第49話 「お忙しいのに、呼びつけて申し訳ない。」

 〇高原夏希


「お忙しいのに、呼びつけて申し訳ない。」


 今度は…桐生院貴司の会社に呼び出された。


 …最初はうちに来たいと言われた。

 千里が祖父の家に戻ってすぐ、俺はマンションに引っ越した。

 さくらと暮らしていたあの家は…売った。

 もう、俺には必要ない。


 来訪を断ると、大事な要件だからとしつこく言われ…

 …仕方なく。



「先日の写真です。」


「写真?」


 ソファーに座ってすぐ、写真を差し出された。

 正直、こいつと親しくはなりたくないが…孫たちは可愛い。

 …孫…そう認めていいものかどうか…

 俺の中で、葛藤はある。

 ずっと。

 …知花の事もだ。


 娘として愛していると思う反面、さくらへの気持ちを断ち切るためには…

 知花の事も、必要以上に娘と思わない方がいいんじゃないか?

 …だいたい、知花は…

 この、桐生院貴司に…ずっと、育てられてきたんだ。

 今更俺が父親を名乗らなくても…いい。


 なのに…

 知花の事も、華音と咲華の事も…

 それを弱味に、つけこまれるのは嫌だと思いつつも…

 あの、心から俺を癒してくれた笑顔と触れ合いを、なくしたくないとも思ってしまう。


 …結局、俺は弱い男だ。



 テーブルに置かれた封筒を手にして、中から写真を取り出す。

 そこには、俺の背中に乗っている二人や…一緒に昼飯を食っている所。

 広縁で肩車をしている写真があった。


「…いつの間に撮った?」


「あの子達に夢中で気付きませんでしたか?」


「……」


 …そう言われると、そういう事になる。

 俺が目を細めたまま写真を見入っていると。


「高原さん。」


 桐生院貴司は…指を組んで前のめりになって。


「実は、私は…」


 少し、深刻な声で言った。


「さくらと結婚はしましたが、一度もさくらを抱いた事がありません。」


「…………は?」


 眉間にしわを寄せて、桐生院貴司の顔を見た。


「これからもないでしょう。」


「……そうだとして、俺に何か関係あるのか?」


 そんな告白をされても、おまえらは夫婦だろうが。

 心の中で毒気づきながら、俺は溜息をついた。

 だが…どこかで…

 どこかで、今俺は…ホッとしたのも確かだ。



「一つ、聞きたい事があります。」


「…なんだ。」


「さくらが、危険な組織と関係していると…」


「……」


「ご存知なんですね?」


 二階堂 翔の言葉を思い出す。

 さくらは…一人でテロリスト集団を…



「…いや、俺は知らない。」


 言葉に詰まった時点でアウトだと思ったが、あえてそう言った。

 だが、桐生院貴司は。


「あなたは…素直な人だ。ますます好感が持てます。」


 そう言って、小さく笑った。


 …気に入らない



「さくらは、その事を覚えているのですか?」


「…色々な記憶を失くしたままだ。何を思い出して、何を忘れているか等…俺には分からない。」


「…そうですか。」


「なぜ、そんな事を?」


 俺が怪訝そうな顔をすると。


「…すみません。あなたなら、さくらの全てを知っておられると思い…」


 桐生院貴司は、姿勢を正して頭を下げた。



 …いったい、なんなんだ。

 何のために…こいつは…俺に深入りしようとする?



