第51話 「…とーしゃん…」

 〇神 千里


「…とーしゃん…」


「……」


「とーしゃん。」


「……」


 今俺は…子供達を前に、一つの決心をしていた。


 もし。

 もし…朝霧と知花が…一緒に暮らすなら。

 俺は、もうこの子達には…会えない…

 いや、会わない。


 …胸は痛むが…仕方のない事だ。

 選ぶのは知花だ。


 あの時…知花の才能に嫉妬して、突き放したのは俺だ。

 知花の気持ちが俺から離れていても、不思議じゃない。

 …当たり前だ。


 妊娠と出産を、俺に知らさなかったのも…

 もう、俺とは無関係と知花が思っているからだろう。


 …分かってる。

 往生際が悪いって事。


 だが…俺は、全力で…気持ちをぶつけたい。

 それでも知花が俺を受け入れてくれないなら…諦めるしかない。

 …それまでは…

 せめて、それまでは。

 俺のエゴに過ぎないが…知花が決断するまでは、この子達との時間を…大事にしたい…



「とーしゃん…わやって。」


 咲華が、俺の頬をピタピタとして言った。


「…ふっ…」


 小さく笑うと、二人はパアッと明るい顔になって。


「とーしゃん!!しゅなば!!おしよ、ちゅくって!!」


 二人で、俺の腕を引いた。


「え…えっ?」


「こらこら、二人とも。とーとは忙しいから、ばーばに作ってもらいなさい。」


 ばーさんが声をかけると。


「しゃく、とーしゃんにちゅくってもやうー。」


 咲華が…可愛すぎる笑顔で言った。

 こ…これはもう…

 何が何でも、リクエストされた何かを作らねば…


「何を作って欲しいんだ?」


 二人に問いかけると。


「おしよー!!」


 二人は、バンザイをして叫ぶ。


「…おしよ?」


「…お城ですよ。でも…」


「?」


「この間、さくらがものすごい物を作ってしまったので…」


「ものすごい物?」


「…写真見ますか?」


 ばーさんは、茶箪笥の引き出しから一枚の写真を取り出して、俺に差し出した。


「…なんすか、これ。」


 つい、そう言ってしまうと。


「…でしょう?裏の砂場で、これを作ったんです。」


 ばーさんも、首をすくめてそう言った。


「…砂…ですか?」


「水を含ませたら、簡単に出来るって言うんです。」


「……」


 写真の『お城』とやらは…


「…どこのお城ですか?」


「姫路城だそうですよ。図書館で写真を見て、気に入ったから…と。」


「……」


 子供達が喜ぶ『城』は、何となく…洋風をイメージしていた。

 それにしても…こんなにクオリティの高い物…

 さくらさん、いったい何者だ?



