第55話 「おっ…」

 〇高原夏希


「おっ…」


「あっ…こんにちは。」


 二階のエレベーターホールで、まこと出くわした。

 両手いっぱいに何かを抱えて…ふっ…本当にまこは…大人になっても子供のように思えてしまう。


「買い出しか?」


「ジャンケンに負けちゃって。」


「そうか。」


「…あの…」


「ん?」


 まこは少し口ごもった後…


「…この間…知花のお母さんに会いました。」


「……」


 つい…返事が出来ないまま、エレベーターのドアが開くのを眺めた。


「知花からも…父からも…知花が高原さんの娘だって話、聞きました。」


「…そうか。」


 エレベーターに乗り込んで、ボタンを押す。


「僕…ずっと忘れられなかったんです。」


「…何が。」


「知花の、お母さんの声。」


「……」


 まこは、エレベーターの扉を見たまま。


「小さな頃、不安になってると…いつもあの声に助けられたなって。」


「…助けられた?」


「Deep Redのワールドツアー、後半戦について行ったのはいいけど、超ホームシックになったって父に聞いて…」


「ああ…あったな。」


 あの時…まこは誰にも懐かず。

 なのに、さくらの声を聞いた途端…


「…あの時、もうさくらの事を知ってたのか?」


 あの車内での光景を思い出して、まこに問いかける。

 確か…まこは車の中で、突然さくらに抱きついた。


「僕は声しか覚えてないんですけど…父が言うには…」


「……」


「母が弟を妊娠中、事故に遭って…助けてくれたのが、さくらさんだ…って。」


「…え?」


 それは、初耳だった。


 愛美ちゃんが事故に遭った…確か…それもツアー中の話だ。

 俺達が帰るまで、それを内緒にしていた愛美ちゃん。

 確か、ナオトとマノンはやきもきしていたな…



「一晩中、母の手を握って…Deep Redを歌ってくれていたそうです。」


「……」


「僕、誰かの膝で眠りながら、その歌を聴いた覚えはあって…」


「…だから、ツアーでさくらに会った時、声を聞いて…安心したのか。」


「たぶん…。僕、高校の時、知花と選択科目で一緒になって…知花の声聞くと眠くなって、よく寝ちゃってたんですよね。」


 まこはそう言って、照れくさそうに笑った。


「今思えば、知花の声にも安心しちゃってたのかな。」


「…ふっ…」


 今になって…

 あの頃の、俺の知らないさくらの話を聞けるとは思わなかった。



 あの時…

 まこは…さくらから離れなくて。

 ステージが終わった後も、さくらを探していたと聞いた。


 そして、昼間に行った公園が楽しかった事。

 一緒に食べたケーキが美味しかった事を…

 興奮しながら、ホテルで話した。



 …知花が死産と聞かされたさくらは…

 まこを、どんな気持ちで抱きしめていたんだろう…

 …ベッドのサイドボードにいつも置いていた、木彫りの天使。

 あれは…

 さくらが贖罪の念で持ち続けていたものだったのだろうか…。



 その数時間後、ナオトが会長室に来た。


「さっき、まこに会った。」


 俺がそう言うと。


「同じ事務所に居るんだから、そりゃあ会う事もあるよな。」


 ナオトはケラケラと笑った。


「…この前、さくらに会ったらしい。」


「ああ…聞いた。」


「…愛美ちゃんが事故に遭った時の事、教えてくれないか?」


 俺が俯き加減に言うと。


「…さくらちゃん、おまえには話してなかったみたいだな。俺、ケリーズに行って彼女に謝ったんだ。」


 ナオトは、優しい声で…そう言った。


「謝った?」


「…俺、おまえとさくらちゃんがヨリを戻したの、面白くなさそうに言ったからさ…」


「……」


「でも実は、今も愛美はあれがさくらちゃんとは知らないから。」


「…面識はなかったからな。」


「いや、違う。」


「?」


 ナオトは苦笑いしながら。


「さくらちゃんが、オードリーヘプバーンの格好してた時だからだよ。」


「………えっ?」


 あの…あの時か…?



