第56話 もっと抱きしめたままでいたかった。
〇神 千里
もっと抱きしめたままでいたかった。
が、さすがに警備員とスタッフに『収拾がつかないから』と、スタジオから出るように言われ、俺は知花の手を取ったまま、ロビーへ。
「…信じらんない…」
知花は唇を尖らせる。
「俺もな。」
そう言いながらも…俺は…喜びを隠しきれなくて、つい…ニヤニヤしてしまう。
「パニックになってたよ?いいの?ファン…減るんじゃない?」
「どうして。」
「…どうしてって…」
ショートカットの知花…まだ見慣れねーな。
アズは何度か、知花を男と間違えたって言ってたけど…
どこがだよ。
めちゃくちゃ可愛いのに。
「おまえ、今日まだ録りあんの?」
隣に座って、顔を見ないまま問いかける。
あんな派手な事しておいて…アレだが…
照れくせー。
「ううん、あたしは全部終わってる。」
知花も、自分の足元を見たまま答えた。
「あ、そ。じゃ、おまえんち行こうぜ。」
「…え?」
「おまえんち。早い方がいいんだ。」
「何が?」
「いろいろ。」
もし…知花が俺を受け入れてくれたら。
俺はすぐにでも、そうしたいと思っていた。
一旦ルームで着替えて、知花の手を取ったまま事務所を出る。
あちこちから冷やかしの声が聞こえたが、俺にはただの羨望の声に聞こえて、気分がいいだけだ。
タクシーに乗って桐生院へ。
門の前のインターホンを知花が鳴らすと、おかえりーの明るい声と共に、ロック解除の音。
知花と、俺の大好きな庭を歩いて屋敷の玄関に向かう。
…こんな日が来るとはな…
叶えたかったが、諦めかけた日もあった。
…諦めなくて良かった…
「ただいま…」
知花が小さな声で言うと。
「あら、おかえ…え?」
出迎えに来たさくらさんが、俺達を見て目を丸くした。
そして。
「まあ…まあまあまあ、おかえり‼︎さ、早くあがって‼︎」
さくらさんは、笑顔でそう言って、俺達を迎え入れてくれた。
「おじゃまします。」
知花と並んで廊下を歩いて、リビングに入りかけた所で…
「かーしゃんっ。」
華音と咲華が駆け寄って来た。
「ただいま。」
知花が二人の頭を撫でながらそう言って。
俺は…
「よ。」
「とーしゃん!!」
二人を抱き上げた。
「とーしゃん、おかえいー。」
華音の『おかえり』に…胸が熱くなった。
「…ただいま。」
「かーしゃん、とーしゃんよー。」
二人の中では…たぶん、『父さんと母さん』は、夫婦っていうくくりじゃないよな。
俺と知花は、いつも別々に子供達に会ってたから。
咲華に俺を紹介された知花は、笑顔なんだが…目に涙をためて。
「うん…そうだね…」
小さく、つぶやいた。
「…千里さん、おかえりなさい。」
振り向くと、ばーさんと…親父さん、誓と麗、みんな居て。
「おかえりなさい。」
みんなが…そう言ってくれた。
「…ただいま。」
桐生院家は…温かい。
親父さんから、色んな過去を聞いたが…
それが何だ。って感じだ。
さくらさんも加わってパワーアップしてる桐生院家は…
きっと、俺にとって…
楽園だ。
* * *
「しゃく、とーしゃんと、まんましゆー。」
咲華の可愛さに、俺がメロメロになってると。
「…神さん、なんで姉さんと離れて座ってんの?」
麗が背後から小声でつぶやいた。
「……」
俺は、ゆっくりと麗を振り返って。
「…別に、深い意味はねーけど…」
小声で答えた。
「…照れんだよな…あいつ、可愛いから…」
「……」
「……」
「はあ!?」
「ばっ…!!」
遅れて驚いた声を出した麗の口を、慌てて塞ぐ。
「うぐっ…」
「おまえは何も聞かなかった。何も聞かなかった。何も、聞かなかった。」
「……(うんうんうん)」
麗は無言のまま、三度頷いて。
俺が手を離すと溜息をつきながらキッチンに向か…う途中。
「姉さん、神さんが離れて座ってるのは、姉さんが可愛くて照れてるんだって。」
振り向いて、大声でそう言った。
「なっ!!」
俺が立ち上がりかけると。
「いいな~知花。千里さんが、そんな熱い事言ってくれてっ。」
さくらさんが、指を組んで言った。
当の知花は…真っ赤になって、口を一文字にしている。
「……」
「……」