「とーしゃん、おしよー。」


「お…おう…」


「千里さん…無理しないで下さいね…」


「……」



 そして、俺は子供達と砂場で…


「…どうだ。」


「……」


「……」


「……」


 ……子供達とばーさんを…無言にさせた。


 * * *


 昨日、子供達と戯れてパワーを充電できた俺は。

 堂々と、事務所の中を歩く事にした。

 今までは、ルームとスタジオに籠りっぱなしで。

 しかも…あまり人に会う時間帯に外に出ていない。


 うちの事務所の社員は、出勤時間はバラバラだが…

 ロビーに多くの人が行き交う時間帯がある。

 それは…

 泊まり組達が、隣にある銭湯に入りに行く時間帯。

『朝風呂』半額タイムのある、九時から十時の間だ。



 堂々とロビーの真ん中を歩くと、すれ違いざまに『えっ…』と声を出したり、『神じゃん…』と指を差す者もいた。

 行方不明になって以降、亡霊みたいな存在になってたからな…

 珍しいだろうよ。


 …ふと、前方に目をやると…

 知花と、聖子。


 聖子は俺を見て丸い目をしたが…

 知花は、俺を見ていなかった。

 前を向いて…背筋を伸ばして、歩いて来た。


 実は…事務所で会うのは、あれ以来…初めてだ。

 俺はどこそこから知花の様子を眺めたりはしていたが…知花は俺の存在には気付かなかったと思う。


 何でもない顔をしてすれ違って…俺は立ち止まる。


 そして…


「知花。」


 大きな声で、知花の背中に声をかけた。


「……」


 驚いた顔の知花が、俺を振り返る。


 …ふっ。

 おまえ、なんだよ。

 相変わらず…

 可愛いじゃねーか。


 まだ…アクションを起こすつもりはなかった。

 だが…少なからずとも、俺は朝霧さんから聞いた諸々の話に、焦ったのだと思う。

 いや…もっと早くにこうしていれば良かったんだ。


 俺は知花に向かって真っすぐ歩いて行くと…


「チャンスをくれ。」


 知花の目を見て言った。


「…え?」


「おまえと、やり直したい。」


「……」


 途端に、周りから『え?あの二人ってデキてたの?』とか『公開告白!?』なんて言葉が囁かれ始める。

 誰がなんて言おうが…

 俺は、もう迷わない。



「俺は、もう一度歌う。」


「……」


「今度は…」


「……」


「自分のためにじゃない。おまえのためにだ。」


 一斉に周りが騒がしくなった。

 冷やかしの声や、拍手。

 俺には全てがエールだったが、知花は驚いた顔をしたまま…無言。



「もう、辛い想いはさせない。だから…」


「やめて。」


「……」


 俺の告白を…知花が遮った。

 …遮ったって事は…


「あたしは、あたしはもう…」


 …そうか。

 もう…って事は…

 俺は…おまえを諦めなくちゃなんねーのか…


 …いや。

 でも、諦められない。

 俺は…俺ができる事は…



「見ていてほしい。俺がおまえのおかげで、どんなに強くなれたか。」


「……」


「それと、これ。」


 俺は強引に知花の手を取って、それを…手渡す。


「なっ…」


「捨ててもいいけどさ、その気になったらしてくれよな。」


 それ。

 俺は…あの時知花に返された指輪を、知花に手渡した。

 捨てようとして…捨てられなかった、指輪。



「じゃあな。」


 目の前の知花の表情は…俺にとっていいものじゃなかったが。

 相変わらず愛しい奴だ…なんて、のんきに思うと、つい…頭をくしゃくしゃと触ってしまった。


 昨日、桐生院から帰って…一人、指輪をはめた。

 正直、自分でもらしくねーなー…なんて思ったが…

 これをお守りにしたかった。


 俺は…怖がってる。

 知花が、朝霧を選ぶんじゃないかって事に…



 知花に手を上げて歩いて行く。

 周りからは、十分なほどの冷やかしの声。

 あー…俺、戻って来たんだなー。なんて、少し思った。



「あの。」


 ロビーの一番奥にある、自販機コーナーに向かってると…呼び止められた。

 振り向くと…朝霧。


「…何だ?」


「…話があります。」


「……」


