第44話 一ヶ月間の修行を終えて帰国。

 〇神 千里


 一ヶ月間の修行を終えて帰国。

 俺はその足で、じーさんの家に行った。

 本当は、知花を取り戻してからと思っていたが。

 高原さんのマンションに、これ以上世話になるわけにいかない。


 それに…

 俺は、知花を取り戻す事を信じているから、新しくマンションを買ったり、借りたりする気も…ない。



「久しぶり。」


 篠田を見下ろして言うと。


「ぼ…坊ちゃん…」


 篠田は泣きそうな顔になって。


「し…心配しておりました…」


 言葉に詰まりながらも、ドアを開けてくれた。


「じーさん居る?」


「いらっしゃいます。」


「部屋?」


「はい。」


 年寄りに刺激は与えたくないと思って、じーさんの部屋のドアをノックするでもなく静かに開けると…


「……」


 じーさんが…


「………」


 女とイチャついてた。


 コンコンコン


 開けたままのドアを小さく叩くと。


「きゃあ!!」


 女は、はだけてた服を直して。


「ま…ままた…」


 走って、部屋を出て行った。


「…邪魔しおって…」


「枯れねーじじいだな。」


 じーさんは上質そうな革の大きな椅子からゆっくり立ち上がって。


「何の用だ。」


 俺の横を通り過ぎた。


「…再デビューする。」


 じーさんの後をゆっくり歩きながら答えると。


「…私には関係のない話だな。」


 じーさんは、リビングのソファーにドサリと座った。


 すかさず、篠田がお茶を出す。


「……」


 俺はポケットから、無言で写真を一枚取り出した。

 じーさんは興味なさそうに外を向いていたが、俺がしつこくそれを目の前に差し出すと。


「………」


 目を細めて、それを見た。


 それは…華音と咲華の写真。

 破顔で笑っている…何とも愛しい一枚だ。

 誰が見ても、笑顔になれる。



 案の定、じーさんも目元が柔らかくなった。

 そこで、俺は続けてもう一枚。

 俺が二人を抱きしめて写っている物を出した。


「…おまえの子か?」


 じーさんが、顔を上げて俺を見る。


「こっちが華音で、こっちが咲華だ。」


「知花さんが?」


「ああ。」


「……どういう事だ。」


「…別れた後に妊娠が分かって、アメリカで産んだらしい。」


「……」


 じーさんは一瞬険しい表情をしたが…

 写真を見ると、また目元が緩んだ。


「…よりを戻したのか。」


「まだ。」


「まだ?」


「桐生院家の人達が…子供の事を教えてくれて、会わせてくれた。」


「……まったく…貴司君は何を…」


 俺はじーさんの隣に座って。


「知花は…俺が知ってる事、知らねーんだ。」


 そう言いながら、もう一枚…俺が二人の写真を撮っているところを、麗に撮られた一枚を見せた。


「だけど俺は、知花を取り戻す。この子達と…知花と一緒に笑いたいんだ。」


「……」


「…色々迷惑かけて悪かった。でも、キッカケはともかく…俺は知花に惚れてるし、やり直したいと思ってる。」


 俺がそう言うと、じーさんは三枚の写真をテーブルに置いて。


「…次は。」


 手を出した。


「あ?」


「他に写真はないのか。」


「…今度アルバム持って来る。」


「今度?今すぐ持って来い。」


「……」


「事務所の会長さんの所に住まわせてもらってるそうじゃないか。他人に迷惑をかけるのもいい加減にしろ。」


「…サンキュ、じーさん。」


 俺は勢いよく立ち上がると。


「篠田。」


 俺のお茶を用意してる篠田に。


「また、しばらく世話になる。」


 そう言うと。


「…お部屋に風を入れておきます。」


 篠田は嬉しそうに、俺の腕をポンポンと叩いた。



 〇高原夏希


「三人で食事って、久しぶりね。」


