第42話 突然…知花が来た。

 〇森崎さくら


 突然…知花が来た。

 そして…貴司さんも。


 なっちゃんは、久しぶりに…あたしの目を見て、あたしの手を取って。

 …あたしを…貴司さんに…


「貴司さん…」


「さくら…」


 貴司さんの胸に飛び込んだ。

 そうでもしないと…

 あたし…

 帰れない。


 なっちゃんの手を…離せなかった。



 貴司さんは、ぎこちなくあたしを抱きしめて…


「…悪かった…嘘をついて…許してくれ…」


 耳元で…そう言った。


「……」


 そんな事…

 あたしなんて…

 あなたに…

 これからあなたに…


 一生、嘘をつくのに…。



 貴司さんはあたしの背中に手をあてて。


「…先に車に行こう。」


 部屋の中を見て、そう言った。


「…知花…」


 あたしが知花を気にして振り返ると。


「あの人が父親なんだろう?」


 玄関を出ながらそう言われた。


「あ…あの人には、秘密にしてるの…」


「どうして。」


「だって…」


「…もう言ったよ。」


「え…?」


「私とさくらでは、赤毛は生まれないだろう?」


「…あたしの父親…アメリカ人で…」


「もっと上手に嘘をつかないと。」


「……」


 貴司さんは車の助手席のドアを開けて、あたしを座らせると。


「さくらを手放すんだ。知花が娘である事ぐらい…知らせてあげて良かっただろ?」


 優しい声で…言ってくれたけど…あたしは、複雑で仕方なかった。


 子供は要らないって言ってたなっちゃん…

 知花が…あたしとなっちゃんの娘だって…あたし…言えなかった。


 言いたくても…言えなかった。

 だって…

 苦しむよね?