 自販機コーナーの奥に、医務室に向かう通路がある。

 俺と朝霧は、そのスペースに移動した。


「で?」


「…知花に言ったの…本気なんですか?」


「あ?」


「…困ります…」


 朝霧は、少し…思いつめたような顔をしていた。


「なんで。」


 俺はポケットに手を入れて…斜に構えて言った。


「ハッキリ言え。何だ。」


「…知花と、一緒に暮らそうと思ってるんです。」


 …そうなのか。

 頭の中に、絶望的。という文字が浮かんだ。


「それで?」


「アメリカでも、一緒に暮らしてました。」


「ああ。この前、朝霧さんに聞いたよ。」


「だから、さっきみたいなのは困るんです。」


「困る?どうして。」


「知花が…」


 朝霧は…俺の目を見たり、自分の足元を見たり…落ち着かない様子だった。


 …意外だな。

 俺の中では、こいつは…何事にも動じない、冷静な奴といったイメージだ。



「おまえ、本当に知花を好きなのかよ。」


 俺が一歩近付いて言うと。


「好きです。」


 朝霧は、俺の目を見て即答。


「でも、年末の大雪ん中、俺につきまとって知花とヨリ戻せって言ったのは、おまえだろうが。」


「あれは…」


「あれは、何だよ。」


「……」


 何か言いたそうにはするものの、言葉を飲み込む朝霧。

 俺は腕を組んで、さらに…一歩近付いた。


「上等だよ。でも、俺は知花をあきらめない。」


「……」


「あきらめちゃ、いけないんだ…自分のためにも。」


「……」


 俺の言葉に、朝霧はまるで…泣きそうな顔。

 眉間にしわを寄せたり、ギュッと目をつむったりしている。

 そんな朝霧の顔を見ていると…俺も少し冷静になれた。



「んな不安そうな顔すんな。さっきの知花の反応から見て、俺は相当分が悪い。」


 口に出すと、悲しくなったが…本当だもんな…


「…それでも、知花のために歌うんですか?」


「それくらいしか、できねえしな。歌わねえ俺には魅力なんてないって、あいつが言ったらしいぜ。」


「……」


「ただの思い出になってもいい。でも、それを辛いままにさせたくないんだ。俺との事を思い出すたびに泣かれちゃイヤだろ?」


 …本当にな。

 俺を思い出すたびに…知花は何度泣いただろう。

 …でも、きっと…そういう時…

 そばには、こいつが居てくれたはずだ。



「…神さんは…」


「あ?」


「知花を…本当に愛してるんですね。」


 顔を上げた朝霧は…少しスッキリしたような顔になっていた。

 …こいつ、本当に万人受けする男前だな。



「自分でも、驚くぐらいな。」


 俺はそう言って、小さく笑う。

 …自分でも驚くほど…俺は知花を愛している。

 いつから…そうだったか、なんて…分からない。

 ただ…

 あいつの声が…あいつの笑顔が…

 良くも悪くも、ずっと俺の中から…離れなかった。



「今俺が出来る全ての事を…知花に見せたいと思ってる。」


 俺がそう言うと、朝霧はじっと俺を見つめて。


「…ずっと…こんな神さんを待ってました。」


 よく分からない事を言った。


「…あ?」


「待ってたんです。あなたを。」


「……」


 意味が分からなくて首を傾げたが。

 朝霧は俺に軽く笑いかけると…そのまま消えて行った。


 …よく分からないが…

 どう考えても…俺は分が悪い。

 だが…

 …最後まで、諦めない。


 * * *


「はー…」


 毎朝の日課。

 ジョギングから帰って軽くストレッチをする。

 アメリカでの修行からこっち…のどの調子がいい。

 色んなバンドを見て、色んな音楽に触れ、自分の中でも歌い方の幅も広がった気がする。


 そのおかげでか…

 渡米前には言われた事のない褒め言葉が、ナオトさんや朝霧さんからも出るようになった。



 …知花を…取り戻す事は出来ないかもしれない。

 朝霧から、知花と暮らすと聞いて…何となく覚悟はしていたものの…

 ショックだった。


 まだ、チャンスはある。

 そう思いながらも…朝霧さんの息子なら…知花も子供達も…



「……」


 なぜ弱気になる?