 目の前の瞳は、幸せそうな笑顔。


 圭司と結婚して…二人は俺のマンションを出た。

 千里はアメリカに修行に行っていたから、荷物だけは残っていたが…

 先日、『祖父の家に戻れることになりました』と報告して来た。

 …周りは…上手く回り始めているんだな…



「今日は、話しがあるんだ。」


 圭司と瞳と俺。

 和食の店の座敷で三人。

 ご馳走を食べた後で、切り出した。


「…何?」


 瞳は圭司に注がれたビールを一口飲んで、俺を見た。


「…まず…謝るべき事なのかどうなのか…分からないが。」


「……」


「瞳。」


「…なあに?」


「…グレイスの事を、妹と認めるのは…今も嫌か?」


 俺の質問に、瞳は少しだけ眉間にしわを寄せた。


「…あの子が、何?」


「自分に妹がいるという事を、認めるのは嫌なのかと聞いてる。」


「……」


 圭司は俺と瞳を見比べて。

 ゆっくりと、ビールを飲んだ。


「…昔ほど嫌だとは思ってないわ。あの子はあの子で…可哀想だって思うし…」


「…そうか。」


「何なの?グレイスを引き取るとか、そういう話?」


「いや…」


 俺は姿勢を正して。


「隠し子だったわけじゃないが…俺に…瞳以外にも、娘がいた。」


 瞳の目を見ながらそう言うと。


「……え?」


 瞳と圭司が同時に口を開けた。


「え?え?ど…どういう事?パパ…ずっと好きだった人がいるって…」


「…彼女が、21年前に出産していた。」


「21年前…」


 瞳と圭司は目を丸くして顔を見合わせて。


「…パパ…ずっと…知らなかったの?」


 ポカンとしたまま、瞳がそう言った。


「…俺だけじゃない。彼女も知らなかった。」


「は?い…意味分かんないんだけど…」


「色んな理由で、死産と聞かされて、彼女は日本を発った。」


「……」


 もはや、瞳から言葉は出なかった。

 これだけの言葉で片付けられる話じゃない。

 俺は今も…さくらに対して死産だったと告げた桐生院貴司に頭に来ているが…

 …もとはと言えば、全て俺のせいだ。

 腹を立てても、恨む資格はない。



「彼女は17年前事故に遭って、寝たきりの状態で…俺はずっと一緒に暮らしてたんだ。」


「……もう、驚き過ぎて…酔いが醒めたわ。」


 瞳はそう言ってグラスを置くと。

 テーブルに肘をついて指を組んだ。


「あたしと暮らさなかったのは、彼女と暮らしてたから?」


「それもあるが、寝たきりの彼女を誰にも見せたくなかったっていうのが大きい。」


「……」


「ナオト達にも…ずっと隠して来た。ようやく…一昨日話した。」


 あれから…ナオト達は、やたらと会長室に顔を出す。

 新しいバンドの準備をしろと言うのに。

 …俺が寂しいと気遣って、やって来る。



「…彼女は、娘と再会して…その家に戻ったよ。」


「……」


 俺がそう言った途端…

 目の前で、少し強気な目になっていた瞳が…


「…瞳?」


 ポロポロと、涙をこぼし始めた。



「…悪かった。ずっと…秘密にしたまま…」


「…違う…」


「え?」


「パパ…ずっと知らなかったの?その…娘の事…」


「……」


「ずっと愛してた人との娘なんて…絶対…パパ、愛しくてたまんないよね?」


「瞳…」


「だって、パパ…あたしの事、すごく大事にしてくれる。だったら、ずっと一途に愛して来た人との娘なら、どんなに愛情注げたか…あたしより、ずっとずっと…」


「瞳。」


 俺は瞳の手を取って。


「おまえ…」


 言いたい事は山ほどあるのに…言葉に詰まった。


 瞳は…なんて…

 なんて、純粋なんだ…。


 瞳がグレイスを妹と認めないと知ったあの日から、俺は…瞳は独占欲の強い娘だと…勝手に決め付けていたように思う。


 だが…

