第54話 「うわっ。」

 〇東 圭司


「うわっ。」


「あっ。」


「あー、ごめん、ボク。」


「……」


「あっ…」


「…こんにちは。」


 エレベーターの前で、男の子にぶつかった。

 って思ったら…


「あははは、ごめんごめん。」


「…もう、慣れましたけど…」


 知花ちゃんだったよー。

 もう、このバッサリなショートヘア。

 実はもう二度、間違えちゃったんだよねー。

 男の子に。



 瞳とは異母姉妹の知花ちゃん。

 なんて言うか…見た目は全然似てないんだよねー。

 二人とも、お母さん似って事かな?

 瞳は、柔らかいカーブって言うか…

 こんな言い方したら、瞳に失礼かもだけど…

 …エロい身体してるんだよねー。

 あっ、魅力的な身体!!そう!!それ!!


 知花ちゃんは…なんて言うか…

 きゃしゃなんだよ。

 …色気がないわけじゃないよ?

 でもまあ、その辺は好みだよねー。



「俺以外にも、間違えられた?」


 なんとなーく聞いてみると。


「はい…仕方ないですよね。こんなに耳も出しちゃって…」


 きゃしゃな男の子が歩いてるみたいで、可愛いんだけどねー。

 褒め言葉にはなんないかな?

 バンビちゃんみたい。



「お元気そうですね。」


 その、バンビちゃんみたいな知花ちゃんが、俺を見上げて言った。

 …ここは…少し神の株を上げておこうかな?


「あー、でも大変なんだ、今。」


「?」


「実はね、バンド組んだんだ。」


「え?」


「もちろん、神と。」


「……」


 知花ちゃんは無言になったけど…

 でも、だんだん笑顔になって。


「よかった…」


 …うわあ…可愛いなあ…

 って、口に出しそうになっちゃうぐらいの、いい笑顔をしてくれた。


 うーん。

 もう一押し!?



「最近、神ご機嫌でさ。曲ガーッと書くもんだから、こっちは大変だよ。」


「あはは…」


 あっ、渇いた笑い!!

 もっと…何かもっと…


「そうそう、ご機嫌と言えばさ。」


「はい?」


「あいつ、最近ポイント集めてんだ。」


「…ポイント?」


「よくあるじゃん。店で買物してポイント集めたら、いくらでこれをもらえる…とか。」


「…ええ…」


「そのポイントカード眺めながら、ニヤニヤしてんの。」


 どうだい!?知花ちゃん!!

 神がそんな事してるって、何だかギャップじゃない!?


「しかも、おもちゃ屋。何買ってんのか知らないけど、すげえの。」


「え?」


 あ。

 何だかちょっといい反応?


「別にプラモデルとか作る趣味はなかったと思うんだけどなあ。」


「それって…どこのお店ですか?」


「えーとね、よく聞く名前なんだけどな。子供服とかもあって…」


「…カナリア?」


「それそれ。」


「……」


 あ…あれれれれれれれ?

 知花ちゃん…難しい顔で黙っちゃったよ!!

 なんでー!?



「ち…知花ちゃん?」


 俺が顔を覗き込むと。


「あ…あたし、スタジオ行かなくちゃ…」


 知花ちゃんは、少し狼狽えた様子で…俺にお辞儀した。


 うーん…うーん…


「ああ、じゃあまた、うちにも遊びにおいで。瞳も喜ぶから。」


「はい。」


 知花ちゃんがエレベーターに乗り込むのを見届けて…俺はルームに入る。



 …何か…やらかしちゃったかな?俺…

 知花ちゃん、神が歌うってのには嬉しそうな顔したけど…

 その後の、カナリアで…かなり微妙な顔したよね…

 神がオモチャが趣味って、やっぱ嫌なのかな?

 大人のクセに!!って…?


 俺が一人で悶々としてると…


「…アズ。」


 今まさに俺の想い人となってた神が入って来た。


「ん?」


「……」


「どし…たーーーーー!?」


 かっ…神!!

 どしたのさー‼︎

 神が!!