「呼び出した理由…正直に、話します。」


 最初からそうしてくれていたら、ここまで嫌な気分にならなかったかもしれないのに。

 そう思いながら、ソファーに深く座ると…


「私は、あなたに惹かれたんです。」


「…あ?」


 その言葉に、目を細めた。


「さくらを、ずっと…一途に愛して来られたあなたに…惹かれて、憧れて…近付きたい、親しくなりたいと思いました。」


「…ふざけてるのか?」


 俺が立ち上がろうとすると。


「ふざけてこんな事は言いません。」


 桐生院貴司は…真顔で言った。


「言っても解ってもらえはしないかもしれませんが…どうか、全部聞いて下さい。」


「……」


 とりあえず、上げかけた腰を下ろす。



「私は…桐生院の父の愛人の息子です。」


「……」


 いきなり、同じ境遇を語られて…ますます嫌な気分になった。


「実の母は案外あっさりと私を桐生院に引き渡して、私は…今の母に育てられました。」


 それから、桐生院貴司は…


 母親の違う妹がいた事。

 その妹が事故で亡くなった事。

 そして、父親も…女の家で亡くなった事。

 桐生院の母を大事にしたいと強く想い始めた事。

 それらを、淡々と話した。


 そこまでは…同情も共感もできたが…



「私は昔から…自分が好きだと思う相手には、何も出来ない男でしてね。」


「…何もとは?」


「不能になるんです。どうでもいい相手とは出来るのに。」


「……」


「だから、さくらにも…せいぜいハグぐらいです。」


「それはそれは。」


 半ば呆れて答える。

 何が悲しくて…手放した女の旦那から、こんな話を聞かされなくちゃならない?


「問題は…それ以上を、私がではなく…相手が求めると…」


 相手が求めると…と聞くと、少し嫌な気がした。

 さくらは…こいつを求めるのだろうか…


「求められると、一気に気持ちが冷めるんです。」


「……は?」


「冷めるという事は…それで身体の関係も持てるのかもしれませんが…」


「……」


「どうでもいい相手とは、どうでもいい気持ちのいいセックスが出来る。なのに私は…愛する相手に求められると…気持ちが萎えて、憎しみが湧きます。」


「…おまえ…」


「私はさくらを一度も求めなかったし、さくらも私を求めなかった。だから…私の気持ちは今もさくらに残ったままです。」


「…待て。おまえ…もし今後さくらが…」


「…どうでしょうね。彼女が私を求めるとは思いたくないです。」


 俺は勢いよく立ち上がった。


「おまえ…もしさくらが求めたら、捨てる気か?」


「……その時になってみないと分かりません。しかし、彼女は私が不能なのを知っているので…それはないと信じたいです。」



 本当にこいつ…頭おかしいんじゃないのか?

 ムカムカして、殴りたくなって来たが…



「どうか…」


 桐生院貴司は立ち上がると。


「私がさくらを悲しませないよう…」


 俺の…前に歩いて来て、俺の手を取った。


「お願いです…私がさくらを悲しませないよう…いつまでも…」


 振り払いたいのに…それが出来ない。


「いつまでも…さくらの想い人で…いてやって下さい…」


 そう言った桐生院貴司は涙目で…

 その目は、鬼気迫るものがあった。


 …愛しているのに、抱けない。

 その苦しみは…解らなくもない。

 だが…



「…無理だ。」


 俺は、振り払えなかった手を…ゆっくりと外して。


「…俺には周子がいるし…さくらにはおまえがいる。俺達はもう…何の関係もない。」


 低い声で言った。


「知花はどうなるんですか?」


「…あ?」


「あなたとさくらの間には…知花がいる。」


「…どういう事だ。」


「……」


 桐生院貴司は、もう一度…俺の腕を掴んで。


「…私が…さくらや知花を悲しませないよう…」


 今度は…少しゾッとするような目つきで…


「…私を、監視していて下さい。」


 俺を…抱きしめた。


 * * *


「どこ行ってた?」


 事務所に戻ると、会長室にナオトとマノンがいた。

 少し、どんよりとした顔をしていたであろう俺を見て、二人は。


「腹でも減ってんのか?」


 のんきに、そんな事を言った。



 …桐生院貴司…

 …何が…真面目な男だ。

 おい、二階堂 翔。

 おまえの言葉なんて、信じなきゃ良かった。


 …あの、鬼気迫る眼…

 あいつ…もしかして、自分で自分を抑えられない所まで来ているのか…?



 あの家に…さくらと知花…そして、華音と咲華を置いていて大丈夫なんだろうか。

 …今更、俺に何が出来ると言うんだ…

 監視してくれと言われても…



「…なあ、ナッキー。」


 ごちゃごちゃ考えながらコーヒーを入れていると、マノンが口を開いた。


「あ?」


「…夕べ、さくらちゃん、事務所に来たで。」


「……」


 思いがけない言葉に…返事が出来なかった。

 ナオトはもう話を聞いていたのか、無反応。

 俺は…マノンの言葉を何度か頭の中で繰り返して…ようやく把握するほど動揺していた。


 まさか…すでに桐生院で何か起きているのか…?



