第47話 「まあ。千里さん。また買って来て。」

 〇神 千里


「まあ。千里さん。また買って来て。」


「…すいません。つい…」


 カナリアで、新作の子供服が出ていて。

 それがまた…華音と咲華に似合いそうだったもんだから…

 そりゃあ、買うよな。



「うちには、二人に何か買いたくて仕方のない者ばかりいるんですから…千里さんまでがそうすると、困りますって何度も…」


 俺は、ばーさんに説教をくらっている。


 …また。

 もう何度目だ?



「いや、本当…似合いそうだったんで…つい…」


 俺がペコペコと頭を下げながら言うと。


「いや~ん…本当似合ってる…可愛い~…」


 後ろで、早速さくらさんが服を子供達にあてて、メロメロになっている。



 俺が渡米している間に…

 高原さんは、ずっと一途に愛し続けて来たさくらさんを…どういう経緯でか分からないが、桐生院に戻した。

 そして、自身は瞳の母親である藤堂周子さんと…入籍した…と、俺は本人から聞いた。


 あの、さくらさんと一緒に暮らしていた、緑の多い家は…売却されて。

 俺がじいさんちに引っ越してすぐ、高原さんはマンションに一人で暮らし始めた。


 …入籍したとは言っても、周子さんは施設に入られたまま。

 高原さんは…今、何を支えにしているんだろう…と。

 つい、余計な事を考えてしまう。



「ノン君もサクちゃんも、それ気に入った?」


 …目の前にいるさくらさんが、元気で明るくて。

 だからこそ…余計に、思う。

 高原さん…手放したくなかっただろうに。

 …知花がここにいるから…か?



「千里さん、今日は時間があるんですか?」


 ばーさんに聞かれて、時計を見る。

 今日は、これからスタジオだ。


 カナリアで買った服を、どうしても早く着せたくて、前もって麗から聞いていた知花のスケジュールを見て、今の時間に。と思って来た。



「いえ、もう行かないと。」


「まあ、残念。晩御飯一緒に食べれたら良かったのに。」


 さくらさんが、ノン君の手を持ってそう言った。


「…本当に。しばらく忙しくなるんで、早く…」


「…早く?」


「……」


 早く、知花を…取り戻して…堂々とここに座っていたい。

 そう言いたい所だが…



 昨日、知花と朝霧が並んで歩いているのを見かけた。

 譜面を開いて、何か意見をし合っているようだったが…

 朝霧の、知花を見る目。

 あれは…特別だと感じた。


 知花の気持ちが…もう俺に無くなっていても不思議じゃない。

 俺は、知花を取り戻すために、ちゃんと準備をしたいなんて言いながら…

 結局は、怖くて時間を伸ばしているだけのような気もする。


 …いや、違う。

 本気で…知花を…


「とーと。」


「とーしゃん。」


「……」


 足元に来た二人を、抱き上げる。


「…すっかり、抱き慣れましたね。」


 ばーさんにそう言われて…自然と笑顔になった。


「華音、咲華、悪いけど、父さん仕事だ。」


「……」


「……」


 途端に、二人に無言でガシッと抱きつかれて…あー…行きたくねーな!!って…本気で思う。

 だが…


「とーしゃん、がんばぇー…」


 咲華が、細い声で…そう言った。


「…ああ…頑張るよ。」


 咲華の頭に頬を当てて、嬉しさを噛みしめる。

 華音は少し拗ねたような顔をしていたが。


「…頑張るから。」


 目を見てそう言うと。


「…んっ。」


 力強く、頷いてくれた。


「じゃ、さくらちゃんの所においでー。」


「また…さくら、あなたは『ばーば』なんですよ?」


「だって、『大ばーちゃん』と似てるから。」


 そう言いながら、さくらさんが華音を、ばーさんが咲華を抱いて。


「いってらっしゃい。」


 笑顔で…俺を送り出してくれた。



 …桐生院は…心地いい。

 さくらさんは、ここにいれば幸せになれるだろう。

 …高原さんがいない事をのぞけば…

 ここは…きっと…



 楽園だ。




 〇桐生院さくら


「……」


 何だろ。

 何となくだけど…

 うちの中に…



「…今日、誰か来た?」


 お義母さんにそう聞いてみると。


「…千里さんがいらっしゃったじゃないですか。」


「……」



 うーん…

 神君の気配とは…違うんだけど。


 あたし、さりげなく…家の中、キョロキョロしちゃう。



 …本当は、あたしが感じてる…この気配が何なのか。

 分かってる。

 …なっちゃんだ。

 でも…なんで?

 なっちゃんが桐生院に来る理由なんて…ないよね?



