第52話 「あー、もー情けないっ。」

 〇神 千里


「あー、もー情けないっ。」


 ルームで歌詞を書き直してると、朝霧さんが溜息をつきながら入って来た。


「なんすか。」


 笑いながら問いかけると。


「SHE'S-HE'Sのレコーディング。光史がグズグズで進まへんねん。」


 朝霧さんは畳の上に横になった。



 F'sのギタリストである朝霧さんは…SHE'S-HE'Sのプロデューサーでもある。

 が、今は高原さんもちょっかいを出してて、余計やりにくそうだが…



「あいつ、ホンマ…イラつくわ。」


 こんな事を言う朝霧さんも珍しくて。

 つい…見入ってしまうと。


「…あ、わりいな。家族の愚痴とか。」


 朝霧さんは体を起こして、頭を下げた。


「いいえ。家族だから色々期待する事もありますしね。」


 俺はそう言って立ち上がると、ルームを出て…レコーディングスタジオのある九階に上がった。


 八階のスタジオのロビーはいつも賑やかだが…この階は静かだ。

 少し入り込んだ位置のスタジオにSHE'S-HE'Sの名前を見付けて、俺はその近くの長椅子に座った。

 朝霧が出てくれば…少し話がしたいと思ったからだ。


 …が。


 出て来たのは…知花だった。



「よ。」


 そのまま見過ごすのも…と思って声をかけると。


「……」


 知花は一瞬合った目をすぐに反らした。


「話があんだけどな。」


 俺の隣をポンポンと叩いて言うと、知花は少し間を空けて…遠慮がちに座った。



「昨日さ。」


「……」


「朝霧に告白されちまった。」


「…えっ?」


 知花が小さく驚いて、顔を上げた。


 …ちくしょ。

 こんな時なのに…

 可愛いじゃねーか…おまえ。



「俺が好きだから、知花を好きになったって…それでケンカしたって?」


「……」


 知花は膝に置いた手をギュッと握りしめる。

 …その左手の薬指に、指輪は、ない。

 当然か…



「俺から言わせると、全然おかしくないと思うけどな。」


 前髪をかきあげながら、足を組んで言うと。


「…どうして?光史は、今でもあたしより…」


 知花はそう言いかけて…


「あたしより…」


 言葉に詰まった。


「おまえ、何に腹たててんだ?」


「……?」


「あいつが、おまえより俺を好きだからか?それとも、俺を好きだからおまえを好きになったことか?」


「そんな…そんなこと、わかんない。」


「おまえは、あいつに対してどうなんだよ。」


「何…」


「あいつと一緒にいて、俺のことは全然考えなかったのか?」


「か…」


 知花が顔を上げて、目が合った。


「……」


 考えてたんだろ?

 おまえ、まだ俺に少しぐらいは…未練あんだろ?

