第43話 「はじめまして。さくらです。」

 〇森崎さくら


「はじめまして。さくらです。」


 朝食の前。

 あたしは、初めて会う『誓』くんと『麗』ちゃんに、そう挨拶をした。

 寝耳に水だったらしい二人は、ポカンとした。


 そうだよね。

 夕べは二人とも、試験前だからって自分の部屋で勉強してたらしいし。

 ここの家広いから、玄関や居間で騒いでても、部屋によっては聞こえないもんね。

 あたしが挨拶したいって言ったら、二人が興奮して眠れなくなったらいけないから明日にしなさいってお義母さんに言われてしまった。



「…さくらさん…って…もしかして…」


 誓くんが、知花を振り返った。


「お母さん。」


 知花がそう答えると。


「えっ!!なんで!?いつ!?」


 誓くんは、表情豊かだなあ。

 その隣で、氷みたいに冷ややかな、だけど超可愛い麗ちゃんは…


「…はじめまして。麗です。」


 小さい声でそう言うと、さっさと座って食事を始めた。


 うーん…

 手強そうっ。

 …仕方ないよね。



「あっ!!」


 あたしの大声に、桐生院家の全員が肩を揺らして。


「……」


「……」


 知花の子供達、可愛い可愛い双子ちゃんは大きく目を開いて…


「う…」


「あっ…ごめん…ごめんね、大声出しちゃって。泣かないで~。」


 両手を合わせて謝る。


「何ですか急に…朝から心臓に悪い…」


 お義母さんは胸を押さえて溜息をついた。


「お義母さんのお味噌汁だなあって。美味しくって。つい、大声出しちゃった。」


 あたしがそう言うと、お義母さんは目をパチパチとさせた後。


「まったく…21年経っても、ちっとも変わってないね、さくらは。」


 照れた風にそう言った。


 そんなお義母さんを、誓くんと麗ちゃんが物珍しそうに眺める。


「…何ですか。早く学校に行く支度をなさい。」


「…はーい。」


 あたしを入れて、八人…


 それだけで…賑やかな桐生院家の朝。



 …なっちゃん…


 今日から…一人で…



 …大丈夫かな…。



 〇高原夏希


「……」


 どうやらあのまま眠ってしまっていたらしい…


 目を開けると、カーテンの隙間から朝日が射していて。

 軽く八時は過ぎている感じだった。


 ゆっくりと起き上がる。


 …無意識にでも、さくらがいない事を認識しているのか…

 いつものように、早朝に目が覚める事はなかった。

 朝風呂に入る習慣も、もう…どうでもいい。



「…しっかりしろ…」


 パンパンと頬を叩く。

 俺には…守る物がたくさんあるじゃないか。

 俺はビートランドの主だ。

 守る物だらけだ。


 それに…

 知花に、実の父親がこんな情けない男だと…思われたくない。

 そうだ。

 まだまだ頑張れるじゃないか。



 シャワーをして朝食を取ると、ナオトに電話をした。

 案の定、今まで何やってたんだと叱られた。

 …ちゃんと説明しなきゃな…



「よお。」


 会長室に入ると、久しぶりにDeep Red全員が揃っていた。

 今朝の電話で、ナオトが集めてくれていたらしい。


「何がよお、や。」


 まず、マノンに体当たりされて。


「うおっ…やめろ。今の俺は風でも飛ばされる。」


 笑いながらそう言うと。


「…そう言えば、痩せたな。何があったんだ?」


 ナオトがソファーをポンポンとしながら言った。


「俺は二ヶ月ぶりに会うからか…そう言えば痩せたって言うより、かなりやつれた感じに見えるぜ?」


 ゼブラがそう言うと。


「俺も、入って来た時は別人かと思った。」


 ミツグも…首をすくめて言った。



「…今まで、みんなに黙っていた事がある。」


 俺はナオトの隣に座ると。


「…色々複雑な話なんだが…」


 指を組んで、話し始めた。

 みんなは俺の深刻な様子に、少し前のめりになった。


「…実は、さくらは…廉が死んだ時の事件に巻き込まれて、寝たきりの状態になってたんだ。」


「えっ!?」


 四人から同時に、驚きの声が上がった。


「ま…巻き込まれたって…」


「俺も細かい情報は知らない。ただ…俺がここの設立でバタバタしながらアメリカに戻った時、さくらは病院にいて…晋と全く同じような状態だった。」


 俺がそう言うと、ナオトは眉間にしわを寄せて。


「…晋と同じって…一時的な記憶障害か?」


 低い声で言った。


「…うつろな目はどこを見てるのか分からなくて…口も開いたまま…」


「……」


「晋はあれから回復したが、さくらは…寝たきりのまま、言葉も発せない状態が長く続いた。」


「…まさか、ナッキー…さくらちゃん、連れて帰ってたんか?」


「…ああ。」


「…なんで俺らに言わないんだよ。」


「…誰にも…言いたくなかった。明るくて元気なさくらが…あんな状態になってるなんて…」