 自分が…子供要らないって言ったせいだ…って。



「…さくら。」


 呼ばれて、泣きそうになって尖りかけてた唇を引っ込めて顔を上げると。


「帰りたくないなら…今、ここで降りてもいい。」


 貴司さんは…真顔だった。


「え……」


「高原さんと…一緒に、ここに居たいなら。」


「……」


「降りてもいいんだ。」


 そう言う貴司さんの手が…震えてるのが見えた。



 …あたし、なっちゃんと…居たい。

 居たいけど…

 もう、無理だって分かった。

 あたし達は、お互いを望み過ぎて…

 あたしが元気になった今、あたしは…もっと、なっちゃんに色んな事を望んでしまうと思う。


 …もう、いいんだ…。


 あたし、これからは…

 貴司さんと、知花と…お義母さんと…

 初めて会う…『誓』くんと、『麗』ちゃん…と。

 家族になるんだ…。



「…早く、帰ろうよ…貴司さん。」


 あたしがそう言うと。

 少し髪の毛に白髪が見える貴司さんは、昔みたいな穏やかな笑顔で。


「…ありがとう…」


 助手席のドアを閉めた。



 それから…知花が玄関から出て来て。

 車の後で…貴司さんと何か話してる。



『父さん、あたし…今、高原さんに…』


『いいんだ。』


『……』


『それに、私とさくらとでは、赤毛が生まれる要素はないだろう。』


『あ…』


『たまには、あの人のこともお父さんって呼んで甘えてあげなさい。』


『父さん…』


『あの人を、好きだろう?』


『……』


『さくらも、愛した人だ。』


『ありがとう…父さん。』



 …貴司さん。

 ありがとう…。


 そして…



 ごめんなさい。



 * * *


 桐生院家に到着して…

 あたしは、変わってない庭に泣きそうになった。


 だって…

 17歳の時、この庭で…貴司さんにプロポーズされた。

 あの時のままだよ…



 …だけど。

 あれから21年も経ってて。

 あたしは…

 今度こそ、なっちゃんを失った。


 …ううん。

 でも、知花がいる。

 それに…家族が…できる。



 家に入ると、昔より痩せて…小さくなったお義母さんがいた。


「さくら…」


 お義母さんは、あたしを抱きしめて。


「元気だったのかい…?」


 何度も…涙を拭って…あたしの顔、確かめるみたいに撫でながら言った。


 …何だか、本当に…

 本当に、あたしのお母さんみたいって思えて…


「…お義母さん…会いたかった…」


 あたしも、そう言って…お義母さんを抱きしめた。



 最初は厳しかったけど、あたしの事…すごく可愛がってくれた。

 本当に、大事にしてくれた。

 あたし…もう一度…家族になれるかな…


「……」


 あたしは涙を拭って、お義母さんから離れると。


「貴司さん。」


 キッ、と。

 貴司さんを見据えた。


「え…えっ?」


「どうして、知花が死産だなんて嘘を?」


「あ…」


 貴司さんは背筋を伸ばして、しどろもどろに何か言ってたけど。

 お義母さんにも責められてたけど。

 その後ろで、知花がキョトンとしたり小さく笑ったりするのが…すごく可愛くて。


 ああ…なんだろ…

 あたしの娘…

 すごく…可愛い。


 って…


 親ばかなあたし。



 …神君って言ったっけ…

 知花の事、大好きでたまらないって…。

 あんなに…誰かに愛される子なんだ…って思うと…

 …ちゃんと…赤ちゃんの頃から育てたかったな…

 可愛かったんだろうな…


 知花の…小さな…


「かあしゃんっ。」


「……」


「かかっ。」


「……」


 ふいに…

 ふくらはぎに、何かが触れた。

 見ると…あたしの横を通り過ぎて、知花の足に抱きつく…小さな子供が二人…



「……お母さん…?」


 知花を見て言うと。


「う…うん…」


「…知花が?」


「…うん…」


「…誰の子供?」


「えーと…それは…」


 深く聞こうとすると、お義母さんに色々突っ込まれて…うやむやにされながら居間に連れて行かれた。

 だけど、あたしの興味は小さな子供達に。


 …二人とも…

 めちゃくちゃ可愛い!!


「や~ん可愛い…お名前は?」


 ソファーに座って手を差し出すと。


「……」


「……」


 二人とも、無言で知花の後に隠れてしまった。


「あ…ごめん…何だか先週ぐらいから急に人見知りが…」


「人見知り…」


 そっか。

 子供って、そういうのあるんだっけ。

 あたし…子育てしてないから、何だか知花が先輩に思えちゃうな…


「じゃあ…あれで仲良くしてもらおうかな。」


 あたしが部屋をキョロキョロと見渡すと。


「さくら、花火はダメですよ。」


「さくら、花火はやめなさい。」


 貴司さんとお義母さんが、同時に言った。


「…花火?」


 今度は、あたしと知花が同時に首を傾げる。


「昔、何かを集めて花火を…」


 お義母さんがそう言いかけた時。


「お母さん、すいません。言い忘れてました。」


 貴司さんが、また姿勢を正して。


「さくらは…事故に遭って、少し記憶を失くしているんですよ。」


 あたしをチラリと見て言った。


「えっ…事故って…」


 お義母さんは驚いたけど…あたしは、少しキョトンとしてしまった。

 自分の事なのに。


 …事故…


 あたしが遭った事故って…


 何なんだろう。



 * * *



 もっと知花とお義母さんと…可愛い双子ちゃんと一緒に居たかったけど、残念ながら眠る事にして…みんなそれぞれの部屋に。


 あたしは昔と同じ…二階の部屋で。

 急に帰ったというのに、まるで昨日までそこに居たみたいに…あたしのベッドもそこにあった。


「…貴司さん、明日も仕事だよね…」


 あたしがそう言うと、貴司さんは小さく笑って。


「いや、私も寝付けそうにないから…少し話そうか。」


 そう言って、色んな事を話してくれた。


 