 いきなり俺に抱きついて…


「アズーーーーーー!!」


 しかも…名前まで…叫んで…

 ギュギューッ!!って…強く強く抱きしめられた俺は…


「どどど…か…か…神…」


 今まで見た事ないぐらい、はしゃいでる神!!

 やばいよー!!こんなに抱きしめられたら…

 好きになっちゃうじゃんかー!!



「な…ななな何か…いい事でも…?」


「あった。めっちゃくちゃいい事があった。」


 神は俺の肩をガシッと掴んで、真顔で俺を見ながらそう言った。

 …つい照れちゃって、赤くなったであろう俺を、神は…


「えーーーー!?」


 また…抱きしめて…


「絶対ポイントためて、ブランコもらう!!」


「は…はあ!?」


「おまえ、まだガキ作んねーの?あと子供服二枚ぐらい買えばポイントいっぱいなんだよ。」


「え…ええええ!?」


「先に買っとく手もあるな。よし。アズ。子供服を先にプレゼントしてやる。」


「ちょ…ちょちょちょ…神?」


 こんな神…初めてで…

 つい、テンパっちゃったけど…

 この話って…


「…カナリアのポイントカードの事?」


 俺が小さく言うと…


「…何で知ってる?」


 神は、やっといつもの神のトーンになった。


「だって、いつも眺めてニヤニヤしてるじゃん。」


「…そんなつもりはなかったけどな。」


「いやー、十分してたよ。」


「……おまえ…」


「あ、その事、さっき知花ちゃんに話しちゃったけど…何か問題あった?」


「……」


 も…もしかして…

 言っちゃいけなかったのかな?

 ブランコって意味不明だけど…

 そのカナリアとか、ポイントカードとか…

 何か…サプライズだったのかな?



「…アズ。」


「…えっ…ええっ…?」


 神は、また…俺をギューッと抱きしめると…


「…マジ…サンキュ…」


 俺の肩に頭を乗せて…涙声でそう言ったんだ。



 …よくわかんないけど…

 もしかしたら、知花ちゃんと…上手くいきそうなのかな…?


 そう思うと…

 俺と神って、もしかして、親戚になれちゃうのかな?なんて…

 それはそれで嬉しいな…って…

 俺も、じーんときちゃってると…



「あー、疲れ…」


 ドアが開いて、臼井さんが入って来た。


「……あ。」


「……」


「…悪い。見なかった事にする。」


「臼井さん!!違う!!違うから!!」


 俺はそう弁解したけど。


「ははっ。いいよアズ。隠すのやめよーぜ。」


「神⁉︎」


「やっぱおまえら…」


「神は好きだけど、違う〜‼︎」


 帰ったら…

 真っ先に、瞳に報告しなきゃって思った。

 神が、元気になったよ、って。


 神は…瞳にとっては、初恋の人だし。

 俺にとっても…永遠の恋人みたいな存在だからね…!!


 …良かった!!



