第46話 「お待ちしていました。」

 〇高原夏希


「お待ちしていました。」


 …どういうわけか…

 呼び出された。

 …桐生院家に。



 噂には聞いていたが、予想以上の大屋敷だ。

 いつだったか…圭司が言っていた。

 千里が桐生院の庭が好きで、知花が一緒じゃなくても通って来ていたらしい…と。

 あいつに、こういった庭園や日本家屋の良さが分かるのは不思議な気もするが、見た目で言うと俺もそう思われる方だ。


 確かに…これは落ち着く。

 手入れの行き届いた芝生。

 並ぶ植樹の美しさ。

 そして、少し高台にそびえ立つ…屋敷。



『どうしても…来ていただきたいのです。』


 桐生院貴司から、そう電話がかかったのは…一昨日だった。

 さくらには外出させるから、うちに来てほしい…と。


 話しなら電話で聞くと言ったが、あいつは譲らなかった。

 意味が分からない。

 なぜ…俺を自宅に呼ぶ?



「どうぞ。」


 目の前に出されたお茶は、これまた…上品な香りのする物だった。

 桐生院貴司と、その母親が…俺の前に座った。



「…で?何の用でしょう。」


 できれば…さくらには会いたくない。

 さくらの幸せを願う反面…まだ断ち切れずにいる気持ちが、疼く。

 事務所で知花を見かけると…愛しさで優しい気持ちになれるが…

 知花へのそれと、さくらへの気持ちは…別だ。



「高原さん。」


 突然、母親が三つ指を立てて。


「さくらが…お世話になりました。」


 俺に…深々と頭を下げた。


「…やめて下さい。」


「いいえ。あの子が…ずっと寝た切りだったと聞いて…あなたの愛の深さに心打たれました。」


「……」


「長い間…ずっとさくらに寄り添って下さって…なのに…こんな形で連れ戻してしまって…」


「……」


 そんな事を言われても…な。

 それが、正直な気持ちだった。

 そんな事を言われても、さくらは俺の元には戻って来ないし。

 俺も、今更…さくらを返せなんて…言えない。


 どうして、放っておいてくれないんだ。



「高原さん。」


 今度は…桐生院貴司が、同じように頭を下げて。


「どうか…これからも、私達とのお付き合い、宜しくお願い致します。」


「…………は?」


 今、こいつ…なんて言った?


「さくらの愛した人です。そして…知花の実の父親であるあなたと…」


「……」


「私は、もっと親しくなりたい。」


「……何言ってんだ。」


 つい、口調がきつくなった。

 こいつ、頭おかしいんじゃないのか?

 普通…俺なんかと関わりたくないだろ?