 そう言いたかったが…飲み込んだ。



「つまんねーことで、意地はんなよな。」


 俺はそう言って立ち上がると。


「あーあ、俺って損な奴。ライバルの肩持っちまった。」


 大きく伸びをした。


「…どうして…こんなこと…?」


「ケンカしたままじゃ、バンドもうまくいかないだろうし…あいつのことで頭ん中いっぱいになってそうじゃねえか。どっかで割り込まねえとな。」


 ほんとにな。

 自分で言って、大きく納得。

 朝霧の事ばっか考えさせてたまるかよ。

 もっと割り込んで…

 俺の事で頭の中をいっぱいにしてやりたい。



「じゃあな。」


 知花に手をあげると。


「あ…」


「?」


「あの…頑張って…」


 知花は、うつむきながら言った。


「…いいのかよ、んなこと言って。」


「え?」


「俺が頑張ったら、おまえは朝霧とは結ばれないぜ。」


 カッコつけて言ったつもりが、知花は小さく笑った。


 …くっそ。

 おまえ、やっぱ可愛いな。


「ちぇっ。」


 小さく舌打ちしながらも、俺は…再認識した。



 …知花は…サイコーに可愛いし…

 やっぱ、俺は…

 知花を取り戻したい…と。




 〇桐生院貴司


「今日も遅くなるの…?」


 門の手前まで見送りに来たさくらが、私のカバンを持ったまま…首を傾げた。


「ああ。色々接待があってね…」


「…そっか。大変ね。」


「…行ってくるよ。」


「うん。いってらっしゃい。」


「ああ…ここでいい。」


 一緒に門を出ようとしたさくらにそう言うと、さくらは一瞬『えっ』って顔をしたが…


「…うん。気を付けて。一日頑張って。」


 小さくガッツポーズをして言った。



 …さくらには、悪いと思う。

 門の前には、深田の運転する車が、私を迎えに来てくれている。


 いつもは玄関で母と一緒に見送ってくれるさくら。

 私も、そこまででいいと言っている。

 だが…この前の事があったからか…

 さくらは、最近私の様子を気にして…



 深田に会わせたくないわけじゃない。

 そうじゃないが…

 今はまだ、私の気持ちがざわついていて。

 …落ち着かない。



「おはようございます。」


「おはよう。」


 深田がドアを開けてくれて、私は後部座席に乗り込む。

 そして…この間の事を思い起こした。



 晩食の時…


「かわいいなあ、ノンくんとサクちゃん。」


 さくらが、華音を見て唇を尖らせた。

 可愛いと言っているのに、なぜ拗ねた唇だ?と、そのさくらの愛らしさに笑いが出そうになっていると…


「ねえ、貴司さん。あたし、もう一人産みたいな。」


 さくらが。

 さらっと…そう言って。


「な…何言って…」


 私が動揺してしまうと。


「だって、知花を育てられなかったし。もう一人欲しいー。」


 私の目を見た。


「い…いくつだと思ってるんだ。」


「えっ、まだ38よ?40で産むのだって珍しくないんでしょ?」


「さくら、子供たちの前ですよ。」


 母が間に入ってくれたが。


「子供ったって、もう子供の作り方ぐらい知ってるよ。」


 さくらは…真顔で私を見たまま言った。



 眩暈がした気がした。

 さくらは…覚えていないのか?

 私が不能だという事を。

 それとも…

 麗と誓の事で、私にも子供が作れると思い込んだのか…?


 そして、寝る前にさくらは。


「貴司さん。ご飯の時に言った事、あたし本気だから。」


 何となくその話に触れたくなくて、なかなか寝室に行かなかった私を待っていたかのように。

 私がドアを開けると、ベッドに正座して言った。


「…さくらはまだ若いが、私は歳だからね。」


「何言ってるの?まだ若いよ。」


「昔にも言ったけど、私は不能なんだよ。」


「…でも、誓と麗は出来たじゃない…」


「……」


 その時私は…

 とっさに、答えてしまった。


「…誰にも話してない事なんだが…」


「…何?」


「誓と麗は、人工授精で出来た子なんだ。」


「…え?」


「さ、休もう。今日はもう疲れた。」


「……」


 腑に落ちない様子だったさくらにそう言って、私は寝たふりをした。



 …さくらに…求められたくない。

 だからと言って…嘘が良くない事は分かっている。

 でも、私がさくらと夫婦でいるためには…


 嘘も…

 秘密も…



 必要だ。



 〇桐生院さくら


「ばーちゃ。」


「はあい。」


「んばー。」


「……もー…可愛いっ。」


 あたし、ノン君をギューッてしちゃう。

 だって…本当に…天使!!



「かーしゃん、わやってー。」


 サクちゃんは、さっきから知花を笑わそうと必死。


 この子達って…すごい。

 すごく、敏感って言うか…

 人の気持ちに寄り添ってくれる感じ。


 レコーディングが上手く進まなくて、急遽二日間オフになった知花。

 普通にしてるつもりなんだろうけど、知花…どこか元気ないよね…



「知花。」


 あたしは、知花を広縁に誘う。

 ちゃんと、双子ちゃん達のおもちゃと、おやつも持って。


「さ、話して。」


「え?」


「悩んでる事。」


「…悩んでるように…」


「見える見える。」


「…そっか…」


 知花は観念したように肩を落とすと…


「…実はね…」


 指先をもてあそぶようにして、話し始めた。



 千里さんを好き過ぎて、周りを傷付けてしまった事。

 別れなきゃ夢を追えないぐらい…好きだったんだなあ…って、ちょっと羨ましくも思えた。

 それから、向こうで…朝霧光史君と一緒に暮らした事。


 これは…ちょっと驚いた。


 それで、朝霧光史君とは…一緒に暮らすって話が出たものの…

 それを、彼の方から断って来た事。

 すごくイライラして、彼を傷付けるような事を言ってしまったかもしれない。

 謝りたいのに…素直に謝れない事。


 でも…一番の問題は…

 朝霧光史君を、好き…ではあるけれども、愛とは違うって事。

 そしてそれは、朝霧君の方もだ…って事。

 なぜなら、朝霧君は…男しか好きになれなくて。

 千里さんの事を、好きだから…って。



「…そんなことが…」


「…うん…」


 浮かない顔の理由が複雑過ぎて。

 こんな時、母親として何て声を掛ければいいのかな…

 なんて思ってると。


「かーしゃん。」


 サクちゃんが、知花に抱き着いた。


「はあい…あれ?こんなおもちゃ、あったっけ?」


 はっ!!

