第48話 「…母さん?」

 〇桐生院さくら


「…母さん?」


「え…あっ、あー、知花ー。」


 しまった‼︎

 こんなに早く見つかるなんてー!!



「何してんの?こんな時間に、こんなところで。」


 知花はキョトンとした顔で、あたしを見る。

 そうよね、そうよね…あたしがいちゃ、おかしい場所だもん!!



「あ、の…なっちゃんにね。ちょっと…」


 つい…なっちゃんの名前が出てしまった。

 だって、神君…千里さんの名前なんて、もっと言えないし!!


「ふうん…」


 知花は首を傾げながら、あたしをジロジロ見てる。

 だよね…怪しいよね…

 どうするかな、あたし…


「高原さんなら、一番上の階だよ?」


 怪しまれてると思ったけど…

 知花は、素直ないい子だった。


「あ…そう。」


「ついて行こうか?」


「ううん。えーと…ちょっと見学とか…」


「えー?転んだりしないでよ。」


「知花じゃないもん。」


「何それ。あたし転ばないよ?」


「あたしだって。」


 あたし達が、そんなどうでもいい会話をしてると…


「知花…と。」


 何だか爽やかな男前がやって来て。


「あ、母さんなの。」


 知花がそう紹介してくれた。


 …母さんなの。


 じーん。

 慣れないけど…嬉しい‼︎



「あ、はじめまして。ドラムたたいてます。朝霧です。」


 朝霧…?


「知花がいつもお世話になります。朝霧さんて……マノンさんの?」


「息子です。」


 えー!!

 マノンさんの息子さんて…


 突然、あたしの頭の中に、色んな光景が…グルグルと回った。


「あたしね、一度だけお会いしたことがあるのよ。あなたが、こーんなにちっちゃい時…」


 そう…

 あの時…あなたは、雑貨屋で…何か…車の何かに夢中になってて…

 その棚の向こう側に…

 瞳ちゃんを連れた周子さんがいて…

 あたしは、その光景を見たかったけど…

 ううん…知りたくなかった…



「………あたし、帰るね。」


 何だか頭の中がざわついて、帰りたくなった。

 帰って…双子ちゃん達の部屋で寝よう…

 うん…そうしよう…


「え?高原さんに会いに来たんじゃなかったの?」


「うーん…面倒になっちゃった。じゃあねー。」


 手をヒラヒラさせながら、その場を走り去る。

 ミッションは終えたし…もう…なっちゃんの色々を懐かしむのは…やめよう…

 だって…

 何だか…色々思い出すたびに…

 胸が、ざわつく。


 ……嫌だ。



「うわっ!!」


「きゃ!!」


 廊下を走ってると、つきあたりで人とぶつかった。


「あいたた…」


 あたしは立ったままだけど、相手は転んでる。

 あたし、どれだけ強靭!?



「ご…ごめんなさい!!大丈夫ですか!?」


 あたしが床に膝をついて、その人の顔を覗き込むと…


「……」


「…え?」


 相手の人…なぜか、あたしの顔をマジマジと見てる…


「な…何かな…」


 打ち所が悪かったとか…


「…えっ?」


 突然。

 あたし…その人に、抱きしめられた!!


「えっ…ええっ!?ちょ…ちょちょ…」


「すいません…」


「…は…はい?」


「…何か…喋って下さい…」


「…は?」


「声を…」


「……」


「声を、聞かせて下さい…」


 その人は…いくつぐらいだろう?

 知花と…同じぐらい?

 天パで、くりんとした髪の毛。

 えっと…ええっと…


「……まこ…ちゃん…?」


 あたしが、そう言うと。


「…僕を、覚えてるんですか?」


 まこちゃんは、驚いた顔で…あたしを見た。


「…あなたも、あたしを…覚えてるの?」


 くりくりの…丸い目。

 ああ…あたし…見た事ある。

 この、天使みたいな顔の男の子に…会った事ある…


「ずっと…聞きたかった声だと思って…」


「え?」


「小さい頃…すごく不安だった時に…僕を助けてくれた人の声です。」


「……」


「ずっと、ずっと会いたいって思ってました。」


 そう言われて…まこちゃんは、またあたしをハグした。


 あたし…

 まこちゃんを助けた…?