「千里に用があるって、来てた。」


「……そうか。」


 少しホッとした。

 千里とさくらは…面識がある。

 何か知花の事で相談でもしたのだろうか。



「…千里がさくらちゃんとこに向かうの見てたんやけど…ちょうど俺らの曲が流れてて、さくらちゃん…目瞑って聴き入ってて…なんや、ちと俺がセンチになったわ。」


「……」


 二人にコーヒーを渡して。


「…ちょっと出てくる。」


 俺がそう言うと。


「え?今来たばっかやん。」


 二人はポカンとして俺を見た。


「ちょっと、周子の所に。夜には帰る。」


 そう言って車のキーを手に、俺は外に出る。



 …別れたのに…終わったのに…

 こうして、さくらの名前を聞いてしまうと…

 ずっと夢としていたさくらとの結婚が…胸のどこかで強く疼く。

 …それが、痛くてたまらない。



 周子の入っている施設にたどり着いて、まずは主治医に会った。

 そして…


「カウンセリングをお願いしたいんです。」


 そう切り出すと。


「…今日はもう時間外ですが、世間話という形で、お話聞かせて下さい。」


 主治医はそう言って…庭のベンチに俺を誘った。



 周子の主治医は俺より少し年上の、以前はどこか大きな病院の精神科医だったと聞いた。

 海外の病院も渡り歩いた名医で、今は施設に隣接している心療内科の院長をしている。



 そこで俺は…

 さくらを失った事。

 なのに、さくらの身が心配でたまらない事。

 さくらだけじゃない…知花も、華音も咲華も。

 そして…自分は周子と入籍をしたのに、さくら達を気に掛ける事に罪悪感を覚えている事。


 もう終わった。

 関係ない。

 そう思いながら…いや、言い聞かせながらも…

 さくらのそばに…居られるなら。

 どんな形ででも、そばに居られるなら、と…

 本当は…思っている事。


 それらを話した。



「…何かの責任を負うような気持ちで、周子さんと入籍されたのではないかと思ってましたが…そういう経緯があったのですね。」


 院長は静かな声でそう言って、銀縁のメガネを外して…目を細めた。


「高原さん、あなたは…本当に真面目で厳しい方ですね。」


「…真面目で厳しかったら、こんな状況にはなってなかったように思いますが。」


「ほら、それがもう真面目なんですよ。」


「……」


「真面目が悪いとは言いません。ですが、あなたの場合は自分を戒めすぎる。」


「……」


 院長は立ち上がって、後ろで手を組むと。


「私は誰かを罰する者ではないし、聖職者でもない。なので、ただの人間として言わせてもらいますが…」


 俺を優しい目で見下ろして。


「もう少し、自分の気持ちに寛容になって下さい。誰かを大事だと想う事は、悪い事ではありませんよ?」


 言い聞かせるように、ゆっくりと言った。


「誰が批判しようが…あなたの『愛の形』というのは、あなたが創ればいいのではないですか?」


「…愛の形…」


「抱きしめて大事にするのも愛なら、ただ見守るだけも愛。想い続けるだけも愛。」


「……」


「自己満足に過ぎなくても…それをあなたが望むなら、私は何も罪に思い悩むことはないと思いますけど。」


 院長の言葉に、少し…気持ちが軽くなった。


「ですが、見返りを求めると…辛いかもしれませんね。」


 院長が伏し目がちに言ったが。


「見返りなんて、要りません。」


 俺は即答した。


「……」


「彼女たちが…笑ってくれていれば…いいんです。」


「…そうですか。」


「…いえ、ちょっと強がりました。」


「…ふふふ。面白い人ですね。」


 見返り…見返りなんて、求めれば…きりがない。

 元気になったさくらを抱きしめたい。

 一緒に…同じものを見て、笑って、泣いて…

 人生を共に過ごしたかった…


 …だが…


 俺は…想いを断ち切れずにいる。

 無理矢理『関係ない』と言い聞かせて…苦しくなる。

 それなら…

 桐生院貴司が変な気を起こさないよう…

 監視という名目でも、さくらを…見守り続けられるのは…ある意味幸せなんじゃないか…?