俺と知花が無言になると。
「さあ、晩御飯にしますよ。みんな席について。さ、千里さんは知花の隣。」
ばーさんが、俺と咲華を窓を背にする位置に座らせた。
そして、知花も…隣に。
照れ臭かったが…
美味い晩飯を食ってたら、それにも慣れた。
「おかしいと思ってたのよ…『とーと』って言ったり『とーしゃん』って言ったり…」
知花が子供達に飯を食わせながら言うと。
「誤魔化すの大変だったよね。」
誓と麗が顔を見合わせて笑って。
「意外と鈍感なのね、知花。」
知花の向こうで、さくらさんも笑った。
「千里君、一杯飲むかい?」
みんなの声を拾いながら…俺は…
背筋を伸ばして、言った。
「突然ですが、俺を婿養子にしてくれませんか。」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「わかいまちた。」
「しゃく、してあげゆ。」
どうも、了承してくれたのは、我が子達だけだったようだ…
しばしの沈黙に、少しヒヤヒヤしていると…
「…婿養子って…知花と結婚して、桐生院の婿になる…ってことですか?」
やっと、ばーさんが反応してくれた。
「はい。できれば、ここで一緒に暮らしたいんですけど。」
「えっ!?ここで!?」
「じゃあ、ノン君もサクちゃんも、ずっとここに居られるってこと!?」
「楽しそう!!また家族が増えるー!!」
一気に盛り上がる桐生院家。
つい…小さく笑う。
「なっ何言ってんの…そんな、急に…」
「神家の方は説得してあるんだ。次に結婚する時は、婿養子に行くって。」
「…それって、うちだと反対されない?」
「なんで。」
「だって…一度離婚してるのに…」
「させねえよ。もし、反対されても説得するさ。」
「でも…神 千里って名前、ずいぶん売れてるのに…」
「芸名、神 千里。本名、桐生院千里。かっこいいじゃねえか。」
「そ…」
知花は絶句。
「…どうして、婿養子に?」
親父さんが、まだどこか少しポカンとしたまま、言った。
「いくら五男坊と言っても、君は神家の中でも幸作氏が一番可愛がっておられるのに…」
…確かにな。
四人の兄貴達とは比べ物にならないほど。
俺は、じーさんに可愛がられている。
でも…
「ここは、あったかいですから。」
知花に内緒で、子供達に会い始めて…
その温かさを、よりヒシヒシと感じた。
「俺、家族に優しくしたことなんかない。けど、したいとは想ってる。でも、その方法がわかんなくて。」
「……」
「ここにいたら、優しくなれる気がする。たくさん、いろんなことを分けてもらえる気がする。」
「千里…」
隣にいる知花が、俺の肩に頭を乗せた。
…おいおい。
おまえ、そんな事さらっとすると…
今夜、俺はおまえを襲うぞ?
晩飯を食って…
俺は、じーさんちに帰ろうと思ってたんだけど。
「千里君さえ良ければ、泊まりなさい。」
親父さんに、グラスを掲げながらそう言われて…
「じゃあ…お言葉に甘えて。」
まずは、さっさと風呂に入らせてもらって…
とことん、飲む事にした。
「婿養子とは…思いもよらなかった。」
親父さんは、何度もその言葉を繰り返した。
「本当に、本当にいいのかい?」
「いいっすよ。ただ…俺、相当厚かましいっすよ?」
「ははっ。それは何となくわかってたし…もう、何の遠慮もない。君は…私の願い通り、知花を取り戻してくれたからね。」
「…ありがとうございます。信じてくれて。」
俺と親父さんが飲んでる間に、知花と麗が子供達を風呂に入れたらしく。
「とーしゃん、ふいてぇー。」
「しゃくもー。」
頭にタオルを乗せた二人が、走ってやって来た。
「もー、この時間に神さんが居るのが珍しいから、今日は二人とも『とーしゃんとーしゃん』って。」
麗は拗ねた口調。
「妬くな。」
俺は笑いながら、華音と咲華の頭を交互にわしゃわしゃとタオルで拭く。
ああ…本当に…
もう、このまま住み着きたい。
明日一旦じーさんちに戻って、すぐに引っ越しの準備をして…
「千里さん、子供達寝かし付けてくれる?」
さくらさんにそう言われて、俺はビールを飲む手を止めた。
「…そんな大役、いきなり任せてもらっていいんすか?」