「あの時、彼女は愛美を助けてくれて…あの格好のまま、病院で付き添ってくれてたんだよ。」


「……」


 つい、口を開けてナオトを見てしまった。

 そんな俺の様子に、ナオトは声を出して笑った。


「彼女、自分がした事をナッキーに話してないみたいだったから…俺からも話すのはやめとこうって思ってたけど…もう時効だよな?」



 スリットからのぞいた足が魅力的だった…さくらのオードリーヘプバーン…


「…あの日さくらは…誕生日で…」


「え…っ?」


「俺がツアー先から電話した時は、留守電だった…病院にいたのか…」


「そうだったのか…それは…さくらちゃんには悪い事したな。」


「悪いなんて思っちゃいないさ。むしろ…あいつは…」


「……」


「…っと、あいつ…」


 前髪をかきあげてると…少し泣けてきた。


 自分の優しさを、当たり前と思うさくら。

 当たり前の事なんて…俺に話さないよな。

 それに、確か愛美ちゃんは、るーちゃんにも絶対秘密にしてくれと言っていた。

 …それなら、さくらも話すはずがない。



「…ナッキー。」


 ナオトが肩を抱き寄せてくれて、俺は我慢する事なく…涙を流した。


 …初めてかもしれない。

 こんなに…素直に涙を見せるのは。



 さくらがいなくなった時、俺は壊れた。

 だが…今は…

 本当は壊れている事に、気付かないふりをして…

 大丈夫。と言い聞かせながら…



「年取ると、涙もろくなるから、仕方ない。」


 そう言うナオトも…なぜか一緒に泣いてくれてて。


「…いい話を…聞かせてくれて…サンキュ…」


 そう言った俺の頭を、くしゃくしゃにした。




 〇朝霧光史


 今日は…F'sのテレビ収録。

 俺は朝から緊張していた。

 まるで…自分の事のように。



 知花には、神さんに告白した事を打ち明けて…謝った。

 やっぱり、神さんには、知花だし…

 知花にも…神さん以外有り得ないと思った。


 告白した時…神さんに、知花と寝たかと聞かれて…動揺した。

 一度だけ…寝たけど、言えない。

 言えるわけがない。

 キスは…何度もした。

 でも、愛情のこもったそれとは違う。


 …ただのスキンシップだ。

 しかも、俺から一方的に。


 知花は、いつも一瞬キョトンとした後…困った顔になっていた。

 嫌だと言えばいいのに。

 俺に住まわせてもらってるから…言えなかったのかな。


 正直に話す事だけが、誠意じゃない時もある。

 …神さんが知花に聞かなきゃいいけどな…



 知花と険悪になって…俺も知花もプレイに影響が出た。

 急遽二日間もらったオフの間に…ちゃんと話し合う機会があって。

 知花は、俺に髪の毛を切ってくれと言った。

 一緒に暮らしていた頃は、俺が知花と子供達の髪の毛を切ってた。


 …バッサリ、ショートにした知花。

 新しい気持ちで、俺とも…神さんとも向き合う、と。

 自分の気持ちが神さんにある事も…ちゃんと気付けたみたいだ…。



「ねーねー知花、そろそろ下りない?入れてもらえないと困るし。」


 ルームに入って来た聖子が知花に手招きして言った。


「…え?」


「だから、神さんのテレビ出演よ。公開収録なんだって。もちろん、見に行くよね?」


「……」


 聖子の問いかけに、知花は無言。


 …素直になるって言ってたクセに。

 まだ何か引っかかってんのか?