「……」


 俺は立ち上がって、カップを並べると全員分のコーヒーを入れた。

 その間、誰一人…言葉を発さなかった。

 …じれったいだろうな。

 俺がこの中の誰かだったら…腹が立って仕方ないと思う。



 二階堂翔に聞いた事実。

 さくらが、あの事件の…

 廉を撃ったテロリスト達全員を射殺した事は…誰にも話せない。


 …今も信じられない。

 だが…

 さくらを逸材と言った二階堂翔の言葉。

 それは、分かる気がした。

 さくらは…普通だとでも思ったのかもしれないが。

 17年分の情報を、十日間で知り尽くすなんて…有り得ない。


 それに、埠頭でアクセルを踏み込んだ俺に…さくらは抱き付いて、片手でサイドブレーキを引いた。

 そして…抱き付いた手で…アクセルを踏んだ俺の膝の関節をどうにかしたのだと思う。


 急に足の力が抜けて…それはまるで、二階堂翔が来訪した時に俺にしたような…



 …出来れば、何も思い出させたくない。

 今までサカエさんが、二階堂翔がそう思っていたのと同じで。

 俺も…何も出来ないとしても…

 さくらが何も思い出さず、ただ幸せに暮らしてくれたら…と…



「一度…さくらがいなくなっただろ。」


 コーヒーを配りながら、誰にともなく言うと。


「ナッキーが廃人になった時な。」


 ゼブラが嫌味っぽく言った。


「あの時…さくらは…」


「……」


 ゴクン。


 誰かが一口コーヒーを飲んだが、その音が大きくて、つい…


「あははははは。」


 声を上げて笑ってしまった。


「誰やねん。」


「おまえだろ。」


「俺、まだ飲んでねーし。」


「もったいぶらずに、早く話せよ。」


 ふっ。

 まったく…

 こいつら…



「…あの時、さくらは…日本に帰って…」


 俺は、みんなの顔を見渡して言った。


「…子供を産んでた。」


「……」


「……」


「……」


「……」


「それが…知花だ。」


「……」


「……」


「……」


「……」


「…リアクションなしか?」


 コーヒーを飲みながら言うと。


「…驚きすぎて言葉も出ない…」


 ナオトが背もたれに身体を預けて言った。


「…知花を産んだものの…さくらは桐生院家を追い出された。」


 …嫉妬で追い出すなんて…

 全く…信じられない。

 …だが、俺も…さくらと一緒に死のうとした。


 …変わらないな…



「死産だと伝えられて…さくらも、知花の存在を知らないまま…アメリカに。」


「まあ…色んな理由があったんやろな。名家やし…」


「昨日、その名家から迎えが来た。」


「え……」


「さくらは、桐生院で生きて行く。」


「……」


 ナオトが、俺の肩に手を掛けた。


「俺は…周子と結婚するよ。」


 小さく笑ってそう言うと。


「…無理に吹っ切ろうとせんでええんちゃう?」


 マノンは、らしくないぐらい…真面目な声で言った。


「周子の調子がいい間に…そうしてやりたいと思う。」


「…いいのか?」


 ミツグも、心配そうに言ってくれたが…


「いいんだ。やっと俺も、みんなと同じ既婚者になるってわけだ。」


 俺がそう言って笑うと。


「バチェラーパーティーやるか?」


 ナオトが肩を組んで笑った。


「この歳でか~?」


「歳なんて関係ねーよな。俺の時、酷い事しやがって…仕返ししてやる。」


「勘弁してくれ。」


「日本でやったら、すぐ載っちまうから、アメリカ行ってやろうぜ。」


「ああ、ええな~。」


「バカか。やらない。」


 この…テンポ…久しぶりだ。

 心地いい…仲間たち。

 なのに俺は…ずっと、誰にも心の中を見せない。


 …見せる事が出来ない…



「ナッキー。」


 エレベーターの前で、ゼブラが振り返って。


「…17年も、よくも黙ってやがったな。」


 俺の肩を突いた。


「…そうだな。」


「何が『そうだな』だ。ほんっと、ムカつく奴だ。」


 ミツグも、そう言って俺の背中を叩いた。


「俺ら、何があってもおまえの味方だからな。」


 二人はそう言って俺の前に拳を突きだした。

 俺はそれを…少し感慨深い気持ちで眺めて、拳を合わせる。


「じゃ、来月から少し事務所に出て来てくれ。」


 俺がそう言うと。


「げっ。ナオトとマノンがバイト始めるから、こんな事に…」


 ゼブラがそう言って。


「バイトとは失礼なやっちゃな。本気やっちゅーの。」


 マノンがゼブラの首を絞める。


「おいおい、もう若くないんだから、すぐ落ちちまうぜ。やめとけよ。」



 …大丈夫だ。

 笑える。

 まだ…俺は…やっていける。


 こいつらが…いてくれれば。



 …大丈夫だ。

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