第37話 「こんにちは。」

 〇森崎さくら


「こんにちは。」


 今日も…知花が来た。


「とってもいい天気ですよ。」


 外には、桜。


 あたし…ここ数日は…

 その桜を見ながら…桐生院家を思い出してた…



 口数の少ない貴司さんとお義母さん…

 二人は…親子なのに、どこかよそよそしくて…

 だけど…誰よりも…強い絆があるようにも思えた。


 …貴司さんと結婚したのは…どうしてだったのか。

 それを…ずっと思い出そうと頑張ってたけど…分からなくて…


 気が付いたら…あの人が隣に居て…

 …なっちゃんじゃなくて、貴司さんがいて…

 あたしの事…とても大事にしてくれてた…


 だけど貴司さんは…

 あたしを…一度も抱かなかった…はず。

 あれは…どうしてだったのかな…

 それとも…そういう事があったのに…あたしが覚えてないだけ?



 静かに…柔らかく微笑む人…

 …庭の…桜の下で…プロポーズされた…



「何かいりますか?」


 サイドボードのグラスを持って…知花が言った。

 あたしは、知花の手元を…ゆっくり眺める。


 ……知花の手に。

 知花の、右手の薬指に…



「あ…」


 あたし、知花の手に触れた。

 知花は驚いたように…あたしを見て…


「さくらさん…これ、覚えてるんですか?」


「……」


 この…指輪…

 貴司さんが…まるで…お土産を渡すみたいに…『はい』って…渡して…

 お義母さんが…怒ったんだっけ…

 あたし…大笑いしちゃったんだよ…



「父さんは、あなたに死産だったって言ったみたいだけど…」


 知花が…意を決したみたいに…話し始めた。

 あたしは…


「…し…さん…」


「…え?」


「…し、さん…」


「そう、父さんです。貴司って…」


「……」


 知花は…ゆっくり…あたしの頬に触れた。


 桐生院家は…

 すごく…穏やかで…

 あたし…あなたがお腹の中に…いた頃…

 あそこで…本当……のんびり…

 のんびり、静かに…

 大事にされて…



 だけど…あたしの中には…

 ずっと…なっちゃんがいた…


「…なっ…ちゃ…」


「さくらさん。」


 知花は…あたしの手を…握って…


「高原さんも、父さんも、素敵な人です。あたしは二人とも大好きです。」


「……」


「父さんは、この間初めて、母さんのことを話してくれました。」


「……」


「ずっと気にしてるみたいです。母さんが幸せでいるかどうか。」


「……」


「父さんは、今でも母さんを愛してて…愛してるから、突き放してしまったことを今になって後悔してるんです。」


 …愛してる…?

 貴司さん…今も…あたしを?


「おばあちゃまも…ずっと、気にしてて…」


 おばあちゃまって…お義母さん…?

 お義母さんも…あたしの事…忘れてないの…?



「うちの家族はみんな元気です。ああ、双子の妹と弟もいるんです。」


「……」


 …双子の…妹と、弟…?


「……」


「あ、父さん…再婚したんです。」


 貴司さんが…再婚…?

 …そう言えば…色々…縁談があって、困るって…

 どこで…聞いたのかな…


「でも、継母さんは病気で亡くなりました。」


 …じゃあ…今は…

 貴司さん…奥さん…いないんだ…?


 あたしの頭の中で…

 色々…

 本当に…色んな事が…



「お、知花来てたのか。」


 ふいに…なっちゃんが入って来て…


「おじゃましてます。」


 知花は、立ち上がろうとしたんだけど…

 あたしは…知花の手を…離さなかった。

 それを見たなっちゃんは…


「何だ。すごく気に入られたんだな。」


 笑いながら…知花とは…反対側に座った。



 〇高原夏希


 仕事から帰ってさくらの部屋に入ると、知花が来ていた。

 瞳の結婚式から…周子の所に通う事が増えた俺にとって。

 知花の訪問は、正直…とても助かっていた。


 …ずるいよな。



 だが、知花の訪問でさくらの表情が、前よりも豊かになった気がする。

 それに、言葉も…千里が来た後よりももっと発せるようになった。

 医者も、この調子でリハビリをしていけば、戻るかもしれないと言った。

 それはすごく嬉しい事だが、それが…俺がやってきた事の成果とは思えない事が…少し寂しい。


 …仕方ないよな。


 俺は今…

 さくらと居ながら、周子の所に通っている。

 …二人とも傷付けたくない。なんて…

 ただ強欲なだけだ。


 さくらが戻ったら…結婚したい。

 だが…できるのか?