「おかしいだろ。」


「おかしいですか?」


「俺は…」


「……」


 無関係だ。

 そう…言いたいのに…


 どうしても…知花とは、事務所で会う。

 そして、以前とは違う…所属アーティストとしてではなく、自分の娘として大事に想っている俺がいる。

 それは否定しない。


 だが…

 さくらとは…もう関係ない。

 無関係だ。


 そうだ。

 帰ろう。



「俺は、この家とは無関…」


 立ち上がって帰ろうとすると。


「じーちゃ。」


「おおーばーちゃ。」


「……」


「おや、どうやって出てきたんだい?」


「柵を外したのか?」


 二人は後ろを向いて、そんな事を言う。


「お客様ですよ。こんにちは、しなさい。」


 桐生院貴司の母親の後ろから顔を出した、その…小さな…二人は。


「ちあ!!」


「ちゃー!!」


 元気良く、そう言って…手を挙げた。


「…知花の…?」


 どちらにともなく問いかけると。


「…あなたの、孫です。」


「……」


 母親に、そう言われた。



 二人とも…知花にも…千里にも似ている。


「高原、夏希さん、だよ。」


 桐生院貴司が、二人にゆっくりそう言うと。


「なちゅ。」


 空色の服を着た方が、そう言って俺を指差した。


「ははっ。早速あだ名を付けられましたね。」


「……」


 立ち上がりかけていた腰が…下りた。


「なちゅ、かあしゃん、みちゃいー。」


 薄いピンク色の服を着た方が、そう言いながら…俺の膝に来た。


「まあ、珍しい。最近は人見知りが酷かったのに…」


「さくらもなかなか懐いてもらえなかったのにな。」


「……」


 膝に来た子は…俺の髪の毛に触って。


「なちゅ、しゃくのと、ちあうー。」


 自分の髪の毛と合わせた。


「咲華のお母さんの色と、似てるな。」


「…しゃく?」


 目を見て問いかけると。


「きうーいん、しゃく、でしゅ‼︎」


 目をキラキラさせて…元気良く答えてくれた。


「本当は、『さくか』です。咲く華と書いて、さくか。言いにくい名前を付けてしまって、申し訳なかったわ。」


 母親は…さっきとは全く違う…優しい目元になっている。


 俺を『なちゅ』と名付けたもう一人は…なぜか、俺の背中にへばりついている。


「…君の名前は?」


 左手でその子の身体を押さえて、首だけ振り返って問いかけると。


「かろん!!」


 膝に座っている方が、答えた。


 …ふっ…


「華の音と書いて、かのんです。」


「…華の音…」



 俺は…

 瞳を育てなかった。

 小さな頃の検診について行ったが…それも、ほんの数回。

 知花については、存在さえ知らなかった。


 だから…なのか?

 この子達と…もっと一緒に居たい。と…

 瞬時に、そう思ってしまった。



「…お昼の準備をしましょうかね。」


 ふいに、母親が立ち上がった。


「…手伝いますよ。」


 桐生院貴司も、母親に続いた。


「おい…」


 俺が声をかけると、桐生院貴司は。


「すいませんが、しばらく遊んでやっていて下さい。」


 穏やかな声でそう言って…歩いて行った。


「……」


 双子は…いつの間にか俺の膝に並んで座って。

 二人で、手の平を見せ合いながら何か喋っている。

 …俺もつられたように手の平を見せると。


「なちゅの、おっき!!」


「なちゅの、おっき!!」


 二人は同時にそう言って、俺の手の平に両手を乗せた。


「お…おいおい、転ぶぞ。」


 前のめりになった二人の身体を抱きしめると。


「きゃー!!」


「きゃー!!」


 今度は、二人が同時に俺の胸に押し乗って来た。


「うわっ。」


 その反動で後ろに寝転ぶと。


「きゃはははは!!」


「きゃはははは!!」


「……」


 今まで…俺の生活の中になかった声。

 子供の…声。


 もし…俺が子供が欲しいと言っていたら…

 周子は、瞳を産んで、俺と三人で幸せになれていたかもしれない。

 だが、俺はそう言わなかった。

 だから…周子は一人で瞳を産んだし…

 さくらに、俺の子供を産むなんて許さないと言った。


 それで…さくらは…一人で知花を産んで…

 死産と言われ、その愛しい存在を知る事なく…21年も…知る事なく…


 …誰を恨んでも、何を悔やんでも、時間は戻らない。

 元はと言えば、全てが俺だ。


 俺が…



「…なちゅ?」


 二人を胸に乗せたまま、仰向けになって涙を堪えていると。


「…なちゅ、よちよち。」


 二人が…胸から降りて、俺の頭を撫で始めた。


「…よしよし、してくれるのか。」


「うん。なちゅ、よちよち。」


「…ふっ…」



 光史やまこが産まれた時、可愛くて仕方なくて、家に通った。

 だが、こんな風な…穏やかなスキンシップは…なかったな…

 抱えて頬ずりして、嫌がらせや!!とマノンにどつかれたりして。

 膝に抱えて、一緒に歌ったりはしたが…

 俺は『守る立場』でいたし…

 …まさか、初対面の孫たちに…撫でられ、癒され…

 …守られるとは…な。


 目の上に腕を置いて、泣くな。と、自分で奮い立とうとした。


 だが…

 人の気持ちが分かるのか?