 〇高原夏希


「…さくらに、もう一人産みたいと言われました…」


 夜景の見えるラウンジで、貴司はそう言ってうなだれた。


 …『貴司』は…いわば、俺からさくらを奪った男…になる。

 だが、俺と貴司は不思議な関係になっていた。



「…当然だな。知花を育てられなかった分、さくらがもう一人と思っても不思議じゃない。」


 内心穏やかじゃなかったが、平然として答えた。


 貴司は俺が今まで三度会った中で…一番、素の自分を見せている気がする。

 そう…

 今日は四度目だ。


 一度目は桐生院家に呼び出され、母親と共に頭を下げられた。

 二度目は会社に呼び出された。

 そして、三度目は…また桐生院家に。



 …周子と向き合うつもりで毎日施設に顔を出し、そこで強く罵倒される。

 そうされても仕方ないと諦めつつも…さくらを殺してやると叫ぶ周子に…胸が痛んだ。

 俺が…そうさせた…



 そんな時は、つい…華音と咲華に会いたくなる。

 そんな資格はないと分かっていながら…

 俺が、俺自身が壊れないために…と言い訳しながら…



「残念ながら…私には友人が一人もいないのです。」


 その時、貴司が言った。


「あなたさえ…良かったら、私を友人のように呼んでいただけませんか?」


 友人になんてなれない。

 そう思いながらも…

 俺は、自分を癒す存在と離れたくなかった。

 それで…『貴司』と呼ぶ事にした。



「無理だ…さくらを妊娠させる事は…俺には出来ない…」


 …酒に強いと聞いていたが、貴司はすでに酔っ払っている。

 いつもは『私』と言うのに『俺』って…相当気が緩んでいるのか、相当…まいっているのか。



「…誓と麗のように、人工授精っていう手もあるだろ?」


 そう言って酒を口にする。


 …本当に、好きな女を抱けないのか?

 本当は疑っているが…

 この貴司の落ち込み具合を見ると、嘘だとは思えない。



「…誓と麗は…俺の子じゃない…」


「……は?」


 俺はまだ写真でしか見た事のない、知花の弟と妹。

 二人もまた…双子で。

 知花は、二人が生まれた時から、酷く可愛がって甲斐甲斐しく世話をしたと聞いた。



「高原さん…俺はね…」


「……」


「…無精子症なんですよ…」


「…無精子症…」


「精子がないんです。」


「……」


 それはー…

 と言う事は…


「誓と麗は…二人の母親が…浮気して出来た子供なんです…」


「…本当なのか?」


「ええ…調べました。」


「……」


 さすがに…同情した。

 名家の一人息子ともなれば…後継者だのなんだの…周りからもうるさく言われるはずだ。



「…その時の奥さんは、おまえに精子がない事を…」


「知りませんでした。」


「…浮気相手の事も…調べたのか?」


 俺の問いかけに、貴司はグラスの氷を揺らすと。


「…こう言っては…悪いけど…全く興味がなかったんです。」


 吐き捨てるように…言った。


「俺には子供を作る事が出来ないから…むしろ、浮気して出来た子供でもラッキーだと思いました。」


「貴司…」


「歪んでますよね…自分もその境遇で…父を憎んだ事もあると言うのに。」


「……」


 浮気相手との子供を…自分の子供として育てる。

 しかも貴司の場合、きっと誰にもそれを告げずにいたはずだ。

 …どんなに…辛かっただろう。


 貴司が歪んでいるとしたら、好きな女に対して不能になる事や、精子がない事での男としての自信喪失のせいだろう。

 友人が一人もいないと言った貴司。

 ずっと…心の内を人に打ち明ける事なく…悩み続けていたのか…

 もしくは…

 自分を…諦めていたのか…



「…高原さん…」


 貴司はテーブルに突っ伏してしまいそうなぐらい、前屈みになって。


「…あなたの…精子をください…」


「………はっ?」


「さくらに…二人目を…産ませてやって下さい…」


「………バカな。何言ってる。」


 すぐには言葉が出なかった。

 それほど…驚いた。

 自分の妻を…別れた男に抱かせるなんて…


 …いや…

 精子をくれ…?



「さくらには…私は不能だと言い続けます…そして…精子がない事も…打ち明けます。」


「誓と麗の事も話す気か?」


「…今は、精子がない。と言います。」


「……」


「だから…人工授精で…と…」


「……バカな。」


 俺は天井を見上げて溜息をついた。

 貴司は何を…何バカな事を…


「また赤毛が産まれたらどうする。言い逃れできないだろ。」


「…さくらの父親はアメリカ人だと…」


「嘘だと言ってたじゃないか。」


「どうにでもなります。さくらは…記憶がないんですから。」


「……」


「俺は…本気です…」


 貴司は俺の方に体ごと向き直って。


「お願いです…」


 俺に倒れ掛かるんじゃないかと思うほど…身体を倒して言った。


「…あなたしか…いないんだ…」


「……」


「お願いです…」


「…無理だ。」


「今度は最初から…あなたも…我が子の成長を見れるんですよ…?」


「……」


「お願いします…お願いしますから…」


「……」


 貴司はずっと頭を下げ続けたが…

 俺には…


「…悪いが、応えられない。」


 そうとしか…言えなかった。

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