 知花は小さな頃…赤毛の事でいじめられて。

 それを不憫に思ったお義母さんが、知花をインターナショナルスクールの寮生にした事。

 それが元で、知花が自分達に心を開いてくれなかった事。

 そして…16歳で結婚して、18歳で離婚した事。

 その、結婚と離婚をした相手が……


 神 千里君だった…って事。



 だけどあたしは、神君が会いに来てくれた事を話さなかった。

 彼は彼で…きっと何かと闘ってる最中なんだ。

 そう思ったから…。



 それから…貴司さんは。


「…私が追い出してしまった後の事を、聞いていいかい?」


 遠慮がちに…そう言った。


 あたしはベッドの上に正座して。


「…それが…よく思い出せないんだけど…」


 少しずつ、話し始めた。



「どうしてか…分かんないけど、アメリカにいた…」


「高原さんの所へ?」


「なっちゃ…高原さんとは…」


「…『なっちゃん』でいいよ。」


「……なっちゃんとは…いつ会ったんだろう…でも、その前に…誰か…」


「誰か?」


「うん…三人ぐらいで…暮らしてたような…」


「……」


 すると、なぜか貴司さんもベッドに正座して。


「…本当に、すまなかった。」


 あたしに、頭を下げた。


「…知花、すごく可愛い。」


「……」


「大事に育ててくれて…ありがと。貴司さん。」


 あたしの言葉に、貴司さんは少しホッとした顔になった。



 寮生にしてしまったから、溝が出来たって言ってたけど…

 貴司さんとお義母さんの愛情は、ちゃんと伝わってるんじゃないかな…って気がした。



「…私と、帰国した時の事は?覚えてるかい?」


 貴司さんの言葉を、もう一度…頭の中で繰り返す。

 貴司さんと帰国…

 …そっか。

 あたし、なっちゃんと周子さんの事で苦しくて…

 リトルベニスに行く前日…逃げ出したんだ…

 そこで、声をかけてくれたのが…貴司さん…


「…うん。覚えてる…」


「じゃあ…あの時、私が君に言った、結婚相手のフリをして欲しいっていうのも…覚えてるかい?」


「……」


 えーと…

 そう言えば…何か言ってたよね。


「…三食昼寝…ううん、寝床付き…欲しいでしょって。」


「言ったね。」


「それから…」


「……」


「……」


 あれ…?

 あれって、本当だったのかな。

 あたしと貴司さんって、一度もなかったんだっけ…



「……」


 アメリカでなっちゃんと再会した経緯や、誰と暮らしていたかを思い出せなくて、目を白黒させてると。


「もう、思い出さなくていいから。」


 貴司さんが、優しい声で言った。


「…え?」


「必要なのは、将来だ。これからの事を考えよう。」


「…貴司さん…」


「…入籍してもいいのかな?」


 あたし達は正座して向き合ったまま、そんな話をして。

 あたしがコクコクと頷くと、貴司さんは穏やかに微笑んだ。

 そして…寝ようかって事になったけど…


「…もう一つ、聞いていい?」


 あたしは、布団に入りながら問いかける。


「何だい?」


「…貴司さん、再婚…したんだよね?」


「…ああ…」


「その人は…どうして亡くなったの?」


「病気だよ。」


「そっか…」


 照明を消して、貴司さんはあたしに触れる事なく…寝息を立て始めた。


 正直…

 もし、求められたらどうしよう。って気持ちの方が強かったから…

 …安心した。



 貴司さん、あの時…

 結婚前提として一緒に暮らすのはどうかなって言った。

 だけど、あくまでも芝居だからセックスもしないって。

 …不能だから。って。



 優しく…抱きしめられた事とか…

 額にキスされた事は…何となく覚えてるんだけど…

 …あたし達、寝てない…よね。


 あの時は、それでホッとしてた。と思う。

 だけど…これからは…

 あたし、夫婦として…貴司さんと暮らしていくんだから…


 それに、再婚した人とは…出来ちゃったって事だよね?

 子供、生まれてるんだもん。



 …色々考えてると、眠れなくなった。

 隣からは規則的な寝息。


「……」


 どうしても寝付けないあたしは、ゆっくりと部屋を出た。

 ゆっくりと階段を下りて、昔と変わらない広縁から庭を眺めた。

 そして…仏間に足を運ぶ。


 ご先祖様の写真がズラリ。

 うん…見覚えある。

 今の貴司さんぐらいの男性の写真…これは、貴司さんのお父さん…

 その隣に、初めて見る…違和感なほど若い女性の写真。


 …美人。


「…はじめまして。さくらです。」


 あたしは、そこに正座して…写真に向かって頭を下げた。


「……同じ嫁として…って言ったらおかしいけど…同じ立場として…宜しくお願いします。」


 もういない人だって分かってるけど…

 あたしは写真のその人に、何か…助言でも求めていたのかもしれない。


 貴司さんは優しい。

 だけど…



 …謎の多い人だ。

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