 双子は…


「よちよち、なちゅ、よちよち。」


 そう…繰り返して、頭を撫でたり…

 頬に触れたりする。


「うん…うー…んっ…」


 二人は、俺の腕を持ってどかせると。


「なちゅ、わらう?」


 俺の目の前に、どアップで迫って言った。


「…ああ。笑うぞ。」


 そう言って、咲華を抱えて上に腕を伸ばす。


「きゃー!!」


 咲華は大喜び。


「あー!!」


 隣で、華音もクルクル回りながら、咲華を見て興奮している。


 ははっ…

 双子って不思議なもんだな。


「じゃ、次は華音だ。」


 咲華を下ろして、華音にも同じようにすると。


「きゃー!!」


 華音も大喜び。

 そして、二人は…


「なちゅ、しゅきー。」


「しゃくもー、なちゅ、しゅき。」


 そう言って…

 俺の胸に、しっかりと抱きついてくれた。


 …なんなんだ。

 この…狂おしいほどに感じる…愛しさ。



「しゃく、なちゅとまんましゅる。」


「かろんもー。」


「……」


 おい。

 桐生院。

 まさか、最初から…この双子を使って俺を陥れようとしたんじゃないんだろうな。



「あらあら、すっかり懐いちゃって…すいません高原さん。」


 様子を見に来た母親が、そう言って笑った。


「しゃくね、なちゅと、まんましゆの。」


「かろんもー。」


「まあ、そう。いいわねえ。ノン君もサクちゃんも、なつさんと手を洗って来ましょうね。」


 俺が座ったまま戸惑っていると。


「さ、お昼にしましょう。子供達と、手を洗って来て下さい。」


 母親が言った。


「なちゅー、いこー。」


「いこー、なちゅー。」


「…ああ。」



 まんまと…嵌められた気がする。


 双子は、いとも簡単に…

 俺の気持ちを、鷲掴みした。


 …ずるいぞ。


 桐生院。




 〇朝霧光史


「光史遅い。ジャンケンするぞ。」


 スケジュールの時間より早めに来たと思ったのに。

 今日は、なぜか俺が一番遅かったようで。

 プライベートルームには、すでに全員集合。

 陸が、手をグーにしたまま言った。


「え?あ、ああ。」


「ジャンケン…」


 パー


「……」


「光史、よわっ。」


 聖子が突っ込んだ。

 こんな事ってあるか?

 俺以外、全員チョキって。

 企まれた感は否めないが、敗者の俺は昼飯の買い出し係になった。

 ま、知花や聖子になるよりは良かった。

 これもトレーニングだと思えば、さほど苦にはならないし。



 今日は全員がバラバラなスケジュール。

 陸とセンは雑誌の取材の後でスタジオ。

 聖子と俺は録音があって、まこは新しい機材の確認で特別なスタジオ入り。

 知花はボイトレ。


 買い出しメモを渡された時点で、最初からみんなチョキを出す予定だったな?と目が細くなった。

 どうして俺がパーを出すって分かったんだろう。


 それぞれ部屋を出て行って、俺も少し早めに買い出しに行く事にした。

 なんなら俺は店で食うって手もある。なんて考えながら、ロビーまで降りて…ふと、二階のエレベーターホールを見上げると…



「あ…」


 俺は、その姿を見て…後を追った。

 追わないわけがない。


 …神さんだ。

 神さんが、事務所に…



 神さんの乗ったエレベーターが八階で停まったのを確認して、俺もエレベーターに乗り込む。

 スタジオって事は…いよいよ始動するのか?

 ソロかバンドか…


 何にせよ、神さんが歌う事は俺にとっても喜びだった。

 八階で降りて、その姿を探す…前に、スタジオの使用ボードを見た。

 個人練でも名前を書かれるから、神さんの名前か…もしくは新しいバンド名…

 見ていくと、Dスタに見慣れないバンド名。


 だが、俺には見覚えがあった。


 F's…


 親父が…そう書いてある封筒を持ち歩いてる。

 …まさか、親父が組むバンドのボーカルが…神さん?



 Dスタの前に行って、さりげなく通り過ぎる。

 少し開いたドアの隙間から…


「京介、初めての時は失敗する奴もいて不思議じゃない。」


「ナオトさん…そういう例え、やめて下さいよ…」


「あはは。嬉しいなー。俺よりガチガチなのがいるー。」


「圭司も最初入った時は酷かったな。」


「えっ、俺イケてなかったですか?」


「早漏って感じやったな。」


「…年取ると下ネタでしか例えなくなるのかな…」


「臼井、おまえも変わらへんやんか。」


 …親父とナオトさんと…臼井さんと…

 東さんに浅香さん。


 …間違いない。

 神さんは、ここのフロントマンだ。


 …また、あの人の歌に出会える。

 そう思うと、喜びで胸がいっぱいになった。

 しかし…それと同時に、言い知れぬ黒い想いも…湧いた。


 俺は今、神さんが歌うって事は…神さんは本気で知花を取り戻す気だと感じた。

 …知花は…神さんに戻るか?