「……」


 広縁に立って、庭を眺める。

 そして…そこに、なっちゃんを感じた。


 …なっちゃん、周子さんと…結婚したのかな…

 あたしには関係ない事だとしても…やっぱり気になった。

 知花に聞けば…分かるよね。

 だけど、気にしてる事…気付かれたくないって思った。



「しゃくりゃちゃーん。」


 大きな音を立てて、ノン君が走って来た。

 その後ろに、同じ笑顔のサクちゃんも。

 すっかり懐いてくれた二人…

 もう、可愛くてたまんない。



「ん?それ何?」


 ノン君が手にしてる物を見せてもらうと…


「…あれ…これって…」


 神君の、お財布。


「お義母さん。」


 あたしは、それを持って…後ろにノン君とサクちゃんを従えて、キッチンへ。


「これ、神く…神 千里さんの…」


 お義母さんにお財布を見せると。


「まあ…困ってらっしゃらないかしら。」


 今夜、知花は泊まりでレコーディング。

 誓と麗も学校行事で泊まりに行ってる。

 貴司さんは、海外からのお客様の接待で遅くなる。


「千里さん、今夜はスタジオって言ってたから…」


「じゃあ、事務所に持って行けばいいのかな?」


「…さくらが?」


「彼とは少し話もしたいし。」


「……」


「何?」


「…いいえ。タクシーで行って、早く帰って来なさいよ。私とこの子たちだけじゃ心細いから。」


 お義母さん…もしかして、あたしがなっちゃんと会うかもって…気になったのかな。

 あたしが一緒に暮らしてたのが、知花の事務所の会長だ…って。

 そして、それが知花の父親だ…って。

 きっと、貴司さんに聞いてるよね。



「渡したら、すぐ帰って来る。」


 あたしはそう言って、お財布を持って…


「誓の自転車借りるね。」


 裏口に向かう。


「これ、夜道ですよ。自転車はやめなさい。」


「えー…」


「さくら。あなたは38歳なんですよ?」


「…はーい…」


 渋々と自転車を置いて、タクシー会社に電話した。


「じゃ、行ってきまーす。」


「早く戻っておいで。」


「はーい。」



 …ごめん、お義母さん。

 あたし、なっちゃんの事務所…行ってみたかったんだ。

 彼が…世界に羽ばたかせるアーティストを育てるために、作った事務所。

 ビートランド。





「うわー…」


 タクシーがそのビルの真ん前で停まって。

 あたしは、それを見上げて声を上げた。


 このビル…全部!?

 全部が、ビートランドなの!?

 なっちゃん…すごい!!



 ロビーに入って…さすがにインフォメーションには誰もいない時間帯。

 だとするとー…あたし、ここから中には入れないんじゃ…?


 案の定、エスカレーターの前に警備員さん。


「入館許可証がないと入れません。」


「…ですよね~…」


 うーん。


「忘れ物を届けたいんですけど…呼び出しとかは…」


「後日インフォメーションにてお預かりいたします。」


「……」


 そっか。

 怪しいよね、あたし。

 嘘ついて、有名人に会おうとしてるファンみたい?