「行こうぜ。」


 まだ録りのある陸とセンは無理として…

 他のメンバーは観に行ける。

 俺は、まだ答えに渋っていた知花に、笑顔で言う。


「見なきゃ後悔するぜ?絶対カッコいいバンドだから。」


「……うん。」


 やっと知花が頷いた。



 俺と知花と聖子とまこ、四人で公開収録の行われる二階のスタジオに向かう。


「あ、前の方まだ空いてるよ?」


 聖子が指を差したが。


「う…後ろの方にしようよ…」


 知花は目を細めてそう言った。


 …おいおい。

 俺が…

 どんな気持ちで、おまえの髪の毛切ったと思ってんだよ…

 …とは言っても。

 俺には、もう…見守る事しか出来ないんだな…


 知花の事も…

 ノン君とサクちゃんの事も…。

 そう思うと、寂しさが押し寄せた。


 …バカだな。


 みんなが…

 大事に想うみんなが幸せになるなら。

 それでいいじゃないか…。



「嬉しい~。この日を待ってたのよ。」


「神君とアズが一緒なのが嬉しいっ。」


「CDはいつ発売になるのかなあ。」



 今日の収録に参加できる客は、元TOYSのファンクラブ会員と、今も地味にメンバーのコラムが発信されるDeep Redのファンクラブ会員にのみ、情報提供があった。

 こういうメンバーで、新しいバンドを結成した、と。

 そして、その会員の中から、抽選で100名がスタジオ収録に立ち会える権利を得た。


 ステージでは、演奏中の注意事項の説明があって、客席がざわつき始めた。

 俺も…自然と緊張して来た。

 …あんなに…待ち焦がれた神さんの再始動だ。

 俺が憧れて止まない…

 あの、神 千里の歌が…再び聴ける。



 〇神 千里


 それは…

 夢のような光景に思えた。


 スポットライトを浴びるのは、どれぐらいぶりだろう。

 アメリカでの修行中、ライヴにも出たが…

 比べものにならない。

 この、快感。


 世界のDeep Redと言われたバンドのギタリストとキーボーディストがいるんだ。

 それに引っ張られるようにして、ここ数ヶ月で驚くほど成長したアズ。

 そして、俺から見たら十分ベテランなのに…これまた朝霧さんとナオトさんに敬意を払うかのように、進化を見せた臼井さんのベース。


 寝耳に水状態で、一番戸惑ったのはドラムの京介だろうが…

 誰よりも、スタジオに入ってた時間は長い。

 ここまで、よく仕上げてくれた。


 …俺の、我儘で呼び集めたメンバー。

 高原さんが、よく許してくれたと思う。


 だから…

 その期待に応えるためにも。

 俺は、今度こそ…


 世界に出る。




「Yeah!!」


 客席に向かって指を差すと、ちゃんと…大歓声で応えてくれる。


 あー…俺、戻って来れたんだな。

 まずは…その実感にシビれた。

 客席は、俺の想像以上に…盛り上がってくれた。

 そりゃそうだよな。

 こんなサイコーのメンバーの初ステージ。

 盛り上がらないわけがない。



 二曲終わった所で、朝霧さんにMCを任せた。

 なんだかんだ言っても、喋るのが上手いのは朝霧さんだ。

 ギターテクニックとのギャップもすごい分、客は朝霧さんが喋ると必ずと言っていいほどファンになると思う。


 バスドラの横に置いていたドリンクを手にして、一口。

 手持無沙汰にスティックを回していた京介と目が合うと。


 …サイコーだな。


 京介は、そう口を動かした。


 ふっ…。


 俺は少しだけ目元を緩めて、小さく笑った。



「さ、じゃあそろそろ次の曲に。もう、いってもええんやろ?」


 十分喋ってくれた朝霧さんが、俺を振り返る。


「いいっすよ。」


「神 千里、初めてのラブソングをどうぞ。」


 なんだよ、そのフリ。

 俺は小さく笑いながら、朝霧さんの肩に手を掛ける。


「…千里、前の方でおまえの薬指が話題になってるで。」


 すれ違いざまに、朝霧さんが言った。


「知花、どっかで見てるはずやから。おまえの気持ち、しっかり伝えたれ。」


「……ういっす。」


 俺はマイクを持つと…客席を見渡して言った。


「…Always」


 ナオトさんのピアノだけのイントロ。

 俺が初めて書いた…ラブソング。

 …くっそ恥ずかしいけどな。

 くっそ恥ずかしいけど。


 …知花。


 おまえのために、歌う。