 …俺も、頭がおかしいな。

 あいつと変わらない。



『院長、大至急A館までお越しください。」


 ふいに、館内放送が流れて。

 院長が俺に会釈して駆け出した。

 A館…周子が居る施設だ。

 俺がゆっくりと院長の後をついてA館に行くと…



「周子さん、落ち着いて。大丈夫だから。」


 院長と看護師たちが…周子をなだめていた。


「…周子…すみません、何かあったんですか?」


 俺が近付くと…


「許さないわ!!」


「……」


 一斉に…視線が俺に集まった。


「あの子の所に行ってたんでしょう!?許さない!!」


「周子…」


「殺してやる!!あの子を…あたしから夏希を奪ったあの子を…」


「高原さん、ロビーに行って待っていて下さい。」


 院長に促されて、俺はロビーに。


「殺してやるー!!」


 背後に…周子のつんざくような悲鳴を聞きながら…

 俺の心は…


 …さくらを求めてしまっていた。





「…ごめんなさい…パパ…ごめん…」


 目の前の瞳は、何度もそう言って…泣きじゃくった。

 あれだけ落ち着いていた周子が…また…俺を見て暴れるようになった。


 原因は…


「…知花ちゃんと…ランチに行ったの…」


 瞳は…知花が腹違いの妹だとは、周子に話していない。

 だが…知花の母親の名前が誰もが知っている花の名前というのが、知花の名前の由来だと知り…

 そのエピソードに、感動した、と話したらしい。


 そして、自分の名前の由来は、何なのか。と…周子に聞いた。

 すると周子は…


「…誰もが知ってる花の名前…って…さくら…?」


 瞬きもせず…瞳を見て。


「え?ママすごい。よく分かったわね。」


 そう言った瞳に…


「…知花って…瞳の結婚式で…」


「そう。歌ってくれた子よ?上手かったでしょ?」


「…高音のファが…夏希に似てたわ…」


「……え?」


「…夏希と…あの子の…娘なの?」


「マ…ママ……」


「答えなさい!!あの子は…夏希の子供を産んだの!?」


 それから…周子は、ずっと…さくらを殺してやる。と叫び続けて…

 俺が憎い、と。



「あたし…バカだった…」


「…大丈夫だ。」


 涙の止まらない瞳の頭を抱き寄せて、目を閉じる。


 …大丈夫だ。

 自分にも…言い聞かせる。



 これは…俺への罰なのか?

 みんなに幸せになって欲しいと願いながら…

 さくらへの想いを断ち切れず、さくらのそばに居れるなら…と、院長の言った『自分なりの愛の形』を選ぼうとした。


 …あんなに…穏やかに笑えるようになっていた周子が…

 誰かを殺してやりたいと叫ぶほどだなんて…



「…圭司に迎えに来てもらうか?」


 小声で問いかけると。


「…圭司には…言わないで…」


 瞳は、涙声で答えた。


「…なぜ。」


「今は…F'sに…集中…さ…させてあげたい…から…」


「……」


 ギュッ…と、瞳の肩を抱きしめた。


 元はと言えば…全て…

 全て俺が…



「高原さん。」


 暗闇に吸い込まれそうな気持ちになった瞬間、声をかけられて振り向くと…院長がいた。


「…はい。」


「誰も、悪くないですよ。」


「……」


「周子さんは、今やっと…自分に正直になられてるのだと思います。」


 院長の言葉に、瞳は顔を上げて。


「ママは、あんなに酷い事言う人じゃないです!!」


 大きな声でそう言った。


「そうだね。きっと、そうだと思うよ。でも、周子さんは小さな頃からずっと、寂しいのに誰にも本音を言えない強がってしまう部分があった。」


「……」


「周子さんは、今、心の中に溜め込んでいた物を、吐き出しているだけだから…大丈夫。受け止めるのは辛いかもしれないけど…全部、吐き出させてあげよう。」


「…ママ…」


 瞳は…ショックに違いない…

 吐き出す事が、周子のためになるとしても…

 さくらを殺してやるという言葉が…周子の口から吐き出されるなんて…

 …俺にも、耐えられない。


「こういう時こそ…ご家族の力が必要です。」


「……」


「お辛いとは思いますが…周子さんの心の闇を、全て吐き出させてあげましょう。」


「…分かりました。」


 俺は瞳の頭を抱き寄せたまま、院長に頭を下げた。



 …周子の心の闇…

 それは…

 俺が創りだしたものだ…。



 すまない…周子…。


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