 サクちゃんが手にしてるおもちゃは、千里さんが持って来たやつ!!


「ああ…貴司さんが…」


 あたし、冷静な顔で、頑張った!!


「もう、いいのに。なんだか最近おもちゃも服も増えすぎ。」


「いいじゃない、まだあたしがもう一人産むし。」


「本当に産む気なの?」


 あたしは…もう一人産む。

 産みたい。

 最初から、一緒に育てたい。

 って、貴司さんに言った。


 だって、あたし達は…夫婦だよ。

 あたしの気持ちが…なっちゃんに向かわないように…

 貴司さんを…好きにさせて欲しい…

 一緒に子育てをして…ちゃんとした夫婦になりたい。


 なのに、貴司さんは二人きりになると、その話を避ける。

 寝る時間も…最近はずらされてる気がする。

 …わざとだよね。



「産む気よー。まだ若いんだから。」


 ガッツポーズしてみせると。


「…父さん、大丈夫かな。」


 知花は目を細めてそう言った。


「大丈夫に決まってるじゃない。」


 そう言いながらも…不安だった。

 あたし、まだ若い気でいるから…貴司さんには物足りないのかな。

 ガキって思われてるのかな…

 実際、あたしは38だけど…全然成長してないみたいに思われてるし…


 …焦る…



「さっきの続きだけどさ。」


 あたしは気持ちを切り替えようと、顔を上げて。


「知花が何に腹立ててるか、教えてあげようか。」


 って言った。


「わかるの?あたしにもわかんないのに。」


「わかるよ。知花はね。」


「……」


「千里さんを忘れさせてくれる、誰かがほしかったの。」


「……」


 あたし…自分で言ってて…思った。

 あたしも、なっちゃんを忘れさせて欲しいから…

 貴司さんに、子供を産みたい…なんて。


 …ずるい。



「で、きっと朝霧くんが忘れさせてくれるって…そう思ってたのに…って、裏切られた気持ちでいっぱいなのね。」


 言ってて…最近の自分の気持ちとリンクしてしまった。

 あたし、貴司さんの気持ちを探ろうとしてるよね…

 避けられてるって疑って…

 ちょっと悲しくなっちゃってるもん…



「ちょ…ちょっと待ってよ。あたしは…」


「どうして、そんなに忘れたがるの?少しずつ前に進むって言ってたくせに。」


「……」



 あたしは…忘れなきゃいけないんだよ。

 だって、もう…なっちゃんは周子さんのものだし…

 あたしは、貴司さんと夫婦になったんだもん。

 だから…貴司さんには、あたしの事…

 もっと、ちゃんと…見て欲しいのに…



「彼も、知花のこと、いっぱい好きだと想うよ?」


「……」


「あたしね、愛にはいろんな形があると思う。」


「…いろんな形…」


 なっちゃんは…本当にあたしを大事にしてくれた。

 一緒に暮らしても、あたしが16歳になるまで…我慢してくれてたし…

 寝たきりになってからも…

 献身的に…あたしの事…愛してくれた…


 …やだな…

 泣きそうだよ…

 あたし、こんなにも…全然なっちゃんの事…忘れられないのに…



 知花と一緒にいたいって思った。

 だって、知花は…あたしの大事な…なっちゃんとの娘。

 その知花を、大事に育ててくれた貴司さんとお義母さんとも…家族になりたいって思った。

 それは本心。


 だけど、全部は選べないから…

 …なっちゃん…

 周子さんと…幸せになってくれるといいな…



「千里さんは、本当に知花のことを好きだから突き放したのよ?」


「……」


「だけど、それがまさか知花をここまで苦しめたなんて…って…」


「え?」


「……あ。」



 …しまった。

 あれこれ考えながら助言なんてしちゃダメだよね!!



「…母さん、どういう事?」


「あー…えーと…」


 結局…あたしは、千里さんがあの家に来て、あたしに色々話してくれた事を知花に話した。

 知花には…幸せになって欲しい。

 千里さんにも。

 あたしが…なっちゃんと築けなかった幸せを…


 二人には…



 そして。


 あたしも…

 新しい幸せを、掴みたい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る