 俺の想いを知って泣くなんて…



「バカだね、瞳。」


 ふいに、圭司が瞳の頭を撫でた。


「高原さんが、瞳よりずっと、って…あるわけないじゃん。」


「…圭司…」


「たぶんさ、そういう愛って、増えるんだよ。その子の事が分かって、高原さんがその子に愛情注いだとしたら、その分瞳にも同じぐらいの愛情が増えちゃうんだよ。」


「……」


 瞳は鼻水をすすって圭司を見て。


「…あたしは、今まで一人占めして来たから…」


 かすれる声で、そう言った。


「これからも、それでいいんじゃない?瞳、気付いてないの?瞳って、結構なファザコンなんだよ?」


「もうっ…誰がファザコンよ…」


「だって本当じゃん?ですよね、高原さん。」


 圭司が、俺を見て笑う。


 …結婚を許して良かった。

 心から、そう思った。



「…瞳の、腹違いの妹は…」


 圭司にハンカチを渡されて、涙を拭っている瞳に。


「…桐生院知花だ。」


 そう言うと。

 二人はさっきより、さらに口を開けて驚いて。


「知花ちゃん!?」


 顔を見合わせて、同時にそう言ったかと思うと…


「あの子が!?あの子、あたしの妹なの!?」


 瞳はテーブルに前のめりになって、俺に顔を近付けた。


「あ…ああ…」


「あたし…」


「……」


「あたし、あの子大好き!!」


「…えっ?」


 その言葉に、今度は俺が驚いた。


「あたしが姉って知ってる?言った?彼女はこの事実を知ってるの?」


 まくしたてるような瞳の早口に、俺は少し戸惑いながら頷いた。


「ランチに誘っていい!?新居にも誘っていい!?買い物にも誘っていい!?」


 瞳は興奮冷めやらぬ状態で。

 俺と圭司の顔を交互に見ながら、そう叫んだ。


「…いつから、知花の事をそんなに?」


 俺がビールを一口飲んで問いかけると。


「…最初は、歌が上手過ぎて怖い存在だったけど…時々事務所で会うあの子は、何だかふわっとしてて、雰囲気が柔らかくて…」


「確かに。」


 圭司が隣で笑う。


「式の後のガーデンパーティーでね、少し話したんだけど…あたしが料理が下手って圭司が暴露したら、知花ちゃん、あたしの事、何でも出来る人だって思ってたから、すごく親しみやすくなったって笑ってくれて。」


 …二人の…

 俺の娘たちの笑顔が…見えた気がした。


「あたしこそ、あの子の事、何でも出来る凄い子って思ってたんだけど…」


 瞳が、クスクス笑う。


「天然だよね。」


 圭司がそう言うと。


「圭司が言ってもいいぐらいの、天然よね。」


 二人は、顔を見合わせて…楽しそうに笑った。


「隣に座ってた時、あたしのドレスの裾を、レースのハンカチだと思って手を拭いたりね…」


「あれに気付いた時の知花ちゃん、最高だったよね。」


「真っ赤になって、ごめんなさい!!って謝りながら、どこかに消えたと思ったら、クリーニング店のしみ抜きのチケット持って来たのよね…手拭いただけなのに。笑っちゃった。」


 …そう言えば、すぐ知花は真っ赤になるんだよな…

 ロクフェスでは、あんな大観衆の前で堂々と歌ってのけたのに。



「…周子と、籍を入れる。」


 俺がそう言うと、瞳は一瞬息を飲んで。


「…パパ…あたしがお願いしたからって…」


 笑顔を消した。


「違うんだ。」


「……」


「もう、断ち切らなきゃいけない。それに、周子には…俺と別れた後の記憶がないようだし…」


「パパ…」


「これで、全て上手くいけば…と思う。」


 本当に。

 全て…上手くいけば…


 俺が、さくらなしでも…生きて行けると…

 もっと、自分で納得できれば…


 だが、今はまだ…



 毎日、生きている気がしない。

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