 よく…覚えてない…

 でも…



「あの…あのね…?」


「はい…」


「あたし…事故に遭って…昔の事、あまり…覚えてなくて…」


 あたしがそう言うと、まこちゃんは腕を離して、あたしの目を見た。


「だけど…なんだろ…『まこちゃん』って名前…憶えてる。」


「…父は、島沢尚斗といって、Deep Redっていうバンドのキーボーディストです。」


 ナオトさん…

 Deep Redのメンバーでもあり…

 なっちゃんの…親友…だよね…


「…ナオトさんの、息子さん…」


「はい。」


「…あたしこそ…助けてもらったんだよ…きっと…」


「…え?」


 知花を…死産したって言われて…

 同じ歳ぐらいの子供を見るのは、辛かった…

 だけど、まこちゃんは…

 いつも、あたしを癒してくれてた気がする。


 …そうだ…

 あたしの事、しゃくりゃちゃんって…ノン君に呼ばれて懐かしかったのは…

 まこちゃんが、そう呼んでたからだ…


「…大きくなったんだね…」


 まこちゃんの腕を擦りながら言うと。


「僕もバンドで、キーボード弾いてます。」


 まこちゃんは…今も天使のような笑顔。


「そうなの?すごい…聞いてみたいな。なんてバンド?」


「SHE'S-HE'Sっていうバンドです。」


「…え?」


「え?」


「…ボーカルの…知花の母です…」


「…え?」


「え?」


 あたし達は、何度も『え?』を繰り返して…

 そして…笑い合った。


「じゃあ、いつでも会えるんだー。嬉しいなー。」


 まこちゃんが、そう言ってくれて…何だかすごく嬉しくなった。


「でも…ちゃんと思い出せなくてごめんね?」


「いいんです。そっか…僕、高等部の時、知花の声聞いたら眠くなっちゃってて…」


「えー、なんで?」


「親子だからなのかな。声、そっくりとまでは言わないけど、どこか似てるかも。」


「…知花の声は…」


 ファ…が…なっちゃんに似てる。

 そう思いながら、小さく笑った。



 あー…


 なんか、元気出た。

 まこちゃん。

 ありがとう!!



 〇朝霧光史


「若いなー。」


 走り去る背中を見て、つぶやいた。


 思いがけず…知花の母親に会った。

 高原さんが一途に愛した人と聞いて…何となく、儚げな女性をイメージしてたが。

 元気ハツラツな人だった。



「ところで、この続きが見あたんないんだけどさ、この曲って全部書いてんのかよ。」


「え。」


 廊下の真ん中で、知花と譜面を眺める。


「あっれー…おかしいなあ…」


 うつむいた知花の髪の毛から…いい香りがした。


「…知花。」


「んー?」


「この間の返事、いつ聞ける?」


「……」


 俺の問いかけに、知花は一度顔を上げたが…


「…ね。」


「ん?」


「あたし…光史のこと、好きよ。」


 もう一度、うつむいた。


「……」


「アメリカで一緒に暮らしたのだって…誰だってよかったわけじゃない。みんなのことは、同じぐらいに大切だし…大好きだけど、光史は…また少し離れたところで安心できる心地よさを持ってて…」


「…それは、男しか好きにならないから?」


「そうじゃないよ。あたしも、それが何かわかんなかった。でも…」


「……」


「光史は、どうして…あたしと一緒に暮らしたいの?」


「愚問だな。好きだからだよ。」


「嘘。」


「どうして。」


「千里を好きなんでしょ?」


「……」


 足元が…ぐらついた気がした。


 知花には…

 知花にだけは…気付かれたくなかったのに…



「光史は、あたしを見つめてても…あたしを見てなかったよ。」


「…俺は…」


 落ち着け。

 冷静になれ…

 そう言い聞かせようとしても…

 俺の手元は、震えてしまって。

 手にしていた譜面を床にちりばめてしまった。



「…無理しないで、正直に言って。」


 知花は、その譜面を拾い集める。


「…憧れてるだけさ…」


「……」


「俺は、今まで女に本気になったことがなくて…だけど、知花と一緒にいると新しい自分が見えてきたっていうか…」


 何とか…言い繕いながら…

 俺もしゃがみこんで譜面を拾う。



「あたし、どうしたらいいの?」


「……」


「千里のこと、忘れられない…かと言って、前にも進めないで…」


 忘れられない…

 やっぱり…忘れられなかったのか…

 知花からこの言葉が出た時…

 一つ、気付いた事があった。


「光史なら…こんなあたしをどうにかしてくれるの?」


「知花…」


 譜面を置いて、知花の頭を抱き寄せる。


「俺が、忘れさせてやるから…」


 そう言って…唇を合わせた。


 俺は…

 …知花が好きだ。

 神さんに近付けると思って…なんて、違う。

 知花が…好きで、そばにいたいから…

 神さんを忘れられない知花の気持ちを知りながら…

 どんな形ででも…

 そばにいたい。


 そう思うほど…

 俺は…


 知花が好きだ。

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