 俺は…誰に妬いてる?


 知花?

 それとも…神さんに…か?


 買い出しから帰ると、ルームには知花一人だった。


「あ、おかえり。」


 知花はそう言って、俺の手から荷物を取ろうとした。


「いいよ、重いから。」


「ううん。少しだけ。」


「…サンキュ。」


 比較的軽い袋を二つ渡して、俺はビールやジュースの入った袋を冷蔵庫の前に運んだ。

 …この様子だと…知花はまだ知らないな。


「…知花。」


「ん?」


「神さん、来てるぜ。」


 知花に背を向けたまま、そう言うと。


「…え…」


 知花は、少し…戸惑ったような声を出した。

 俺は振り返って知花の目を見て。


「Dスタで見た。」


 そう言った。


「……」


 知花は俺の目を見たまま…言葉を出せずにいる。



「…陸たち、まだ終わんねえのかな。」


 時計に目を移して、飲み物を冷蔵庫に詰める。

 それでも、知花は…まだ無言。


「聖子は?」


「あ…みんなスタジオ…聖子も録りに入る時間だから…」


 …動揺してるな。

 それが…なぜか俺をイライラさせた。

 …なぜだ?



「あー、眠い。」


 ソファーに寝転んで。


「声の調子どうだ?」


 知花に問いかける。


「うん…まあ、いいかな…」


 知花は相変わらず、動揺を隠せない。

 俺は起き上って知花を見ると。


「…そんなに気になるんなら、会って来いよ。」


 少し、早口で言った。


「え?」


「神さん。気になるんだろ?」


「……」


 なぜ。

 なぜ、そこで「うん」って言わないんだ。

 好きなら…飛び込めばいいじゃないか。

 俺みたいに、気持ちを表に出せないわけじゃない。

 いくらだって…好きって言えば応えてもらえるはずなのに。

 俺が少しイラつき始めたところで。


「光史。」


 知花が、顔を上げた。


「あ?」


「好きな人、できたの?」


 パイプ椅子に座って譜面を開いた知花から、さっきまでの動揺は…見えない。


「…何、急に。」


「ううん、別に…なんとなく。」


「……」


 今度は…俺が黙る番だった。

 知花、何か気付いてるのか…?

 いや、まさか…な。



「知花。」


「ん?」


「一緒に暮らさないか?」


「……え?」


 気が付いたら…口にしていた。

 知花と一緒にいたら…俺は満たされる。

 あの人に近付けるという錯覚。

 あの人の大事にしているものに、誰よりも近い存在でいるという優越感。



「一緒に暮らそう。ノンくんたちも一緒に。」


「…どうしたの?何かあったの?」


「別に…ただ、おまえとなら…うまくやってけそうな気がしてさ。」


「……」


 いきなりOKしてもらえるとは思ってない。

 知花は…今も神さんを好きで。

 神さんもきっと…知花を好きだ。

 二人を応援したい反面…このじれったい展開に、俺はどうしても…

 どうしても…妬いてしまう。



「…考えとく。」


 知花が小さな声でそう言って。


「…サンキュ。」


 俺は、スティックを持って立ち上がる。


「そろそろ出番かな。」


「買い出し、ありがと。」


「…なんで俺がパー出すって分かった?」


 スティックを持ったまま、ストレッチをしながら問いかけると。

 知花は『あちゃー』みたいな顔をして。


「光史、いつもスティック握ってるからなのかな…最初はグーって言われたら、次は絶対パー出しちゃってるな…って。」


 申し訳なさそうに、そう言った。


「…次は絶対パー出さない。」


 俺は、そう言ったが…

 それ以降、俺が何を出しても。

 知花に勝つ事はなかった。


 …勘がいいのか、頭がいいのか。


 ともあれ…この時の俺にとって。

 知花は…

 癒しであり、俺を満たす存在であり…

 俺を狂わせる存在でもあった…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る