第36話 「……」

 〇高原 瞳


「……」


「…何か言ってよ…」


 目の前の圭司は…目を大きく開けて、ついでに口も大きく開けたまま…

 何も言わない。


「……」


「もうっ。」


 あたしが唇を尖らせると。


「…瞳…めちゃくちゃキレイ!!」


 そう言って…あたしの両手を握りしめた。

 う…こ…ここは…抱きしめて欲しい気もしたけど…

 足元、結構レース広がってるしね…


「…圭司も、カッコいい。」


「ほんと?もー…神に見せたかったな~。」


「そこ?」


「今日、たくさん写真撮ってもらおうね。で、神が帰ったら見せびらかしちゃおう。」


 …千里は数枚見たら、鼻で笑ってばらまきそうよ。

 そう思ったけど、それは言わなかった。



 今日は…あたしと圭司の結婚式。

 事務所からそう遠くない場所にある教会。

 今日は…ママも外出許可をもらって、来てくれてる。

 それが…最高に嬉しい。



「さ、あっちの部屋行こうか。」


 圭司がそう言って、あたし達はパパとママがいる控室に向かった。



 今日は天気も良くて…

 それだけで、すごく幸せな気分になっちゃう。



「圭司です。入ります。」


 控室のドアをノックして、圭司がドアを開ける。

 すると、そこには…


「…パパって、どうしてそんなにカッコいいの?」


 モーニング姿のパパ…

 やだな…ほんとカッコいい。


「もー、主役は俺なのに、食わないで下さいよー。」


「何言ってる。主役は瞳だ。」


「あ、しまった。」


「もう、圭司さんて面白い。」


 ママは、留袖を着たいって言ったけど、あまり身体を締め付けるのは…良くないからって。

 シックな礼服にした。

 でも、久しぶりだな…こんなオシャレしたママ。

 嬉しくなっちゃう。



「…瞳、綺麗よ。」


 ママが、あたしの手を取って言った。


「ママ…」


 嬉しくて泣いちゃいそうになると。


「お化粧が崩れちゃうから、まだ泣くのは我慢しなきゃ。」


 ママが、笑いながら言った。



 パパ…まだ決心してくれないのかな…

 ママとの結婚…

 こうして二人で並んでても、すごくお似合いだし違和感ないのに…


「夏希、コサージュはつけないの?」


「余計色男に見えるからいい。」


「ま、よく言うわ。」


 …うん…

 夫婦みたいなんだけどな…



「圭司、指輪を落としたり、誓いのキスをやたら長くしたりするなよ。」


 パパの言葉に圭司は『えっ』って顔をして。


「いや~、誓いのキスは長めになるかな~って思ってたんですけど、駄目ですか?」


 パパに目を細められた。



 それから…

 あたしはパパとバージンロードを歩いて…

 圭司と、誓いの言葉を交わし合い…指輪の交換も、誓いのキス(短かった)もして…

 そして…知花ちゃんの…讃美歌で、退場した。


 …すごかった。


 鳥肌立ったけど…神々しい気持ちになれた。

 彼女の歌で、輝けた気がした。


 …本当は、千里に頼んでたんだけど…

 千里は一ヶ月間、渡米して何かを学んで来たいって言った。


 そして…


「あいつに頼めよ。」


 千里は…知花ちゃんを推した。

 あたしと彼女、別に仲良しなわけでもないのに…って思ったけど。


「あいつの歌で歩けたって、後で感慨深い気持ちになる時が来るから。」


 千里は、よく分かんない事言ったけど…

 確かに…すごくいい気持ちになった。

 …千里にも、知花ちゃんにも…感謝。



 あの二人…

 どうなるのかな。


 このブーケ…

 知花ちゃんに渡したいな…。



 〇高原夏希


 朝から天気が良くて、俺が施設に迎えに行った時、周子はすこぶる機嫌が良かった。