 うーん…知花を呼び出すわけにはいかないし…


「…あれ?」


「え?」


 声がして振り返ると…


「…さくらちゃん…?」


「……」


 あたしの名前、呼んだ…って事は…

 知ってる…人…

 えっと…

 そうだ…この人…


「…あー…事故で…記憶障害とか…やったっけ?」


 この…関西弁。


「…マノンさん…?」


「おー!!当たり!!」


 マノンさんは、嬉しそうな顔で、あたしの手を握った。


「どないしたん?こないな時間に。」


「あ…あー…えーと…」


「…ナッキー?」


「あ、いえ…それは…」


「…聞いた。色々あったんやってな。」


「……」


 なっちゃん…

 みんなに…話したんだ…


 そりゃ、そうだよね…

 知花が所属してるから、話さなきゃ難しくなっちゃうよね。

 ましてや…仲間だもん。



「ま…けど、元気になってえかったな。」


「…ありがとうございます。」


 あたしはマノンさんに深々とお辞儀して…

 帰ろう。って、思ったんだけど…


「上、行ってみる?知花、歌うてるんやないかな。」


 マノンさんから、夢のような提案。


「あ…こっそり来たから見つかりたくはないけど…中には入ってみたいです。」


 あたしが首をすくめてそう言うと。


「ほな、俺、知り合いやから。」


 マノンさんが警備員さんにそう言うと、警備員さんはあたしに深くお辞儀した。

 あたしもペコペコと頭を下げながらエスカレーターに乗って…


「…あたし、皆さんに…あわせる顔なんてないんですけど…」


 マノンさんの背中に、小さく言った。


「ん?何で?」


「…Deep Red、まだまだやれたのに…彼が活動休止を提案したのって…たぶんあたしのせいだし…」


 二階のエレベーターホールの前まで、マノンさんは無言だったけど…


「…ぶはっ…」


 急に噴き出した。


「…え?」


「いや、ごめん…そっか…さくらちゃん、寝たきりやったんやもんな…そら、あの頃のまんま時間が止まるわな…」


 マノンさんはそう言って髪の毛をかきあげて。


「確かに…ナッキーがあれを言うた時は、俺ら…ショック言うか…嘘やろ!?て思うたな。」


 笑いながら…そう言った。


「…ですよね…」


「けど、あれがあって、ワールドツアーも成功したし…こうしてナッキーが創った事務所でみんなで色んな事をして、新しいもん作って…」


「……」


「俺らは、解散してへんよ。俺とナオトは、新しくバンド組むけど…Deep Redはずっと、永遠に熱のあるまんまやし…ナッキーかて、終わったとは思うてへんもん。」


 そう言ったマノンさんは…目をキラキラさせてて。

 あたしが眠ってる間に、みんなは歳を取ったけど…

 マノンさんの目は…あの頃と変わらないんだろうなって思った。



「それにしても、さくらちゃん…全然変わらへんなあ。まだ20代みたいやん。」


 マノンさんは、エレベーターに乗って八階を押した。


「あー…気分も21歳のままで…だから身体とのギャップが…」


「ははっ。大変やな~。で、歌は?」


「え?」


「歌うてたやん?」


「…それ、よく覚えてなくて…」


「あー…そうなんや…残念やな…俺、さくらちゃんの歌、好きやったけど。」


「…ありがとうございます…」


 エレベーターが八階に着いて、マノンさんが『ここには色んなバンドが居る』って教えてくれたんだけど…

 あたしのミッションは…

 神君にお財布を…


「あの…すごく…申し訳ないんですけど…」


「ん?」


「神…千里さん…」


「え?千里?」


「どこにいらっしゃるか、分かりますか?」


「ああ。スタジオおるよ。なん。顔見知り?」


「実は一度、会いに来てくれた事が。」


「へえ~…ナッキーめ。千里には教えてたとは。」


「あ…ごめんなさい…」


「冗談。ちょい待っててん。」


 うちに財布を忘れた。なんて言えなくて…

 返って、悪かったかな。



「……」


 あ…これ、なっちゃんの歌だ。

 かすかに聴こえる…Deep Redの曲…

 ここは、こうやって一日中、誰かの歌が流れてるのかな…


 目を閉じて、なっちゃんの声を拾う。


 …なっちゃん…



「さくらさん。」


 集中して歌を聴いてて、至近距離に神君が来た事にも気付かなかった。


「あっ、あ…ごめん。あっ、これ、忘れ物。」


 あたしがお財布を差し出すと。


「え?」


 神君は自分のポケットを探って。


「気付かなかった。」


 ポカンとして…笑った。


「ノン君が持って歩いてた。」


「あいつめ…」


「中身、ちゃんとあるかな?」


「いつもそんなに入れてないっすよ。子供達の写真ばっか。」


「ふふっ。」


 あたしが笑うと、神君は前髪をかきあげて。


「…高原さんには?」


 あたしの目を見た。


「…え?」


「最上階に行ったら、会えると思うけど。」


「……」


 神君の言葉に…つい、黙ってしまった。

 最上階に行ったら…会える…


「う…ううん。なっちゃんには…別に…」


「……」


 少し…寂しい顔をしちゃったかも。

 なんだかなあ…

 神君、鋭いよ。



「でも…ちょっと、ウロウロしちゃおうかなって。」


 あたしが笑顔で言うと。


「迷子になりますよ。」


 神君も少し笑ってくれた。

 でも…


「そうだね。広いね。」


「……」


「すごい…ここを…創ったって…すごいね…」


 あたしが少し感極まってしまうと、神君は小さく笑って。


「俺…高原さんの期待に応えたいです。」


 強い目をして…言ってくれた。


「ずっと、期待してくれてたのに…知花と別れてフヌケになって、裏切りましたから。」


「…そうなんだ。」


「だから、今度こそ…高原さんの信頼も…知花の気持ちも…取り戻します。」


 神君…いい人間だ…。

 あたしの…義理の息子…って、何だか…まだ全然あたしには違和感だけど…

 そうなって欲しい。



「…頑張ってね。」


「はい。」


「あたしも、期待してます…千里さん。」


 いつまでも、21歳でいちゃダメだ。

 あたし…大人にならなきゃ。



「…あなたを、お義母さんと呼べるよう、頑張ります。」


 そう言って、神君…千里さんは、手を挙げて歩いて行った。

 …あたしも、頑張るよ。

 知花の母親…ノン君とサクちゃんのおばあちゃん…



「…さ…」


 早く戻りなさいよ。

 お義母さんの声が聞こえた気がしたけど。


「ちょっとだけ…探検…」


 あたしは、非常階段を歩き始めた。

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