 周子は?

 俺に…選択は出来るのか?


 いや、しなくてはいけないんだ。

 俺は…さくらと過ごすはずだった夫婦としての夢を、今からでも…手に入れたい。

 そのためには…やはり、周子に…

 いや、周子に話しても分からないかもしれない。

 まずは瞳に話そう。

 そしてそれから…



「さくら?」


 知花の手を握って離さないさくらを見て、知花と笑いながら話していたが…

 突然、さくらが泣き始めた。


「さくらさん?」


 知花も…驚いて、さくらの涙を拭おうとしたが…


「ち…な…」


「…はい?」


 さくらが、知花の名前を呼んだ。

 俺と知花は顔を見合わせる。


「知花だよ。いつも、来てくれてる。」


 俺がさくらに顔を近付けてそう言うと…

 突然…さくらがゆっくりと身体を動かし始めた。


「…え?」


 奇跡…か?

 俺の目の前で…

 さくらが体を起こして…知花に抱きついた。


「…さくら…」


 知花を抱きしめるさくらの背中を…

 俺はボンヤリと眺めた。



「知…花…」


 さくらは…知花をギュッと抱きしめる。


「さくらさん…」


 知花は…少し困った顔で、俺を見た。


「さくら、すごいじゃないか。おまえ…」


 俺が立ち上がってさくらの肩に手を掛けると。


「…娘…」


 さくらが、口を開いた。


「娘?」


 戸惑った顔で俺を見る知花。

 そして、ゆっくりと…俺を振り返るさくら。

 こうして…二人の並んだ顔を見ると…

 それは…似て見えた。


 特に…目が。



「た…か…し、さん…と…あたし…の…娘…なの……」


 さくらが、俺の目を見て…そう言った。


「…たかし…」


 その名前は…サカエさんから聞いた事があった。

 さくらが一時期、何度も…呼び続けていた名前。

 そいつと、さくらの娘?

 知花が?



「何言ってんだ。知花は…」


 いつも通ってくる知花を可愛いと思って、何か錯覚してるに違いない。

 そう思ったが…


「…おまえ、桐生院とは血のつながりがないって言ってたよな…」


 ふいに…思い出した。

 初めて、知花に赤毛を見せられた日。

 俺の車の中で…知花は言った。

 自分は、桐生院家とは血の繋がりがない、と。

 …もしかして、知花は…



「それは…」


「おまえ、桐生院と血の繋がりがないって言うなら、もしかして…」


「……」


 …あきらかに…知花は、何かを知っている様子だった。

 さくらが母親だと分かって…



「あた…しと…貴司さん……二人の…娘…」


「待て、さくら。だが、知花はあの家とは血の繋がりが」


「あたし…貴司さんを…愛して…結婚…」


「……」


 さくらの言葉に…

 俺は、何かを言う力を失くした。

 …愛した?