 今日は…瞳の結婚式。


 父親として、出来るだけの事はすると言いながら…

 俺は、瞳と一度も一緒に暮らす事はなかった。

 俺を頼って日本に来ても…だ。



 こんな俺が父親を名乗るのも、父親として瞳の手を取ってバージンロードを歩くのも、本当は気が引けた。

 だが…色んな父親がいていいはずだ。

 こんな俺でも。

 瞳を愛してる事に違いはない。



 瞳と圭司の結婚式は…

 二人にしては…と言うと、誤解をされそうだが。

 本当…二人にしては、まともで普通だった。

 圭司が何かやらかさないか。

 瞳が振り向いてピースサインなんてしないか。

 内心ヒヤヒヤしていたが…

 とても、普通で…いい式だった。



 …ただ、一つ。

 普通じゃなかった事。


 最後に…知花が入り口の上にある二階席で。

 聖歌隊に囲まれて…讃美歌を歌った。

 その歌をバックに、瞳と圭司は教会を出た。


 知花の歌は…いつものハードロックのそれとは…当然だが違った。

 違ったが…圧巻だった。

 伸びのいい声が、教会に響き渡った。

 みんなは一瞬、CDかと思ったかもしれない。

 生で…しかもマイクなんて通さずに、これだけの声量。

 聖歌隊たちも、最初は驚いた顔をしていた。


 その時…俺の隣で、周子が言った。


「…これ、誰が歌ってるの?」


 周子は、最近では珍しい…真顔だった。


「うちの事務所に所属してるアーティストだよ。」


「…この声…」


「ん?」


「…ファが、あなたに似てるわ…」


「そうか?」


 ファが似てるなんて、周子もいい耳してるな。と笑いそうになった。

 俺は全然気が付かないが。


「…高音…誰かに…」


「ん?」


「この声…聴いた事ない?」


「……」


 真顔の周子につられて、俺は知花を見上げる。

 この声…と言われても。

 俺は知花の声と思って、ずっと聴いて来たから…


「知花の声だな。」


 そう言うと。


「…知花っていうの?」


「ああ。桐生院知花。」


「…桐生院…知花…」


 周子は、名前を繰り返して言った。



「疲れたか?」


 式の後、ガーデンパーティーが行われた。

 座ったままの周子に問いかけると。


「少しね…」


 周子の視線の先には…瞳。


「…瞳、幸せそう…」


「…ああ。」


「良かったわ…」


「……」


 周子が…俺の手を握った。

 無言でそれを見ていると。


「いつ…帰って来るの?夏希。」


 視線を瞳に向けたまま…周子が言った。


「え?」


「あの子の所から…いつ…うちに帰って来るの?」


「……」


 周子の中では…

 今も、俺達はあのアパートで暮らしていて。

 俺は…さくらの所に行っている…って設定なのか…


 それじゃ、俺は親父と一緒だな…


 正直に言いたい。

 俺は、さくらと結婚する気でいる事。

 だが、せっかくここまで回復した周子に…それは言えない気がした。

 瞳も幸せに笑っている。

 周子がまた…誰の事も認識できない程の状態になるなんて…

 もう考えられない。



「…周子、帰る前に、海でも見て帰るか。」


 手を繋いだままそう言うと。


「素敵ね…」


 周子は…ここ数年の中で、一番優しい笑顔を俺に見せた。



 〇神 千里


「ニッキーから話は聞いてるよ。」


 アメリカのビートランド事務所に行くと、すでに高原さんが何か話を通してくれていたらしく…

 俺は快く迎え入れられた。

 そして…


「今日はもう声を出した?」


「ボイトレはしてきました。」


「早速、何か歌ってみるかい?」


 スタジオに連れて行かれた。


 …高原さん、俺の事をどう話したんだ?