「今夜は大変かもだね。神さんが来てテンションあがってるから。」
誓が笑う。
「それなら…」
俺はキッチンで洗い物をしてる知花を振り返って。
「おまえ、どこで寝んの。」
問いかけた。
「…え?」
「どこで寝るんだよ。」
「どこって…部屋で…」
「俺は?」
「…客間に、お布団敷いたけど…」
「客間?」
酒が入ったせいで…気が大きくなってる俺は。
「知花、おまえも客間で一緒に寝ようぜ。」
みんなの前だと言うのに、堂々とそう言った。
「………」
知花はまた、口を一文字にして…赤くなる。
…何だよおまえ…
いちいち可愛いじゃねーかよ…
「あーあ…何だかすごくお腹いっぱい。ごちそーさま。おやすみー。」
麗がそう言って、部屋に歩いて行って。
「僕も明日早いから寝よっと。」
誓も部屋へ。
…最近の高校生は、こんなに早く寝んのかよ。
鼻で笑いながら、もう一度知花を見る。
「一緒に寝ようぜ。」
「だっだって…」
「華音も咲華も父さんと寝たいよなー。」
「しゃく、とーしゃんとねゆー。」
咲華がバンザイして言っているその後ろで、華音は親父さんのシャツのボタンが気になっているのか…
「じーじ、こえ、とえゆよ?」
おい。
俺に加勢しろよ。
「ん?ああ…本当だ。ありがとう、華音。」
…親父さんの笑顔を見ると…少し安心する。
俺は、ずっと…この人の寂しそうな顔しか見てない気がしたからだ。
「いいじゃない、知花。別に、のぞきに行ったりしないから。」
さくらさんがからかうような口調でそう言って。
「母さん。」
知花は頬を膨らませた。
「きーまり。さ、寝ようぜ。」
らち明かねーと思って、さっさと子供達を連れて客間に向かう。
…今日は…朝から何気に緊張してたし。
疲れた。
疲れたが…
「とーしゃん、しゃくね、とーしゃんと、かーしゃんと、かろんとね。」
そんな疲れが…吹っ飛ぶ薬が、ここにある。
「咲華、父さんと母さんと、華音と?どうするんだ?」
横になって、咲華の頭を撫でながら問いかけると。
「まいーち、まんましゆのー。まいーち、ねんねしゆのー。」
「……ああ。これからは…毎日、みんな一緒だ。」
咲華の頭を撫でてると、その向こうで遠慮がちに俺をみてた華音が。
「とーしゃん…かーしゃん、しゅき?」
小さな声で言った。
「…ああ。好きだよ。」
俺の言葉に、二人は顔を見合わせて、パアッと明るい笑顔になった。
「…おい。目パッチリじゃねーかよ…寝ろよ。」
前髪をかきあげたついでに、仰向けになると。
「とーしゃん、しゅき!!」
「とーしゃん、しゅき!!」
二人が、俺の上に乗って来た。
「うおっ…あー…おまえら…大きくなりやがって…重てー…」
二人をギュッと抱きしめて…
「…華音も咲華も大好きだ…」
そう言って、頭にキスをした。
そのまま…ゆっくりと身体を揺らしていると…
「……」
まずは、いつも寝つきのいい咲華が即寝状態。
…ほんっと、こいつは簡単な奴だ。
ゆっくりと咲華を布団に降ろして…まだ半分寝ぼけた顔の華音を、身体の上で揺らし続けた。
「…とーしゃん…」
「ん?」
「…とーしゃん…」
「……」
…寝言か。
寝言で呼んでくれるなんて…
その愛しさに、胸が締め付けられた。
これからは…ずっと一緒だ。
離れない。
俺は…家族になるんだ。
桐生院のみんなと。
「…千里…?」
華音も布団に降ろして、横に向いて寝てると…背後から知花の声。
…何だよおまえ…そっちかよ…
あー…俺、真ん中で寝てんのか…
起きて位置をずらしたいが…もう…眠くてたまんねー…
「…歌…嬉しかった…」
…知花が、小声でそう言った。
「…カッコ良かった…」
…あー…
歌って良かった。
そして…
抱きしめてー…
そう思うのに…
「…おやすみ。」
頬に、知花の唇の感触があっても…
俺は、振り返って知花を抱きしめる気力さえなかった。
そのまま、どれぐらい眠ったのか…
目を開けると、まだ明け方で。
俺は子供達の布団をかけ直すと…
「……」
俺の後ろで眠ってた知花を…
「…知花。」
抱きしめた。
「…ん…」
知花は、少しだけ反応したものの…
「…おかえり…」
「ふっ…寝言かよ…」
「なさい…」