「そうか…」


 俺は小さく笑った。

 知花の年齢からして…あの時か。

 さくらが俺に話せないと言った…あの空白の…三年間。

 あの間に…結婚して…出産してたって事か。

 それを、知花は…どういうわけか、知ったって事か。



「どうして、知花がここに来たか…そういうわけか。」


「……」


「さくらが母親だって、どうしてわかった?」


「それは…」


 知花は、ずっとさくらに抱きしめられたまま…

 …こんなに…強く抱きしめられている知花が羨ましかった。

 俺は、ずっとさくらのそばにいたのに…

 さくらの腕は、ここまで強く俺を抱きしめはしなかった。



「…さくらがうなされながら言ってた。貴司さんって。」


「高原さん…」


「そうか、そりゃ良かった。やっと、親子めぐり会えたわけだ。」


「……」


 戸惑った顔の知花とは正反対に…

 振り向いたまま俺を見ているさくらの目は…まるで他人かと思ってしまうような…

 少し、冷たささえ感じられた。



「どうして、離れたりしたんだ…」


 あまりにも突然の事で…頭の中が真っ白だ。

 俺は立ち上がって部屋を出ると、書斎に入った。



 …さくらが…子供を産んでたなんて…

 それに…結婚まで…


「……くそ…っ!!」


 俺が…さくらとなら…と、望んでいた事を…

 さくらは、他の奴と…



 ずっと…さくらだけを愛して来た。

 さくらがいなくなってからも…さくらの事だけを。

 もう一生、あんなに誰かを愛する事は出来ない。

 そう思って…さくらだけを…


「…ちくしょ…」


 机に突っ伏して、額を打ち付けた。



『貴司さんを愛して結婚した』



 …俺以外の奴を…愛したと言うのか…

 俺の元に戻ったのは…そいつと別れたからか?


 さくらを元に戻す力を持っていたのは…

 俺じゃなく…

 知花と…『貴司』だったのか…


 俺は……

 さくらの何だったんだ…?



 これは…

 …周子とさくらを選べずにいた…

 罰なのか…?



 〇森崎さくら


 …なっちゃん…ごめん。


 あたしは…知花を抱きしめながら、そう…心の中で、何度も…謝った。



 知花が…愛しい。

 だって…なっちゃんの…

 あたしと、なっちゃんの娘だもん…


 だけど、それを知られたくない…

 知られたくないから…


「あたし…貴司さんを愛して…結婚した…」


 なっちゃんの目を見ながら…そう言った…


 …なっちゃん…悲しそうな目…してた…

 そう…だよね…



 なっちゃんが…部屋を出て行って…

 知花が…言った。


「…一緒に帰ろ?」


「……え?」


「うちに、帰ろうよ…お母さん。」


 …その言葉は…魔法みたいに…

 あたしを…色んな事から…解放してくれる気がした…



 知花は…あたしに…指輪をはめると…


「またね…お母さん…」


 そう言って…帰って行った。



 お母さん…て。

 あたしの事、お母さんって、呼んでくれる存在が…いる。

 なっちゃんとの…娘…

 あたしの大好きな…なっちゃんの…



「…ふ…」


 涙が止まらなかった…


 あたし…

 なっちゃんなしで…生きていける…?

 都合良く…桐生院に…戻ろうとしてるあたし…


 だって…

 あたしがいなくなれば…

 なっちゃん…周子さんの所…行けるよね…



 瞳ちゃんが…結婚した。

 その話は…決まった時に…なっちゃんから聞いた。

 結婚式には…周子さんと…参列するって…

 瞳ちゃんの…両親として…参列するって…

 ちゃんと、なっちゃんは…あたしに隠さず、話してくれた…



 だけど。

 あたしは…

 そんな、なっちゃんの誠意に…やきもきしてた…

 あたしは…ずっと…この部屋の中にいるのに…

 周子さんは…なっちゃんと…着飾って、教会に行ったの?って…

 夫婦として…そこにいたの?って…

 あたしの…つまらない…嫉妬心が…毎日毎日…葛藤してた…



 なっちゃんのそばにいたい…

 だけど…なっちゃんは…あたしだけのものじゃない…

 周子さんの所にも…通ってるんだもん…



『あたしから夏希を奪って…瞳からも奪うつもり?』


 あの日の…周子さんの言葉…


『一生、夏希と子供は作らないって約束しなさい。それができないなら、あたしみたいに夏希と別れなさい。』


 …思い出した…

 周子さん…

 あの人…お姉さんみたいだった…

 なぜ…あの人の家に居たのかは…思い出せないけど…

 小さな…素敵な白い家…

 男の人も…いた…

 可愛い瞳ちゃんも…

 周子さん…あたしに…青いリボン…プレゼントしてくれた…

 結婚、おめでとうって…


 なのに…


『あたしと瞳を不幸にしてでも…自分が幸せになりたいの?』



 …あたし…ここにいたら…

 なっちゃんの事、傷付けるし…縛り付ける…



 なっちゃん…

 ごめんね…

 ごめん…

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