 傷付けるつもりなんて いつもあるわけがない

 泣かさせるつもりなんて とてもあるわけがない

 幸せにしたいとか 隣にいてくれとか

 そんなありきたりな言葉はなくてもいいほど

 俺達は繋がってると信じていたかった


 やがて来た嵐が二人を引き裂いて

 自分の弱さを 自分の愚かさを知った


 過去は変えられないけど

 もしまだ間に合うなら

 幸せにしたいとか 隣にいてくれとか

 そんなありきたりな言葉から始めてみたいんだ


 残した傷を俺に消させてほしい

 もしまだ間に合うなら

 その手を取って 甘い唇を

 どんな嵐にも負けない強さで 守るから


 信じて欲しい

 いつも俺が想うのは

 ただ一人だけだと




 朝霧さんとアズが、絡み合うようなギターソロを弾いて。

 俺は、客席にライトが当たるのを、前髪をかきあげながら眺めた。

 そして、その後方に…知花を見付けた。



「……」


 俺は少し、動きが止まったかもしれない。


 まさか…来てるとは思わなかった。

 SHE'S-HE'Sはレコーディングの最中だ。

 聴いて欲しい気持ちは、もちろんあったが…

 まさか…


 知花は俺を真っ直ぐに見て、涙をこぼした。

 …おまえ…何だよ…

 …可愛いじゃねーかよ。



「じっくり聴いてもらえたでしょうか。」


 こっぱずかしくて、少しうつむき加減にそう言うと、客席の至る所から冷やかしの声が上がった。


「次、最後だから、みんなで跳ねようよ。」


 アズがそう言うと。


「アホな。俺を殺す気か?」


 朝霧さんがすかさず突っ込んだ。


「お年寄りはいいです。40歳未満の人は、一緒に跳ねてねー。」


「憎たらしい奴め…よし!!跳ねるで!!ナオト!!おまえもや!!」


「え…えっ!?俺は無理だって!!」


「よし!!臼井!!おまえもや!!」


「…お供します。」


 ははっ。

 俺は京介と顔を見合わせて笑った。

 とんだエンディングだ。


「よーし。おまえら、みんな跳ねろよ!!」


 俺が客席に向かってそう言うと、会場は大きな歓声に包まれた。

 俺達F'sの初ステージは、公開テレビ収録。

 本当は…世界のDeep Redの二人に、そんな事はさせたくない気がした。

 だが、二人は…


「一からやもんな。俺は全然ええで。」


「俺も賛成。そこからまた世界へ行けばいいだけさ。」


 いとも簡単に…小さなスタジオから世界へ、なんて…

 全く、気持ちのいい偉大な先輩達だ。


 そんな大御所と一緒に、跳ねて、跳ねて、跳ねて。

 俺は…歌うのがこんなに楽しいなんて、知らなかった気がする。

 アズの首を抱き寄せて、一緒に歌った。

 楽しくて、楽しくて…

 この時間が、ずっと続けばいいのにと思った。


 …こんな気持ち…初めてだ。


 俺、やっと音楽に出会えた気がする。



 歌が終わって、最後に京介のカウントで全員で跳んで。


「Thank You!!」


 終わった瞬間、そう言って客席に手を上げて…

 大歓声を受けながら、俺達はステージを後に…しながら。

 俺は、知花を見た。


 知花の隣には、聖子。

 その反対側には、朝霧。

 知花も…俺を見ていた。


 …俺は、おまえのために歌ったぜ?


 その想いをこめて、そこを見つめていると。

 聖子が知花の手を持って、ヒラヒラと…



「…え…」


 その、知花の左手の薬指に…指輪…。


 知花は恥ずかしそうに手を引っ込めて、顔を赤らめた。

 俺は…


「きゃー!!」


「神くーん!!」


 客席に飛び降りて、伸ばされる手をかき分けて…



「知花…」


「えっ…」


「…知花…」


「……」


 知花を…ギュッと、抱きしめた。



「みなさーん!!退場してくださーい!!」


 警備員達の声が、響き渡る。



「…ち…千里…みんな…見てるけど…」


 腕の中で、知花が軽く暴れる。


「構わねーよ…」


「でも…」


「もう少しだけ…」


「……」


「…知花…」


「…ん?」


「…呼んでみただけ…」


「……バカ…。」


 ふっ…



 おまえ…やっぱ…

 サイコーに…


 可愛いじゃねーかよ…。


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