「……ただいま…知花。」
そのまま…知花の額にキスをして…抱きしめて…再び眠った。
心地いい温もり…
何年ぶりかの…知花の…
…知花。
頼むから…もう、離れないでくれ。
俺、おまえがいないと…
生きてけねーよ。
たぶん。
だから…
ずっとそばで、俺を…
手の平で、転がしててくれ。
〇高原夏希
知花と千里が復縁した。
それは…無理矢理明るく振る舞っている俺に、久しぶりに舞い込んだ嬉しいニュースだった。
早速入籍したと報告された時には、目の前でとびきりの笑顔になっている知花と、知花にそんな笑顔をくれた千里に…涙が出るほどの愛を感じた。
俺は…
さくらを失くした。
周子と生きていくと決めたのに、その周子に罵倒される日々に…心を削られている気がしている。
さくらの夫である貴司からは、さくらの想い人でいて欲しいと言われたが…
そんな事があっていいわけがない。
そんな事をしたら…
俺は…
歯止めが利かなくなる。
また、さくらを殺して自分も…なんて。
最悪の結果を、自分の幸せと錯覚してしまうんだ。
「なちゅ。しゃく、なちゅに、ちゅしてあげゆ。」
「……そうか。それは元気が出るな。」
今日は…貴司が双子を連れて、マンションに来た。
…なぜか、貴司の母親も一緒に。
俺の膝に座っている咲華は、立ち上がって俺の頬にキスをすると。
「なちゅ、げんきなった?」
まん丸い目をして…俺を見た。
「…ああ。元気になったぞ。」
華音は背中に背負って来たリュックから、何かを出して広げている。
「それは?」
俺が問いかけると。
「なちゅ。」
華音は、目をキラキラさせて答えた。
華音が開いた紙に、丸と直線だけの…
絵と言うか模様と言うか…
だが、色とりどりのそれは…紛れもなく、孫が俺に描いてくれた初めての絵で。
「ふっ…上手く描けてる。」
そう言う俺の膝で、咲華が。
「うまくかけてゆ!!」
真似をして、華音を褒めた。
俺は…弱い人間だ。
自分が招いた結果だと分かっているクセに…
荒んだ心を、誰かに癒されたいと願い求めてしまう。
あれだけ、付き合いたくないと思ったはずの貴司とも…
こうして、会ってしまう。
「高原さん。」
来た時に、キッチンを使わせてくれと言って、ずっとそこに立っていた貴司の母親が。
食事を作ってくれた。
優しい味の和食だ。
「あなたは、大勢の中にいらしても、お一人でいらっしゃるように見えます。」
「……」
「私みたいな年寄りの言葉は、何の力もないかもしれませんが…」
母親は、ゆっくりとした手つきで俺にお茶を入れて。
「誰にでも愛は存在して、誰もそれを咎める事なんて出来ないんですよ。」
まるで…自分もそうだった。と言わんばかりに…そう言った。
「さくらと触れ合う事がなくても安らぎを得られるなら、どうか…堂々とうちに遊びに来て下さい。」
「…精神的な浮気をしろと言ってるように聞こえます。」
「誰にも知られなければ、浮気なんて成立しません。」
「……」
まさか…母親も…俺にさくらと子供を作れと思っているのか?
ゆっくりと貴司に視線を移す。
「お母さん、そんな風に言うと浮気を勧めているようにしか聞こえませんよ。」
華音と咲華は、隣の部屋で眠っている。
最近は大人の言葉を聞いては繰り返し言うようになった二人の前では、とうてい話せない事だ。
「私の友人として…うちに来てくださればいいんです。そして…さくらとも、友人になってくだされば。」
「……」
そんな無理な話…と頭では思うのに。
この頃の俺は…
とにかく、頭と心が離れて居た。
どんな状態でも…華音と咲華に癒されたい。
さくらの笑顔を…思い出して泣きたくなるより…
涙を我慢してでも…
そこに笑顔のさくらを見て、安心する方が…
「…分かった…そうする…」
自分でも、なぜそう答えたのか分からない。
そして、その答えが…
一生、自分を苦しめる事になると同時に…
一生、さくらを想い続ける決心となった事を…
俺は、気付けずにいた。
35th 完
いつか出逢ったあなた 35th ヒカリ @gogohikari
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