 朝霧は『知花と一緒に暮らそうと』と言った。

 まだ、決定してないんだ。

 知花の口から…朝霧と生きて行く事を聞くまでは…

 まだ、俺にもチャンスはあるはずだ。


 …諦めるな。



 空を見上げて両手を上にあげる。

 大きく伸びをして…深呼吸をしていると…


「…神さん。」


 背後から声がして…振り返ると、朝霧がいた。


「…おまえは、俺を付け回すのが好きだな。」


 小さく笑いながらそう言うと。


「…好きなんです。」


 朝霧は、俺の足元を見ながら言った。


「…知花の事か。それはそれで、もう聞いたし、俺は」


「俺は、神さんの事が好きなんです。」


「……」


 下ろしかけた手を、途中で止めたまま…朝霧の顔を見入った。


「…俺は、昔から…男しか好きになれなくて…」


「……」


「だから…本当は…知花の事も…神さんが知花を好きだから…好きになったと言うか…」


「……」


 俺は、呆然としていたかもしれない。

 男から告白されるのは…生まれて初めてだ。

 朝霧が…嘘を言っているようには思えない。

 今まで数回朝霧とはこんな感じで…話したが。

 今日の朝霧が、一番…


「…向こうで知花と暮らしたのも…不純な動機からでした。キッカケは…知花と子供達が男に襲われて…」


「えっ?襲われた?」


「はい…襲われてる所に偶然通りがかって…それで、連れて帰って…そのまま一緒に暮らし始めました。」


「……」


「知花と居ると…俺自身…変な気持ちでした。」


 それから朝霧は…

 俺を好きなあまり、知花を守る自分を俺と重ねてみたり…

 華音と咲華を大事にする事で、俺に近付けている…と錯覚したりした、と。

 時々、少し顔を赤くしながら…語った。



「…気持ち悪いですよね…」


「……」


「俺自身…告白なんて…するつもりは…」


「…知花は、その事知ってんのか?」


「…俺が男しか好きにならない事は…向こうで言いました。神さんの事は…ついこの間…バレました。」


「バレた?」


「…『千里を好きなんでしょ?』って。」


「……」


 朝霧は、俺の顔を一度も見ない。

 ずっと、俺の足元と…自分の爪先を繰り返し見るぐらいで、顔を上げない。

 今まで、あれだけ…自信満々に俺の目を見て話してたのにな…



「この前…神さんと話してたのを、知花に聞かれたみたいで…もめちゃいました。」


「もめた?」


「…あいつ…何に意地になってるのか分からないけど…神さんの事忘れようって必死になってて。」


「……」


「俺なんかに…言う資格はないかもしれないけど、神さんと向き合えって言ったら…」


 朝霧の声は、だんだん小さくなって。

 最後はよく聞き取れなかった。


 …こいつ、形はどうであれ…

 知花に惚れてるんだろうな。

 男しか好きにならない。

 それは本当かもしれないが…

 知花と一緒にいて、何か感じるものはあったんじゃないか…?



「朝霧。」


「…はい。」


「正直に言えよ。」


「…はい。」


「知花と、寝たか?」


「……」


 この質問をした途端、朝霧が顔を上げた。


「…寝たのか。」


「……寝てません。」


「キスしたか。」


「…してません。」


「……」


 平然としてのけたが…それが嘘だと分かった。

 朝霧は何度も瞬きをして…俺を見つめた。

 何もなかった。と、言い聞かせるように。


 …俺と知花は別れた。

 その間に、誰かと何かがあっても…仕方ない。

 実際俺だって、瞳にグラついた。



 何だよ。

 男しか好きにならねーとか言って、そういうのは出来んのかよ。

 少し心の中で毒気ついたが…



「えっ…」


 朝霧が、俺の腕の中で固まった。

 俺はギュッと朝霧を抱きしめると。


「気持ちはありがたいが、応えられない。」


 そう言った。


 アズに感謝のハグをした事はあるが…

 俺を好きだと言ってる男を抱きしめるのは…初めてだ。

 少々…こっちまで緊張する。


「知花と子供達を…助けてくれて、ありがとな。」


 耳元で、そう言うと。

 朝霧は力の入っていた肩を少し落として、遠慮がちに…俺の肩に頭を乗せた。



「おまえ、いいドラマーだよな。」


 間が持たなくて、そう言うと。


「…光栄です…」


 朝霧は、俺の肩に頭を乗せたまま答えた。



 知花がこいつを選んだとしても…

 俺は、ずっと…知花を好きでいよう。


 何となく…そう思えた。


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