」


白玉に返事をしてから時計を見ると、もう午後3時を過ぎていた。


午前中にぬいぐるみを洗ったから、かなりの時間寝てしまっている。昼ご飯も食べ損ねた。


そんなに寝たかな…と時計を見たまま考えていると、今度は家茶の声が聞こえた。


「あれ? 外、何か干してあんな…ぬいぐるみ?」


その言葉を聞いて急いで立ち上がった。


そして中庭に出てぬいぐるみを触り、乾いている事を確認してから洗濯バサミを外す。


多分、かなり挙動不審だとは思う。


でも、とにかくこれを早く部屋に持って行かないと。


「小路先輩のなんですか? 可愛いですね」


「もう乾いてました?」


「え、あ、うん…。ちょっと部屋に行って来る」


「はい」


白玉と家茶の質問にあいまいな返事をしてから部屋へ向かった。


あまり深く聞かれなくて良かった、詳しく聞かれても上手くごまかせる自信がない。


そんな事を思いながら部屋に入って手に持ったぬいぐるみを見ていたら、前にトオルとデートもどきをした時の事を思い出した。


帰り道、トオルがこんな事を言い出した。


「なぁ、そのぬいぐるみの名前、スーにしたらどない?」


「スー? 何で?」


ぬいぐるみに名前なんて付けないけど…と思いながら聞き返すと、トオルは楽しそうに笑いながら説明した。


「ユウちゃんの名前、小路ユウをローマ字にしたら最初がSやん? で、最後がUやんか。それくっつけてスーや」


「ふーん」


「ちなみにワイも、師田トオルやからローマ字にしたら最初がSで最後がUやねん」


「だから?」


「え~? 一緒なん嬉しいやんか」


「…バカだ」


その時のトオルの楽しそうな顔を思い返していたら、手からぬいぐるみが落ちそうになった。


慌てて両手で持ち直して、相変わらず不機嫌そうな顔をしているぬいぐるみのお腹をグニグニ触る。


「…スー」


…何でオレはぬいぐるみの名前を呼んで、1人で恥ずかしくなってるんだろう。これこそバカだ。


誰にも聞かれなくて良かった…と、ぬいぐるみをいつもの位置に座らせた時、ハッとした。


マズい、家茶と白玉に口止めしないと…!!


部屋から飛び出して家茶と白玉がいるリビングに向かう。


2人はあのぬいぐるみがトオルにもらった物だとは知らないけど、誰かに話したりしたら大変な事になる。


特にトオルには知られたくない。絶対からかって来る。


オレが走ってリビングに戻ると、この短い時間の間に里兎先輩と阿荘先輩が帰って来ていた。


…どうしよう、すごく微妙だ。


多分、里兎先輩と阿荘先輩なら、オレが後輩達に口止めをすればある程度の事は理解してくれると思う。


だけどこれ以上、あのぬいぐるみを洗っていたという事実を知る人数が増えるのも嫌だ。


話している4人を見ながら口止めをするか何も言わずにいるか迷っていると、他のメンバーも次々に帰って来て、あっという間に全員が揃ってしまった。


何で今日に限ってみんな帰って来るのが早いんだろう…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る