 いきなり試されるなんて、最初からハードル上げてるって感じだ。



 スタジオに入ると、そこにはSHE'S-HE'Sと一緒にロクフェスに出ていた『Shoe Size』がいた。

 日本ではあまり馴染みはないバンドだが、こっちではそこそこ売れている。


 以前朝霧さんが。


「意味のない名前のバンドなんやけど、サウンドは間違いないで。」


 って言ってたな。



「はじめまして。」


「君か。高原夏希一押しのシンガー。」


 …それは、知花だろ。と思いながらも、メンバーと握手を交わした。


「うちのバンドの曲、何か知ってるかい?」


「一応。」


「へえ…全部?」


「ああ。」


 新しくバンドを組む前に…今までしなかった事をしようと思った。

 色んなバンドの楽曲を、覚える事。

 俺は気に入ったアーティストしか聴かない。

 だから、俺の頭の中にあるのは…

 Deep RedとFaceと瞳の歌と…

 SHE'S-HE'Sだけだった。


 ま、流行りの歌を聞き流すぐらいはしていたが…

 それぞれのパートをじっくり聴きこむほどの事は…それぐらいのアーティストに対してしか、していない。



「じゃ、『J's J's』で。」


 ボーカルが選んだ曲は、ノリのいい…だが主旋律は少し難しい音程の曲。


「OK」


 こいつらの曲だからと言って…真似て歌うつもりはない。

 俺だったら…こう歌う。


 イントロが始まって、Aメロに入る。

 歌い始めてすぐ…


「……」


 メンバー全員が顔を上げた。

 そして、サビの部分では…


「……」


 いきなり上でハモって来たボーカルの顔を見ると、楽しそうに笑っている。


 …なるほど。

 セッションって楽しいもんだな。



 俺は今までTOYSにこだわって…こだわり過ぎて、頭も音楽の幅も狭かった。

 外を見て来い。と言ってくれたのは高原さんで…

 一ヶ月、俺はアメリカ事務所で修業する事となった。


 以前なら…これが修行なんて思わなかっただろう。

 遊びに来てやったぜ…なんてな。

 だけど今は違う。

 全ては…未来に向けて。

 俺の描く未来…

 朝霧さん達と組むバンドを、生涯の物として…

 そして…知花を取り戻す事。

 それに対してやらなきゃいけない事は、何でもする。



 …アズと瞳の結婚式、無事終わったかな。

 歌ってくれって頼まれたが…

 …知花、ちゃんと歌ったかな。

 ま、あいつなら間違いないか。


 瞳と知花は…異母姉妹。

 もし、後に…それを知った時。

 二人はどう思うだろう。



 勝手な気持ちだが、祝い合って欲しかった。

 今は何も知らない二人でも。



「すごいな、おまえ。」


 少し態度のデカいギタリストが、俺の背中を叩いて言った。


「…それはどうも。」


「おまえが組んでたバンドの音源聴いて、大した事ないって思ってたのに。」


 ちっ。

 ま、そう思われても仕方ないか…

 TOYSには…人にそう思わせる熱が足りなかったって事だ。



「一ヶ月居るんだろ?」


「ああ。」


「じゃ、次のライヴでゲスト出演させてやるよ。」


「…え?」


「頼むぜ。」


「……」


 思いがけない幸運。

 俺は、一ヶ月で…絶対もっともっと成長してやる。




 〇高原夏希


 瞳の結婚式の帰り…

 周子と、車を走らせて海を見に行った。

 一緒に暮らしていた頃でも、こんな事はなかった。

 お互い音楽に必死だったし…

 …デートもした事ないはず。


 そう思うと、俺はつまらない男だったな…



 周子とは同志だと思っていた分、何も察してやれなかったと思う。

 女として望む部分は特に。

 結婚願望がない。

 お互いそうだと思っていても…

 時間が経てば気持ちは変わる。

 俺が、さくらに変えられたように。



「キラキラして綺麗ね。」


 太陽の光を浴びて、光る波間。

 周子は幸せそうに笑った。


 周子に元気になって欲しい。

 それは心からそう思う。


 だが…俺はさくらと結婚したい。

 そのためには…どちらにも、誠意を持って話さなくてはと思う。



 施設に送り届けた時、周子は俺の腕に甘えるようにしていて。

 それを見た職員の人達は、とても笑顔だった。

 …あれだけ俺に会うのを拒否していたのに…

 瞳の結婚が決まった途端…俺にも周りにも、心を開くようになった。


 ただ…

 記憶に、曖昧な部分が増えつつあるように思える。

 悪い記憶を忘れたままでいられるなら、周子にとって…どんなに幸せだろう。



「どうして?どこへ行くの?」


 俺が帰ろうとすると、周子はひどく悲しんだ。


「いやよ。一人にしないで…」


「周子さん、そろそろお休みの時間ですよ。」


「夏希…」


「……」


「行かないで…」



 もしかしたら…あの頃も言いたくて言えなかった言葉なのかもしれない。

 今の周子はとても素直で。

 それが…俺にはとても切なかった。



「…彼女が眠るまでいていいですか?」


 小声で職員の女性に問いかけると、小さく頷いてもらえて…俺は周子と部屋に入った。


「さあ、着替えて横になろう。」


「…夏希は?」


「俺はまだ仕事があるんだ。でも、周子が眠るまではそばにいるから。」


 俺がそう言うと、周子は少し安心したのか…

 ゆっくりと、恥ずかしそうに…俺に背を向けて着替え始めた。



 俺は、目を閉じて足を組むと…あの頃の事を思い出そうとした。

 周子は…チェック柄のシャツを着ている事が多かった。

 赤とか…茶系のチェックだったかな。

 長く伸びた、少しパーマがかった髪の毛は明るい茶色で。

 左手で、それをかきあげるクセがあった。



「…夏希?」


 呼ばれて目を開けると、周子がパジャマを着てベッドに座っていた。


「ああ…着替えたか。」


 俺はベッドのそばに椅子を持って行って座ると。


「さ、横になれ。」


 ゆっくりと、周子の身体をベッドに横たえて…頭を撫でた。

 すると、周子は気持ち良さそうに目を細めながら。


「…ねえ、夏希。」


「ん?」


「何か…歌って?」


「……」


 正直…困った。

 俺が…目の前で歌を捧げたい相手は…今もさくらただ一人だけだ。



「…今度、ティールームでみんなの前で歌うよ。」


「今がいい。」


「…周子。」


「歌って欲しいの…All about lovin' youを…」


「……」


「とても素敵な曲…あたしに…書いてくれたの?」


「……」



 さくらを…愛してる。

 だが…

 周子を傷付けたくない。

 瞳を…傷付けたくない。



「…ああ。」


 俺は…周子の頬を撫でて…小さく口ずさむ。

 さくらへの想いを…こめて作った歌。



 …誰も傷付けずに、誰かを愛するなんて…出来るのだろうか。

 自分が愛を貫くためには…犠牲も必要なんじゃないか?


 だけど俺には…

 誰を傷付けるか…なんて。



 選べるはずがなかった。

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